日本語の語源には面白いものがたくさんあります。
前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。
以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。
1.煙草/タバコ/莨/tabaco(たばこ)
「タバコ」とは、ナス科の多年草です。葉にニコチンを含み、喫煙用に加工したり、殺虫剤の原料としたりします。タバコの葉を乾燥し、喫煙用に加工したもの。
タバコは南アメリカ原産で、16世紀初頭にスペインに伝わり、急速に世界中へ広まりました。
その際、スペイン語やポルトガル語の「tabaco(tabacco)」の呼称が世界中で用いられ、日本語でも「タバコ」の呼称が使われるようになりました。
日本には南蛮貿易を通して伝わり、慶長年間(1596~1615年)にはタバコの栽培が行われました。
アメリカ先住民であるインディアンの言語を語源とする説も多いですが、新大陸発見以前からスペインでは薬草類を「tabacco」と呼んでいるため、新大陸発見に関連付けた説は信憑性が低いものです。
2.畳鰯(たたみいわし)
「たたみいわし」とは、カタクチイワシの稚魚を海苔のように漉きあげ、天日で干した板状の食品です。軽く火にあぶって食べます。
たたみいわしは、縦横に何匹もくっついた姿が、畳の目を並べたように見えるため名付けられました。
たたみいわしを火にあぶると黄色くなるため、ますます畳に似てきます。
3.台所(だいどころ)
「台所」とは、食物の調理や炊事する場所のことです。キッチン。炊事場。だいどこ。
台所は、平安時代の「台盤所」に由来します。
台盤とは食物を盛った盤を載せる脚付きの台のことで、宮中や貴族の家で用いられました。
台盤が置かれる所の意味で「台盤所」となり、「盤」が略された説が有力とされます。
一説には、「台盤」の「台」のみでも、「食物を載せるもの」「食物そのもの」の意味があったため、台所は「台(食物)を調理する場所」の意味ともいわれます。
用例は鎌倉時代から見え始め、その頃から武家や農家でも、かまどのある部屋を「台所」と呼ぶようになりました。
食と家計は直結して考えられることが多く、金銭上のやり繰りや金銭の出し入れをする所を「台所」、経済的に苦しい状況を「台所は火の車だ」などと言います。
4.高飛車(たかびしゃ)
「高飛車」とは、頭ごなしに相手を威圧するさまです。高圧的。タカビー。
高飛車は将棋で、飛車を自陣の前方に高く進める戦法のことで、敵陣を威圧する攻撃的な陣形となります。
また、現代では高飛車でも勝てる戦法が出てきましたが、飛車を高い位置に置くと負けやすく、普通はしない戦法であったため、高飛車にすることは「高飛車でも勝てる」と相手を見下す意味合いがあります。
そこから、相手を見下し威圧的な態度を取ることを「高飛車」と言うようになりました。
将棋以外で「高飛車」の語が使われるようになったのは、江戸時代末期頃からです。
5.卵/玉子(たまご)
「たまご」とは、鳥・魚・虫などの雌が産み、殻や膜に包まれた球形のものです。孵る(かえる)と子になります。特に、ニワトリの卵。修行中でまだ一人前にならない人(「医者の卵」など)。まだ本格的にならないもの。
たまごは形が球状であることから「玉の子」で、「たまご」と呼ばれるようになったものです。
この語が見られるようになるのは室町期ですが、当時は方言もしくは俗語として使われ、広く用いられるようになったのは江戸時代以降です。
「たまご」と呼ばれる以前は、「殻(かひ)の子」という意味で「かひご(かいご)」と呼ばれていました。
その漢字として用いられたのが「卵」や「卵子」で、「卵」単独では「かひ」とも言いました。
呼び名が「かひご」から変化したため、「卵」も「たまご」と呼ぶようになりました。
6.醍醐味(だいごみ)
「醍醐味」とは、物事の本当の面白さ、深い味わいのことです。真髄。
醍醐味は元仏教語で、「醍醐」とは牛や羊の乳を精製した濃厚で甘みのある液汁のことです。
仏教では、乳を精製する過程の五段階を「五味」と言い、「乳(にゅう)」「酪(らく)」「生酥(しようそ)」「熟酥(じゅくそ)」の順に上質で美味なものとなり、最後の「醍醐」で最上の味を持つ乳製品が得られるとされました。
醍醐は純粋で最高の味であるところから、「醍醐のような最上の教え」として仏陀の教法にたとえられました。
天台宗では、「華厳時(けごんじ)」「阿含時(あごんじ)」「方等時(ほうどうじ)」「般若時(はんにゃじ)」「法華涅槃時(ほっけねはんじ)」とある五時経の「法華涅槃時」を最上の仏法として、「醍醐味」と呼ぶようになりました。
そこから転じ、醍醐味は「本当の面白さ」や「真髄」を意味するようになりました。
7.大器晩成(たいきばんせい)
「大器晩成」とは、本当の大人物になる者は、世に出て大成するまでに時間がかかることのたとえです。
大器晩成の出典は、中国『老子』の41章「大方無隅、大器晩成」です。
鐘や鼎のような大きな器は簡単に出来上がらず、完成するまでに時間がかかるという意味に解釈されています。
しかし、『老子』の大器晩成は「無限に大きい器は完成に至らない」といった解釈もされており、晩年に成功した人を称えたり、将来の期待を込めて励ます時に使うことは誤用とする見方もあります。
ただし、『三国魏志』において、有名な魏の国の武将が馬鹿者扱いされていた従弟に対し、「鐘や鼎のような…」と「大器晩成」を例に挙げて励まし、従弟は見事立派な人物になったという話があり、そこから現在の意味になったとも考えられています。
8.ダサい(ださい)
「ダサい」とは、野暮ったいこと、洗練されていないことをいう俗語です。
ダサいは、「田舎」を「だしゃ」と読み、形容詞化した「だしゃい」もしくは「だしゃ臭い」が転じて、「ダサい」になったとする説が有力とされます。
しかし、方言で「だしゃー」と言うことはあっても、「田舎」を「だしゃ」と読む例が見当たらないことや、「ダサい」が使われ始めた1970年代には「間抜け」などの意味で使われていたため、不自然とも考えられています。
ただし、「間抜け」や「格好悪い」といった意味で罵る際、「田舎」を持ち出すことはあるため、この部分においては不自然ではありません。
「だ埼玉」や「駄目な埼玉」が略され、「ダサい」になったとする説もあります。
名詞の前に付いて粗末な意味を表す「駄」があるため、一見関連性もありそうですが、「ださいたま」の説は、タレントのタモリが埼玉県民をからかい、洒落で言ったため広まったものです。