日本語の面白い語源・由来(す-⑦)西瓜・相撲・ズボン・ステテコ・すみません・脛・素晴らしい・図に乗る

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西瓜

日本語の語源には面白いものがたくさんあります。

前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。

以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。

1.西瓜(すいか)

西瓜

スイカ」とは、熱帯アフリカ原産のウリ科の蔓性一年草です。球形・俵形の大型果実をつけます。

スイカは、漢語「西瓜」を唐音で発音されたものです。

中国で「西瓜」と称した由来は、10世紀頃に西域から伝わった瓜という意味からと考えられる。

日本でスイカは「水瓜」とも表記されるが、当て字です。

この漢字の由来は「スイカ」の音からや、英語でも「watermelon(ウォーターメロン)」と称されるように、水分を多く含むためです。

日本へのスイカの伝来は、16~17世紀とされることが多いですが、南北朝時代の漢詩集『空華集』の中で「西瓜」を詠じていることから、14世紀には伝わっていたと考えられます。

「西瓜」は秋の季語で、次のような俳句があります。

・西瓜独り 野分をしらぬ 朝(あした)かな(山口素堂)

・西瓜くふ 奴(やっこ)の髭の 流れけり(宝井其角

・こけざまに ほうと抱ゆる 西瓜かな(向井去来)

・正直ね段 ぶつつけ書きの 西瓜かな(小林一茶

2.相撲(すもう)

大鵬柏戸

相撲」とは、相手を倒すか土俵の外に出すことで勝敗を決める競技で、日本の国技とされます。「相撲取り」の略。

相撲は、「争う」「負けまいと張り合う」を意味する動詞「すまふ(争ふ)」が名詞化して「すもう」になったか、「すまふ」の連用形「すまひ」がウ音便化された語と考えられます。

平安時代の辞書『和名抄』に「相撲 須末比」とあるように、古くは「すまひ」と呼ばれていましたが、ウ音便化されたという確定的な文献がないため、「すまふ」と「すまひ」のどちらであるかは断定できません。

古代の「すまひ」は、蹴りなども行われる力比べで、細かなルールはありませんでした。

『日本書記』の垂仁紀七年に野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹶速(たいまのけはや)の対決記事があり、これが相撲の始まりとされます。

現代の相撲の基本様式は、平安時代に宮中で行われた「節会相撲(せちゑすまひ)」が恒例化したもので、室町時代末期に娯楽観覧のための職業相撲が発達し、現代の相撲興行の基礎ができました。

「相撲」は秋の季語で、次のような俳句があります。

・月のみか 雨に相撲も なかりけり(松尾芭蕉

・都にも 住みまじりけり 相撲取(向井去来)

・飛入りの 力者あやしき 角力かな(与謝蕪村

・角力取る 二階を叱る 主(あるじ)かな(内藤鳴雪)

3.ズボン(ずぼん)

ズボン

ズボン」とは、二股に分かれ、足を片方ずつ包む衣服です。

ズボンは、フランス語の「jupon(ジュポン)」が変化した語です。

「jupon」は、女性がスカートの内側に履くペチコートのことで、男性が身にまとうゆったりとした衣服をいうアラビア語「djubba」に由来します。

その他、ズボンの語源には、幕臣の大久保誠知が「ずぼんと足に入る」と言ったことから、「ズボン」になったとする説もありますが、この語が成立した後に作られた洒落です。

ズボンは幕末から明治にかけて急速に用いられるようになり、漢字も「洋袴」「段袋」「細袴」「股袴」「下袴」「袴服」「穿袴」「短袴」「服筒」「下服」など、さまざまな表記がされました。

「半ズボン」は夏の季語で、次のような俳句があります。

・半ズボン 凭(もた)れて眠る 母の膝(岡田祐二)

・半ズボン 蚋(ぶと/ぶよ)に食はれし 跡の足(七戸初子)

・来島海峡 単車で飛ばす 半ズボン(高澤良一)

・膝小僧 うらはずかしき 半ズボン(高澤良一)

4.ステテコ(すててこ)

