日本語の面白い語源・由来(み-①)水木・三下半・御手洗団子・味噌をつける・水と油・水取り雨・道草を食う

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ミズキ

日本語の語源には面白いものがたくさんあります。

前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。

以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。

1.水木/ミズキ

ミズキ

ミズキ」とは、「山地に自生し、5~7月、白色のが散房花序につくミズキ科の落葉高木」です。材はやや軟質で細工しやすいため、こけし・盆・箸などに用いられます。

根から水を吸い上げる力が強く、早春に枝を切ると、水のような樹液が多量に流れ出ることから、「ミズキ」の名があります。

樹液が多いため、火災予防として庭に植えたりもします。

2.三行半/三下り半(みくだりはん)

三下り半

三行半」とは、「江戸時代における離縁状の俗称。離縁すること。離縁されること。比喩的に、関係を断つこと」です。

江戸時代、庶民の間では離婚の権利は原則として夫だけに存在し、夫から妻もしくは妻の父兄へ宛てて離縁状を書くことで離婚が成立しました。

三行半三下り半
その離縁状には、離婚する旨の文言、妻の再婚を許可する旨の文言が、簡略に三行半(さんぎょうはん)で書かれていました。

そこから、離縁状を「三行半(みくだりはん)」と言うようになり、離縁状のない現代では、「三行半」が離縁することやされること、関係を断つことの意味で用いられるようになりました。
「くだり(行)」は「ぎょう(行)」と同じ、文章の行を数えるのに用いる助数詞です。

離縁状の行数は要件として決まっていたわけではないため、だいたい三行半だったというだけであり、三行半以外の離縁状も存在しました。

3.御手洗団子/みたらし団子(みたらしだんご)

みたらし団子

みたらし団子」とは、「米粉の団子を串に刺し、軽く焼いて砂糖醤油のたれをつけたもの」です。

みたらし団子の「みたらし」を漢字で「御手洗」と書くのは、元を辿れば「御手洗い」に由来するためです。

みたらし団子は、京都市左京区の下鴨神社の御手洗会(御手洗祭)の折に、氏子が家々で作っていた団子が元になっており、のちに境内の茶屋で売られるようになりました。「みたらし団子」の名は御手洗会にちなんだもので、ここから全国に広がっていきました。

下鴨神社・御手洗川
この神事が「御手洗会(御手洗祭)」と呼ばれるのは、毎月7月の土用の丑の日(昔は6月20日から月末)に参拝者が社前の「御手洗川(みたらし池)」に足をつけて無病息災を祈ることに由来します。

御手洗川の「御手洗(みたらし)」は、神仏を拝む際に参拝者が手を洗ったり、口をすすいで禊をする場所のことです。

4.味噌をつける(みそをつける)

味噌をつける

味噌をつける」とは、「失敗する。しくじる。失敗して面目を失う」ことです。

味噌を器につけて汚してしまい、見苦しいという意味から、失敗することや面目を失うことを「味噌をつける」と言うようになりました。

この他、昔は火傷を治すには味噌を塗るのが良いと信じられており、火傷は何らかでしくじったに多いため、失敗することを「味噌をつける」と言うようになったという説もあります。
しかし、この説は火傷治療の俗信があることから作られた民間語源説で、この治療法から失敗を意味するようになったという文献は見当たりません。

「味噌をつける」の慣用句が見られる以前には、「味噌」のみで「失敗」や「欠点」を意味していました。
味噌が器を汚してしまうものと考えれば、単独で「失敗」や「欠点」を意味することは不自然ではありません。

しかし、火傷の治療の場合は「火傷」が「失敗」を表しており、つける行為がなければ「味噌」と「失敗」は結びつかないため、「味噌」が単独で使われるよりも前に、「味噌をつける」という慣用句が生まれていなければ不自然です。

5.水と油(みずとあぶら)

水と油

水と油」とは、「互いに性分の合わないこと。しっくり調和しないことのたとえ」です。

水と油は性質が異なり、決して混ざり合わないことから、相性の悪いことや調和しないことをいいます。

英語にも「oil and water(油と水)」という表現があり、中国語では水と火にたとえた「水火不相容(水と火は互いに相いれない)」という似た表現があります。

6.水取り雨(みずとりあめ)

水取り雨

水取り雨」とは、「五月雨(さみだれ)の別名」です。

水取り雨の「水」は、田植え用の水のことです。
梅雨の時期に降る雨を田植えの水にする(取る)ことから、五月雨を「水取り雨」と言うようになりました。

7.道草を食う(みちくさをくう)

道草を食う

道草を食う」とは、「目的地へ行き着く途中で、他の物事にかかわって時間を費やす。寄り道をする。油を売る。途中で手間取る」ことです。

馬が道端に生えている草を食べていて、なかなか進まないことから、目的地へ行く途中で、他のことに時間を費やすことを「道草を食う」と言うようになりました。

自らが他の物事に時間を費やす意味で用いるほか、「病気で道草を食ってしまった」というように、途中で邪魔が入り、思うように進められなくなる意味でも用いられます。

「道草」のみでも他のことに時間を費やすことや手間取ることを表し、「道草する」とも言います。