日本語の面白い語源・由来(あ-⑫)阿婆擦れ・安本丹・垢抜け・塩梅・有り難う

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あばずれ

日本語の語源には面白いものがたくさんあります。

前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。

以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。

1.阿婆擦れ(あばずれ)

あばずれ

阿婆擦れ」とは、品行が悪く人擦れしており厚かましい者、特に女性を指す言葉です。「擦れっ枯らし(すれっからし)」もよく似た意味です。

主に女性を蔑視している表現です。相手を不快な思いにさせてしまう可能性が高く、気安く使わないほうがよい言葉です。

あばずれの「あば」は、「暴れ者」「暴くれ者など、乱暴者の意味の「あば」から
もしくは、軽率な者を意味する「あばけ者」の「あば」からで、「あば」に世間擦れする意味の「擦る」の連用形「擦れ」がついた語とされます。

また、浮ついた様子を意味する「淡(あわ)し」が重なった「あわあわし」が変化し、人に揉まれてずる賢くなった人を「あわすれる」と呼ぶようになり、「あばずれ」に変化したという説もありますが、言葉の意味が変化していく過程が非常に曖昧です。

現代では「あばずれ女」などと、女性を指すことが多いですが、古くは「人擦れした品行の悪い者」という意味で男性にも用いられた語で、江戸末期の『浮世床』には、男性に対して「あばずれ」が用いられた例があります。

阿婆擦れの漢字「阿婆」は当て字で、中国では父母と同列以上にある婦人や老婆のことを言います。中国での年老いている意味と、「あばずれ」の擦れている意味を重ね、当てられたものと考えられます。

2.安本丹(あんぽんたん)

あんぽんたん

あんぽんたん」とは、阿呆・馬鹿などと同じ意味ですが、それらよりも軽い気持ちで使われることが多いようです。

あんぽんたんは、「阿呆」と愚か者の意味の「だらすけ」が複合された、「あほだら」「あほんだら」が転じた言葉です。

「阿呆」は「あっぽ」とも言われ、「陀羅助(だらすけ)」という薬(「陀羅尼助」の略)もあったため、「反魂丹(はんごんたん)」や「萬金丹(まんきんたん)」という薬の名から、漢字で「安本丹」ともじられました。

あんぽんたんは、近世に上方で生まれた言葉で、宝暦末年(1764年)頃には、江戸でも流行したことが、江戸時代の随筆に残されています。

あんぽんたんの語源として、1789~1801年に江戸市中に出回った「アンポンタン」と呼ばれる魚(カサゴの一種)が、大きい割に美味しくなかったため、「うどの大木」と似たような意味で使われ、それが転じたという説もあります。
しかし、あんぽんたんという言葉は、それ以前から存在していたため、その魚が「あんぽんたん」から付けられたとは考えられます。

他には、フランス語で性交不能を意味する「アポンタン」からとする説、江戸時代に漂流した外国人の名前からとする説もありますが、そのような文献は見当たりません。

3.垢抜け(あかぬけ)

垢抜け

垢抜け」とは、容姿・性質・演技などがすっきりと洗練され、素人っぽさや野暮臭さがなくなることです。

垢抜けは、垢や汚れが落ちてさっぱりしていることを「垢が抜ける」と言ったことから、「素人臭い」や「田舎臭い」の「臭い」を「垢」に見立てたものです。

「垢」はもともと皮膚に溜まった汚れを指す言葉でしたが、中世に入ると比喩的に「洗練されていないこと」や「泥臭さ」という意味でも使われるようになり、ここから「垢抜け」で「洗練されている」という意味になりました。

同義語に「灰汁(あく)が抜ける」もあり、ともに江戸時代から用いられています。

4.塩梅/按排/按配(あんばい)

塩梅

我々「団塊世代」より若い人はあまり使わない言葉ですが、戦前生まれの老人は「いいあんばいにできたかね。」「いいあんばいだね。」「あんばいはどうかね。」などとよく使っていました。

あんばい」とは、具合・加減・程度のことです。漢字表記には「塩梅」と「按排」があり、「按排」の別表記として「按配」「案配」「案排」があります。

塩梅の本来の読みは「えんばい」で、塩と梅酢を合わせた調味料を意味していました。
そこから、味加減が良い調味料を「塩梅(えんばい)」と言うようになりました。

現代では、酢にみりん・酒・砂糖や、香辛料を加えて調味した加減酢を「塩梅酢(あんばいず)」とも言います。

「按排」の読みは元々「あんばい」で、上手く処置することや具合よく並べるといった意味でありましたが、「塩梅」と「按排」の意味が、よい具合にするという点で似ていたため混同が起こり、「塩梅」も「あんばい」となりました。

