日本語の面白い語源・由来(は-⑭)馬耳東風・二十歳・半片・法被・ハンカチ・博打の木・墓・八朔

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馬耳東風

日本語の語源には面白いものがたくさんあります。

前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。

以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。

1.馬耳東風(ばじとうふう)

馬耳東風

馬耳東風」とは、「他人の忠告や評判を聞き流し、心にも留めず知らん顔をしていること」です。

馬耳東風の「東風」は、東から吹く暖かい風で「春風」の意味です。
馬耳東風の「馬耳」は、文字通り「馬の耳」のことです。

つまり、馬耳東風は、人は春風(東風)が吹けば寒い冬が去って暖かくなると思い喜ぶが、馬は耳をなでる春風に何も感じないという意味です。

そこから、他人の意見を聞き入れず、心に留めようともしないことのたとえとなりました。

馬耳東風の出典は、李白の『答王十二寒夜独有懐』にある「世人之を聞けば皆頭を掉り、東風の馬耳を射るが如き有り(世の人達は頭を振って聞き入れない。まるで春風が馬の耳に吹くようなものである)」という詩によります。

2.二十歳(はたち)

成人の日

はたち」とは、「20歳」のことですが、古くは年齢に限らず20を意味しました。

はたちの「はた」は「20」を意味し、「ち」は助数詞です。
「はた」に助数詞を加えた例として、「二十年(はたとせ)」「二十巻(はたまき)」「二十人(はたとり)」などがあります。

助数詞の「ち」は、「ひとつ」「ふたつ」の「つ」と同じく「個」を意味します。
「ひとつ」「ふたつ」の「つ」が個数だけではなく、「一歳」や「二歳」など年齢を表す際にも用いられることと、はたちが「20」という個数を表していたものが、年齢に用いられるようになった点は共通しています。

「はた」が「ふたつ」の「ふた(二)」の転で、「ち」が「十」の意味とする説もあります。
「はた」が「ふた」から転じたとする点は考慮できますが、「二十年(はたとせ)」や「二十巻(はたまき)」などの例から、「二十」で「はた」と考えるのが妥当です。

また、両手両足の指を折って数えていくと20で終えるため、「果て(果つ)」を語源とする説もありますが俗説です。

この他、俗説には「旗乳(はたち)」といった説もあります。
その説は、戦国時代、二十歳になった青年武将は、主君の紋所を染め抜いた旗を背中にくくりつけて戦場に出ました。
その旗には「旗乳(はたち)」と呼ばれる竿を通す輪が、年齢に合わせて20個ついており、「を賭けた決断のできる年齢(成人)」という意味で「はたち」と言うようになったという説です。

しかし、「はたち」が年齢に限らず、「20」という個数を表した言葉であることが考慮されていません。

また、このような輪を「乳(ち)」と呼ぶのは、旗だけではなく、幕、羽織、草鞋に紐を通す輪にも用いられるため、強引過ぎる説としか言いようがありません。

3.半片(はんぺん)

半片

はんぺん」とは、「スケトウダラなどの魚肉のすり身にヤマノイモやデンプンを加え、蒸し固めた練り製品」です。おでんや澄まし汁に入れたり、焼いたりして食べます。

はんぺんの語源は諸説あり、江戸時代の駿河(現在の静岡)の料理人「半平(はんぺい)」によって作られたことからとする説が有名ですが、それ以前の文献に「かまぼこのはんぺん」の呼称が見られるため、名前に由来する説は考え難いものです。

「かまぼこのはんぺん」は、現代で言う「竹輪」を昔は「かまぼこ」と呼んでおり、それを縦半分にして板に付けたものを指していました。

その後、この板付きのかまぼこはんぺんが「かまぼこ」と呼ばれ、かまぼこは「竹輪」と呼ばれるようになりました。

そのため、「かまぼこのはんぺん」の名に空きができ、現在「はんぺん」と呼ばれているものが素材も似ていたことから、この食品を指す語になったと考えられています。

はんぺんの漢字は「半片」や「半平」が古く、少し後に「半弁」、素材などから当てた「鱧餅」などの表記が見られます。

全国的には白身を使ったものが一般的ですが、静岡ではサバ・アジ・イワシなどを原材料にした「黒はんぺん」が一般的です。

そのため、静岡では他の地方で一般的なはんぺんを「白はんぺん」と呼んで区別することもあります。

4.法被/半被(はっぴ)