ステテコ

ステテコ」とは、猿股より長く、膝下あたりまであるズボン下のことです。

ステテコは、明治時代に流行した「すててこ踊り」という滑稽な踊りに由来します。

すててこ踊りとは、明治初期に宴席で江戸吉原の太鼓持ちが、うしろはちまきにじんじんばしょり、半股引姿で、鼻をつまんで捨てる真似をし、「ステテコ ステテコ」と囃しながら踊る踊りです。

「ステテコ」という囃子は、鼻をつまんで捨てる真似をすることに由来します。
これを落語家の初代三遊亭円遊が、明治13年(1880年)頃から寄席で演じたことで「すててこ踊り」は大流行しました。

円遊が演じる際、筒広の股引を履いていたことから、このズボン下も「ステテコ」と呼ばれるようになりました。

「ステテコ」は夏の季語で、次のような俳句があります。

・ステテコで 隣へ寄るも 佃島(小滝子舟)

・ステテコや 彼にも昭和 立志伝(小沢昭一)

・ステテコで 八十八夜の へぼ将棋(中根久治)

・すててこで 朝刊を見る お悔み欄(真県緑泉)

5.すみません

どうもスイマセン・林家三平

すみません」とは、相手へ謝罪・感謝・依頼の気持ちを込めて言う言葉です。

すみませんは、動詞「済む」に打ち消しの助動詞「ぬ」がついた「すまぬ」の丁寧語「すみませぬ」が元の形で、打ち消し「ぬ」を「ない」に替えた形が「すまない」です。

「済む」は「澄む」と同源で、澄むの「濁りや混じりけがなくなる」といった意味から、「仕事が済む」など「終了する」の意味で用いられ、「気持ちがおさまる」「気持ちがはれる」といった意味も表します。

「それでは私の気が済みません(すみません)」といった用法は、「気持ちがおさまる」の打ち消しで、「気持ちがおさまりません」「気持ちがはれません」となります。

相手への謝罪に用いる「すみません」も、相手に失礼なことをしてまい、このままでは自分の心が澄みきらないことを表します。

感謝の意を表す「すみません」は、「何のお返しも出来ずすみません」の意味からか、「心が澄みきらない」の意味から離れ、謝罪を表すようになってからの表現です。

「すみませんが◯◯してください」「ちょっとすみません」など、依頼や呼びかけの際に用いる「すみません」は、軽い謝罪の意味からと考えられます。

「すいません」は、「すみません」が変化した形です。

「すいませんは間違い」と断言されることもありますが、関西弁の「すんません」や「すんまへん」なども「すみません」が変化した言葉なので、「すいません」を間違いとするのは、方言の存在を否定するのと同じことになります。

あくまでも、本来の形は「すみません」ということであり、間違いではありません。

6.脛(すね)

脛

すね」とは、足の膝からくるぶしまでの部分です。特に、向こう脛をいいます。

すねの語源には、脚茎骨(あしぐきほね)の意味、進根(すすみね)の意味、足根(あしね)の意味と諸説あります。

古くは「はぎ」と言ったが、「はぎ」から「すね」への音変化は考えられないため、上記のように「すね」としての意味のある語が音変化したと考えられます。

7.素晴らしい(すばらしい)

あの素晴らしい愛をもう一度

素晴らしい」とは、とても優れている、このうえなく好ましい、非常に良いことです。

現代では、素晴らしいは非常に好ましいさまに用いられますが、近世江戸には「ひどい」「とんでもない」といった意味で、望ましくない意味を示す語でした。

すばらしいは、「狭くなる」「縮まる」という意味の動詞「窄る(すばる)」が、形容詞化された語と考えられます。

「すばる」は「すぼる」とも用いられ、形容詞化された「すぼらし」は「細く貧弱である」という意味で、「みすぼらしい」の語源です。

やがて、「すばらしい(すばらし)」は、接頭語「す」と「晴らし」の語構成と誤解され、現在使われている好ましい意味に転じました。

8.図に乗る(ずにのる)

図に乗る

図に乗る」とは、調子に乗る、つけあがることです。

図に乗るの「」は、仏教の法会などで僧が唱える声楽『声明(しょうみょう)』の転調のことです。

この転調は難しかったため、調子がうまく変えられることを「図に乗る」と言いました。

そこから、調子に乗ることを言うようになり、「つけあがる」の意味に変化しました。

「頭に乗る」と漢字表記されることもありますが、意味が変化した後の当て字と考えられ、普通、このような表記はしません。