汗牛充棟・読書三到・読書三余・韋編三絶など読書や書籍に関する面白い言葉

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汗牛充棟

1.汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)

蔵書が極めて多いことの形容です。本が非常に多くて、牛車に積んで運ぶと牛も汗をかき、家の中に積み上げれば棟木(むなぎ)にまで届いてしまう意から。

「充棟汗牛」とも言います。出典は中国・唐の柳宗元(りゅうそうげん)の「陸文通先生墓表(りくぶんつうせんせいぼひょう)」です。

「牛に汗(あせ)し棟(むなぎ)に充(み)つ」と訓読します。

「載籍浩瀚(さいせきこうかん)」は、「数え切れないほどの書物があること」「書籍に埋もれんばかりのさま」のことで、汗牛充棟とよく似た言葉です。

2.読書三到(どくしょさんとう)

中国・宋の朱熹が唱えた読書に大切な三つの心得で、「眼到(目でよく見ること)」「内到(声を出して読むこと)」「心到(心を集中して読むこと)」のことです。

出典は朱熹の「訓学斎規(くんがくさいき)」です。

これは現代の我々にも参考になる教えです。特に声を出して「音読(おんどく)」するほうが、「黙読」よりも頭に入りやすく、理解が深まるように感じます。

3.読書三昧(どくしょざんまい)

「一日中、我を忘れてひたすら書物を読むことに浸りきるさま」「一心に読書すること」です。「三昧」は、そのことに夢中になって、他を顧みないことです。

4.読書三余(どくしょさんよ)

「読書をするのに好都合な三つの余暇のこと」です。それは、一年のうちでは「冬」、一日のうちでは「夜」、天候のうちでは「雨降り」を指します。「董遇三余(とうぐうさんよ)」とも言います。

由来は、中国三国時代に魏の董遇(とうぐう)が、勉学する時間がないと嘆く弟子を諭した言葉です。この話には「前段」があります。董遇は弟子に最初から教えようとせず、まず自分で書物を熟読すべきことを説きました。『読書百遍 義自(おの)ずから見(あらわ)る』です。すると弟子の一人が、「私には、書物を百回も読む暇がありません」と言ったのです。それに対して董遇は「暇がないことはない。三余にしなさい」と答えたということです。「晴耕雨読」が生活の基本であった当時、「余暇」(自由に使える時間)は農作業の忙しくない季節である冬と、夜と雨降りしかなかったからでしょう。

5.読書尚友(どくしょしょうゆう)

書物を読んで、昔の賢人を友人とすることです。「尚友」は、過去にさかのぼって古人を友とすることです。「尚」は上の意です。書物を読んで、それを書いた人の人柄やその時代を論じ明らかにすることです。

出典は「孟子」です。

6.読書百遍(どくしょひゃっぺん)

難解な文章でも繰り返し読めば、意味が自然とわかってくるということです。「百遍」は回数が多いことです。「読書百遍意自ずから通ず」「読書百遍義自ずから見(あらわ)る」の略です。

中国三国時代に、魏の董遇が弟子に何度も読書することの必要性を説いた言葉です。

江戸時代から戦前にかけて広く行われた「漢文の素読(そどく)」は、これを実践したものだと思います。

7.読書亡羊(どくしょぼうよう)

他のことに気を取られて、肝心な仕事をおろそかにすることのたとえです。羊の放牧中、本を読んでいて番を怠けたため、羊に逃げられてしまった意から。

「書を読みて羊を亡(うしな)う」と訓読します。

ある二人の男が羊の放牧をしていて、羊に逃げられてしまいました。事情を問うと、一人は読書に夢中になっていたからと答え、もう一人は博打に夢中になっていたからと答えました。理由の差こそあれ、二人とも羊を逃がしてしまったという点では同罪であるとした故事です。

8.韋編三絶(いへんさんぜつ)

何度も繰り返し、熱心に本を読むことのたとえです。また、学問に熱心なことのたとえです。

「韋編三たび絶つ」と訓読します。

「韋編」は、文字を書いた木札(木簡)や竹の札(竹簡)をなめし皮のひもで綴った古代中国の書物です。「三絶」は、三度断ち切れる、また何度も断ち切れる意です。

「韋編三絶」は「史記」にある言葉です。孔子が晩年、「四書五経」の一つである「易経(えききょう)」を愛読してそれを何度も繰り返して読んだので、その書を綴ったなめし皮のひもが何度も切れたという故事から来た言葉です。

