日本語の語源には面白いものがたくさんあります。
前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。
以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。
1.紅葉狩り(もみじがり)
「紅葉狩り」とは、「紅葉を見に山野へ出かけること」です。紅葉見。
紅葉狩りの「狩り」は、獣を捕まえる意味で使われていましたが、野鳥や小動物を捕まえる意味に広がり、さらに果物などを採る意味にも使われるようになりました。
果物を採る意味では、現在でも「いちご狩り」や「ぶどう狩り」などに使われています。
やがて「狩り」は草花を眺めたりする意味にも使われ、「紅葉狩り」と言うようになりました。
「狩り」が草花を眺める意味になった由来は、狩猟をしない貴族が現れ、自然を愛でることをたとえたとする説もありますが、紅葉(草花)を手に取り眺めたことからと考えられます。
「紅葉狩り」「紅葉見」は秋の季語で、次のような俳句があります。
・都路や 初夜に過ぎたる 紅葉狩(野沢凡兆)
・大嶺に 歩み迫りぬ 紅葉狩(杉田久女)
・紅葉見や 用意かしこき 傘二本(与謝蕪村)
・紅葉見や 顔ひやひやと 風渡る(高桑闌更)
2.紅葉(もみじ)
「もみじ」とは、「秋になり草木の葉が赤や黄色に変わること。あるいは、その色づいた葉のこと」です。黄葉。イロハモミジや近縁のカエデ類の別名としても用います。
元々、もみじは「もみち」と呼ばれていました。
秋に草木が赤や黄色に変わることを「もみつ(紅葉つ・黄葉つ)」や「もみづ」といい、その連用形で名詞化したのが「もみち」です。
平安時代に入り、「もみち」は「もみぢ」と濁音化され「もみじ」へと変化しました。
古くは「黄葉」と表記されることが多く、「紅葉」や「赤葉」の表記はあまりありません。
「紅葉」は秋の季語で、次のような俳句があります。
・蔦の葉は むかしめきたる 紅葉哉(松尾芭蕉)
・山くれて 紅葉の朱を うばひけり(与謝蕪村)
・かざす手の うら透き通る もみぢかな(大江丸)
・障子しめて 四方(よも)の紅葉を 感じをり(星野立子)
3.最中(もなか)
「もなか」とは、「薄く焼いた糯米(もちごめ)製の皮の中に餡を詰めた菓子」です。
もなかは、江戸吉原の菓子屋 竹村伊勢が、満月をかたどった「最中の月(もなかのつき)」という煎餅のようなものを作り、それが省略されて「最中(もなか)」となりました。
最中の月とは、旧暦十五夜の月(中秋の名月)のことで、平安時代の歌集『拾遺集』には、「水の面に 照る月なみを かぞふれば 今宵ぞ秋の もなかなりける」とあります。
その他、真ん中に餡が入っているため、中央を意味する「最中(さいちゅう)」を語源とする説もありますが、もなかに餡が入ったのは「最中の月」が作られた以降のことです。
4.もしもし
「もしもし」とは、「人に呼びかけるときの言葉。特に、電話で呼びかけるときに使われる言葉」です。
もしもしは、「申し(もうし)」を連ね短縮された言葉です。
江戸時代には、「申し(もうし)」と単独で使われていました。
電話が開通された当初は、高級官僚や実業家などしか電話を持っていなかったため、「もしもし」ではなく「おいおい」と呼びかけ、「はい、ようござんす」と返答されていました。
電話の呼びかけに「もしもし」が使われるようになったのは、電話交換手が中継ぎをしていたため、繋ぐ相手に失礼とならぬよう、「申し上げます」と言っていたことによります。
日本で初めて電話交換業務が行われたのは、明治23年(1890年)12月16日、東京・横浜間です。
5.揉み上げ(もみあげ)
「もみあげ」とは、「耳の前にはえさがった髪の毛の一部分」です。
もみあげは、寛永から正保の頃、武家の下々の者がろうそくの溶けたものに松脂を加え、はえさがっている毛を上げて「鬼ひげ」にしたことから、「あげ」の呼称がついたという用例が『落穂集』にあります。
漢字で「揉み上げ」と書くように、古くは耳の前の毛を揉んで上げていたことが、もみあげの語源とされます。
この他、下がっている毛が「上げ」と呼ばれる理由に、日本髪では鬢付け油を使い上げていることからも伺えます。
また、江戸時代には「耳脇毛(みみわきげ)」が訛り、「もみあげ」になったとする説が出るなど、もみあげの語源は古くから疑問を持たれていました。
お年寄りの中には、「もみあげ」を「もみさげ」と呼ぶ人もいます。
昔は上がっている状態だったので「もみあげ」。それに対して、現在は下がっているので「もみさげ」と呼ぶのは正しい気もします。
しかし、揉んでいるわけではないので、「さげ」を言うのであれば、江戸時代の上方で呼ばれていた「はえさがり」が妥当と思えます。
6.餅(もち)
「餅」とは、「糯米(もちごめ)を蒸して、臼で粘り気が出るまでつき、丸や平らにした食べ物」です。
「もちいひ(餅飯)」を略した「もちひ」が、更に略されて「もち」となりました。
もちの語源には、長期保存に適した食べ物なので「長持ち」や、携帯できる飯として使われていたため「持ち歩く」などの説があります。
しかし、「トリモチ(鳥黐)」や「モチノキ(黐の木)」など、粘り気のあるものには「もち」が使われているため、粘り気のあるものを表す言葉が「もち」であったと考えるのが妥当です。
漢字の「餅」は、中国では小麦粉をこねたものの意味として使われています。
日本ではそれに似たような食品ということで、「もち」の漢字として借用したものです。
「餅」は暮の季語で、次のような俳句があります。
・餅の粉の 家内に白き ゆふべかな(炭太祇)
・妹が子は 餅負ふ程に 成りにけり(小林一茶)
・餅焼くや ちちははの闇 そこにあり(森澄雄)
・餅ふくる 崑崙山も 天山も(長谷川櫂)
7.もんぺ
「もんぺ」とは、「主に労働用として用いる女性用の袴(はかま)で、裾(すそ)を足首の所でしぼってあり、腰回りはゆったりしていて、着物の裾を入れることができるもの」です。「もっぺ」「もんぺい」とも呼ばれる。
もんぺの語源には、「股引(ももひき)」「股はき(ももはき)」が変化した「もっぺ」からとする説。
門兵衛という人が考案したため、名前をもじったとする説。
トイレで簡単に用が足せないことから、門が閉ざされている意味で「門閉」に由来する説。
ズボンのことをアイヌ語で「オムンペ」と呼ぶことから、「もんぺ」になったとする説など諸説あります。
もんぺは主に東北の婦人がはいていたものですが、第二次大戦中に全国に広がりました。
永井荷風の『断腸亭日乗』の昭和18年9月の条には、「八月中この後毎月八日には婦女必ず百姓袴(モンペ)を着用すべき由お触れあり」とあります。