日本語の語源には面白いものがたくさんあります。
前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。
以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。
1.山百合(やまゆり)
「ヤマユリ」とは、「山野に自生するユリ科の多年草」です。夏、ラッパ状の白色の花が横向きに開き、強い芳香を放ちます。鱗茎はユリ根と呼び、食用です。
ヤマユリは、文字通り、山に生えるユリのことです。
ただし、ヤマユリは丘の草原や斜面にも生え、丘も含んだ意味の「山」です。
2.藪枯(やぶがらし)
「ヤブガラシ」とは、「空き地や山野に生えるブドウ科の蔓性の多年草」です。夏、淡緑色の小花をつけます。実は黒く熟します。貧乏蔓(びんぼうかずら)。
ヤブガラシは、日当たりを好む植物で、他の草木に乗っかるように蔓をからませ伸ばしていきます。
覆われて日陰になった植物は弱って枯れてしまう、藪をも枯らすほど繁茂するという意味で、「ヤブガラシ(藪枯らし)」の名が付きました。
迷惑なほどはびこるさまを大袈裟に表現した名前で、ヤブガラシに覆われたからといって簡単に枯れるわけではありません。
「藪枯」は秋の季語で、次のような俳句があります。
・狂ひ泣く 童女光れり 藪枯し(原裕)
・藪からし 花の傍若 無人かな(上田きよ)
・猛かりし 時の後なる 藪枯し(相生垣瓜人)
・藪枯し 引きむしらるる 暑さかな(永井龍男)
3.山桃/楊桃(やまもも)
「ヤマモモ」とは、「ヤマモモ科の常緑高木」です。初夏に熟した果実は、生食するほか、ジャム・ゼリー・果実酒にも加工されます。
ヤマモモの名前は単純なようですが、語源は以下のとおり諸説あります。
①「ヤマ」は山に生えることを表し、「モモ」丸い果実を意味する。
②山に生え、果実の味が桃の実に似ていることから。
③「モモ」は数の多いことを表す「百(もも)」で、山に生え、実がたくさんなることから。
④漢名の「楊梅(ヤンメイ)」に、丸い実を意味する「モモ」を付けた「ヤンメイモモ」から「ヤマモモ」に転じた。
ヤマモモの別名には「ヤンメ」や「ヤンモ」があります。
これらが「ヤマモモ」の訛りでないとすれば、漢名の「楊梅(ヤンメイ)」に由来する「ヤンメイモモ」の説が妥当です。
「ヤンメイモモ」から「ヤマモモ」に転じたのは、山に生えることと、発音のしやすさが影響したと考えられます。
「山桃/楊桃」は夏の季語で、次のような俳句があります。
・磯ぎはを やまもも舟の 日和かな(広瀬惟然)
・楊桃の 山もりわびし 山折敷(蝶夢)
4.自棄糞(やけくそ)
「やけくそ」とは、「物事が思い通りにならないことに腹を立て、投げやりな行動をすること。また、そのさま」です。
やけくその「くそ」は、「やけ(自棄)」を強めていう語で、「下手くそ」や「くそ真面目」の「くそ(糞)」と同じです。
「やけ」は「焼け」と同源で、心が焼けるようになるところからとする説と、「いやけ(厭気・嫌気)」の上略という説があるが、どうにでもなれという意味の「やけ」の使用は、「いやけ」よりも古いことから、「焼け」と同源の説が有力です。
やけの漢字は、「自棄(じき)」からの当て字です。
やけくその「くそ」は強調を示す助詞の「こそ」が転じた語で、「厭気こそ」から転じたとする説もあります。
しかし、「くそ(糞)」が強調として使われている例は多くあるのに対し、「こそ」が強調で使われるのは「今度こそ」「こちらこそ」といった言葉で、「厭気こそ」のような例はありません。
また、「やけ」の語源は「いやけ」よりも「焼け」の方が有力なため、この説は考え難いものです。
5.ヤッホー
「ヤッホー」とは、「登山で互いの居場所を知らせる合図や、山彦を試すために発する声。嬉しい時に発する声」です。