この混同は中世からと考えられますが、中国でも古くに混同された例が見られます。あんばいが体調の具合を意味するようになったのは、近世とされています。

5.有り難う(ありがとう)

有り難う

「ありがとう」という言葉は色んなランキングで1位に選ばれています。

21世紀に残したい言葉ランキング 1位

彼氏に求めている言葉ランキング 1位

・自己肯定感を育む言葉ランキング 1位

・子供が大人からいわれてうれしい言葉ランキング 1位

「ありがとう」の5文字には、とても魅力的で強いパワーが秘められています。実際、「ありがとう」の言葉をもらうと嬉しくなりますし、他人に「ありがとう」というと幸せが深まります。

心が疲れてしまった人に対しても「ありがとう」が一番いいのです。老若男女を問わず、みんな大好きな言葉が「ありがとう」です。

ありがとう」とは、感謝の気持ちを表す言葉です。感動詞的にも用います。

ありがとうは、形容詞「有り難し(ありがたし)」の連用形「有り難く(ありがたく)」がウ音便化した語です。

有り難し」は、「有ること」が「難い(かたい)」という意味で、本来は「滅多にない」や「珍しくて貴重だ」という意味を表しました

語源は仏教語の「ありがたし(有難し)」です。

仏教経典の『仏説譬喩経(ぶっせつひゆきょう)』『雑阿含経(ぞうあごんきょう)』『涅槃経(ねはんぎょう』などに書かれている「盲亀浮木(もうきふぼく)のたとえ」という、目の見えない亀と丸太の寓話に由来します。人間として有ることは難しい(人間として生まれることは難しい)から転じました。

お釈迦様がお話になった目の見えない亀と穴の空いた木の喩え話です。

盲亀浮木もうきふぼくとは、大海中に棲む目の見えなくなった老海亀が百年に一度水面に浮き上がってきた時に、大海に漂っている穴の空いた流木に偶然首を突っ込むというお釈迦様がお話しになった喩え話です。
出会ったり、物事が実現したりすることがきわめて難しいことの喩えで、この出会いとは、人として命をいただく事の困難さ、更にその人がお釈迦様の尊い教えに出会う事の困難さ、人と人の出会いが非常に難しい事の喩えです。

ある時、お釈迦様が阿難尊者に「人間として命を授かった事をどのように思っているのか」と尋ねられました。すると阿難尊者は「大いなる喜びを感じています」とお答えになります。お釈迦様は「盲亀浮木」の喩えをお話になります。 「例えば大海の底に一匹の目の不自由な亀がいて、その亀が百年に一度、息を吸いに波の上に浮かび上がってくるのだそうだ。ところがその大海に一本の浮木が流れていて、その木の真ん中に穴が一つ空いている。 百年に一度浮かびあがってくるこの亀が、ちょうどこの浮木の穴から頭を出すことがあるだろうか」と尋ねられました。 阿難尊者は「そんなことは、ほとんど不可能で考えられません」と答えると、お釈迦様は「誰もが、あり得ないと思うだろう。しかし、全くないとは言い切れない。人間に生まれるということは、この例えよりも更にあり得ない。とても有難いことなのだ」 と仰っておられます。

有難いとは滅多にない事で、私たちは決して自分一人で生きているわけではありません。大勢の人々のお世話になっています。日々の生活に喜びと感謝の心を持つ事が大切です。 お釈迦様は盲亀浮木の喩え話で、佛教の基本的真理を説いた「縁起の法」を私たちにお導きくださっています。

法相宗大本山薬師寺 管主 加藤朝胤)

『枕草子』の「ありがたきもの」では、「この世にあるのが難しい」という意味。つまり、「過ごしにくい」といった意味でも用いられています。

中世になり、仏の慈悲など貴重で得難いものを自分は得ているというところから、「ありがとう」は宗教的な感謝の気持ちをいうようになり、近世以降、感謝の意味として一般にも広がりました。

ありがとうの語源には、ポルトガル語で「ありがとう」を意味する「オブリガード(obrigado)」に由来するといった俗説もあります。

しかし、ポルトガル人が日本へ訪れる以前から使われていた言葉「ありがとう」が、ポルトガル語に由来するはずはなく、「オブリガード」と「ありがとう」の音が近いというだけの話です。

余談ですが、「ありがとうの反対は当たり前?感謝の言葉を掛けることは大切!」という記事も書いていますので、ぜひご覧ください。