9.一読三嘆(いちどくさんたん)

素晴らしい詩文などを読んで、非常に感銘を受けること。また、そのような詩文や本のたとえです。一度読んで、幾度も感嘆する意から。

「三」は幾度もの意です。

10.一目十行(いちもくじゅうぎょう)

書物などを速く読む力が優れていることのたとえです。一目見ただけで、すぐに十行分を読むことができる意から。「一目」は、「ひとめ」とも読みます。

出典は「梁書(りょうしょ)」簡文帝紀(かんぶんていき)です。

中国梁の簡文帝は、幼い頃より理解力が人並み以上であって、読書の際に一度に十行ずつ読んだという故事です。

昔から日本にも「速読術」というものがありますが、簡文帝も速読の達人だったのでしょう。

余談ですが、最近「瞬読術」なるものが宣伝されていますが、これは怪しいと私は思います。

11.眼光紙背(がんこうしはい)

文字面だけでなく、深い内容・意味まで深く洞察力を働かせて読むたとえです。目の鋭い光が文字の書かれている紙の裏まで貫く意から。

「眼光」は、目の光ですが、転じて物事を見通す力を指します。

よく似た言葉に「行間を読む(ぎょうかんをよむ)」があります。これは、書物の表面上には表れていない、背後にある筆者の真意を読み取ることのたとえです。

一般には「眼光紙背に徹す」という慣用句で用いられます。

12.乙夜之覧(いつやのらん/おつやのらん)

天子が書物を読むことで、読書の大切さを表す言葉です。天子は昼間は政務に忙しく、午後十時ごろようやく読書する余裕が持てることから。略して「乙覧(いつらん)」とも言います。

「乙夜」は午後十時ごろのことです。一夜を「五更(ごこう)」に分けた二番目です。一更は約2時間です。「覧」は読書のことです。

中国唐の文宗(ぶんそう)皇帝は政務が忙しく、側近に「若(も)し甲夜に事を視、乙夜に書を観ずんば、何を以て人君たらんや」と言って、午後十時ごろに読書したという故事です。

13.熟読玩味(じゅくどくがんみ)

文章をよく読み、じっくり考えて味わうことです。「玩味」はよく味わって食べる意で、物事の意義をよく考え味わうことです。「玩」は「含」とも書きます。

14.晴耕雨読(せいこううどく)

田園で世間のわずらわしさを離れて、心穏やかに暮らすことです。晴れた日には田畑を耕し、雨の日には家に引きこもって読書する意から。

「悠々自適の生活」などと言いますが、定年退職後の余生の過ごし方の理想的な姿ですね。

15.灯火可親(とうかかしん)

秋の涼しさと長い夜は、明かりの下で読書するのに適しているということです。初秋の清々(すがすが)しい季節の形容です。

一般に「灯火親しむ可(べ)し」と訓読します。

16.洛陽紙価(らくようしか)

著書が評判となり、盛んに売れて読まれることです。「洛陽」は中国河南省の都市で、多くの王朝の都となったところです。「紙価」は紙の値段のことです。

一般に「洛陽の紙価高からしむ」「洛陽の紙価貴(たか)し」の形で用いられます。

中国西晋(せいしん)の左思は詩文に優れていました。その作品「三都賦(さんとのふ)」が発表されると洛陽中の評判になり、人々は争ってこの作品を書写しました。そのために洛陽の紙が不足して紙の値段が急騰したという故事です。

17.十遍読むより一遍写せ(じっぺんよむよりいっぺんうつせ)

何度も読むより、一度書き写したほうが内容をよく理解できるということです。「十読は一写に如かず(じゅうどくはいちしゃにしかず)」とも言います。

「読書百遍」に逆らうようなことわざですね。

ただ私は個人的には「書写は機械的に写すだけに終わる」可能性があると思うので、あまりお勧めしません。

18.内典外典(ないてんげてん)

仏教関係の書籍と、それ以外の書籍のことです。

仏教の立場から見て、「内」である仏典と、「外」である仏教以外の書のことです。「外典」は特に儒教・道教の書を言います。

19.論語読みの論語知らず

書物に書いてあることを理解するだけで、実行の伴わない者を嘲(あざけ)って言う言葉です。

「論語読みの論語読まず」とも言います。

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