ヤッホーの由来は諸説ありますが、ドイツ語の「JOHOO(ヨッホー)」の説が有力です。
「ヨッホー」という言葉は、ドイツ語圏の登山家が、居場所を知らせる合図や挨拶として使っています。
第二次世界大戦前の日本では、ドイツとの国家的友好関係により、青少年野外活動の「ワンダーフォーゲル」がブームになっていました。
そこで「ヨッホー」の語を聞き、「ヤッホー」に転じたのではないかと思われます。
ただし、上記の説は登山で「ヤッホー」と発する由来であり、嬉しい時に発する「ヤッホー」が同源とは考え難いものです。
似た掛け声は世界中にあり、自然に発する語であるため、嬉しい時の「ヤッホー」も自然発生したものでしょう。
6.止ん事無い(やんごとない)
「やんごとない」とは、「家柄や地位が極めて高い。貴重である。恐れ多い。やむを得ない。のっぴきならない」ことです。
やんごとないは「止む事無し」が一語化した語で、「事が終わりになることがない」というのが原義です。
そこから、やんごとないには「そのままにしておけない」「なおざりにできない」の意味が生じました。
「捨てておけない」というところから、「大切である」「貴重である」の意味が生じ、「高貴である」「身分や家柄が非常に高い」なども意味するようになりました。
7.遣る瀬無い(やるせない)
「やるせない」とは、「思いを晴らすことができず、つらく切ない。悲しい・寂しい・つらい・悔しいなど自分では消化できない、感情のやり場がない」ことです。
どうしても上手くいかない、どうすればよいか分からないという状況の時にふと口を突いて出る言葉が「やるせない」です。
やるせないの「やる(遣る)」は、行かせる、進ませるの意味ですが、心の進むにまかせるところから、思いを晴らすの意味を表します。
「せ(瀬)」は、川や海の浅くなっているところや歩いて渡れる程度の流れの浅いところをいいますが、抽象的な表現では、あることを行う場所や機会を意味します。
やるせないは「やる(思いを晴らす)」「せ(場所や手段)」が「無い」のであるから、「思いを晴らす場所が無い」という意味に転じ、思いを晴らすすべがなく、つらく切ないという意味になります。
語源には、古くから長く使われている言葉ほどいろいろな説や解釈があります。時と時代を経ればそれだけ言葉の使い方も変わってくるので語源もそれにつれて変わってきて、様々な語源ができてしまいます。「やるせない」も古くからある言葉です。語源も一つだけとは限りません。
舟で川を下っている人がいました。この辺で岸につけて舟を降りたいと思っても、なかなか瀬が見つからず舟はどんどん流されてしまいます。このような打つ手がない状況から「遣る瀬(場所)が無い」=「やるせない」に転じたという説もあります。
この他の語源にも「心のやり場がない」=「やる瀬がない」が「やるせない」に転じたとする説など、語源はいくつもありますがこれが正しいという確定的なものがないのが正直なところです。
余談ですが、古賀政男が作詞・作曲した『影を慕いて』という有名な歌謡曲がありますね。その歌詞に「まぼろしの影を慕いて雨に日に 月にやるせぬわが想い つつめば燃ゆる胸の火に♪」というのがあります。
この「やるせぬ」が問題です。「遣る瀬無い」の文語的表現だと思っている人も多いかもしれません。そうであれば「やるせなき」とするのが正しいのです。
「果たせぬ夢」という表現や、「尽きせぬ想い」などとの混同による誤用と思われます。「果たせぬ」は「果たす」という動詞の否定形で、「やるせない(やるせなし)」は漢字で「遣る瀬無い」と書く一語の形容詞だからです。「遣る瀬無い」は「船をつけられるような浅瀬が無い」というのが元の意味です。「果たせぬ」の場合は、動詞を打ち消す助動詞の「ぬ」を使えるのです。