半被

1966年(昭和41年)にビートルズが初来日した際、JALのタラップからメンバー全員がはっぴ姿で降り立った(下の写真)のがとても印象に残っています。

ビートルズ来日・はっぴ

はっぴ」とは、「広袖か筒袖で、膝丈または腰丈の単衣の上着」です。職人が仕事着として着たり、祭りで神輿を担いだり太鼓を叩く人などが着ます。印半纏。

はっぴは、「はんぴ(半臂)」が転じた語です。

はんぴとは、古代、束帯を着用する際に、袍(ほう)や位襖(いあお)の下に着た袖無しの胴衣です。

漢字の「法被」は、元は禅寺で椅子の背に掛ける布のことで、「はふひ(ほうひ)」と言いました。

「法被」は「はふひ」から転じて「はっぴ」とも言うようになりましたが、掛け布の「法被」と着物の「はっぴ」との間には、物としての関連性が見られないため、同じ発音による当て字と思われます。

「半被」の漢字は、はっぴに「法被」の字が当てられた以降に、「半臂」と掛け合わせて作られた表記と思われます。

5.ハンカチ

ハンカチ

太田裕美さん(1955年~ )の大ヒット曲に「木綿のハンカチーフ」という歌があります。ドラマのようなストーリー性のある良い歌だと私は思います。橋本愛さんがカバーして再び注目されましたね。

ハンカチ」とは、「小型の手を拭く四角い布」です。木綿・麻・絹などが用いられる。ハンケチ。

ハンカチは、英語「handkerchief(ハンカチーフ)」の略です。
「handkerchief」の「hand」は「手」、「kerchief」は女性が髪おさえに被る布のことです。

手を拭く・手に持つ「kerchief(カーチフ)」で、「ハンカチーフ」となりました。
首に巻くものは「neck(ネック)」が冠され、「neckerchief(ネッカチーフ)」と言います。

「kerchief」は、古期フランス語で「couvre・cover(覆う)」+「chef(頭)」が語源で、15世紀頃にフランスの船乗りが日除けのために被っていた麻布を持ち帰ったことが始まりといわれます。

6.博打の木(ばくちのき)

博打の木

バクチノキ」とは、「暖地に自生するバラ科の常緑高木」です。樹皮は灰褐色。葉からとれる液は「ばくち水」と言い、鎮咳・鎮静薬に用います。樹皮は染料、家具などにされます。毘蘭樹(びらんじゅ)。

バクチノキは、別名を「裸木(ハダカギ)」と言うように、絶えず古い樹皮がはげ落ちて、木肌を露出します。

それを博打に負けて丸裸になるのにたとえ、「バクチノキ」と名付けられました。

その他、バクチノキの別名には、「アコノキ」や「サルコカシ(猿落)」があります。
「アコノキ」は「赤の木」が訛ったもので、バクチノキが赤裸になる様子から。
「サルコカシ」は猿がバクチノキに登ろうとしても、皮と一緒に滑り落ちてしまうことから名付けられました。

7.墓(はか)

墓

」とは、「遺体・遺骨を葬る場所。また、しるしとしてそこに立てる石や木などの建造物」です。土を高く盛って築いた墓は「塚(つか)」、考古学上の墓は「墳墓(ふんぼ)」と言います。

墓の語源は諸説ありますが、「果処(はてか)」の意味とする説や、「葬処(はふりか)」の略あたりが有力とされます。

他に有力な説としては、生死の間は遥かであることから「遥か(はるか)」とする説や、「儚し(はかなし)」といった説もあります。

漢字「墓」の「莫(バク)」の部分は、太陽が草の中に沈んで隠れることを示す会意文字で、「墓」の漢字には死者を見えなくする土盛りの意味があります。

日本では、646年の「薄葬令」で墓制を定めて、墳墓の規模が規制されました。
墓標を立てる風習は、平安時代に造寺・造塔が盛んとなって、塔を立てる風習が生じたことによります。

角石形の墓標が普及したのは江戸中期以降で、寺院内に墓が造られることが一般化したのは江戸時代以降です。

8.八朔(はっさく)

八朔

八朔」とは、「夏みかんより果実がやや小さく皮が薄いみかんの一品種」です。肉質はあらいですが、甘みが多く風味は良いみかんです。八朔柑。

八朔は、1860年頃、広島県因島田熊町のお寺「恵日山浄土寺」の境内で発見された品種です。
「八朔」の名は、当時の住職であった小江恵徳が「八朔には食べられる」と言ったことから名付けられたというのが定説となっています。

ここでの「八朔」とは、「八月朔日(さくじつ)」の略で、「朔日」とは「ついたち」のこと。つまり、「(旧暦の)8月1日には食べられる」ということです。

ただし、八朔の旬は2月から3月頃(新暦)なので、八月朔日の頃は果実がまだ小さく、食べるには早すぎます。

「八朔柑(はっさくかん)」は春の季語です。