日本語の語源には面白いものがたくさんあります。
前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。
以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。
1.櫓(やぐら)
「やぐら」とは、「木材や鉄骨を組み合わせて造った構築物」です。
古くは「矢倉」「矢蔵」「矢庫」と書き、矢を納める倉の意味が原義で、『日本書記古訓』では「兵庫」を「やぐら」と読んだ例も見られます。
転じて、城壁などの上に設けて外敵を偵察したり、矢や射たりするために設けた構造物も「やぐら」と呼ばれるようになり、室町時代以降、軍船の上部構造物の「やぐら」が造られ、高く組み上げて造った構造物を指して「やぐら」と呼ぶようになりました。
以降、火事を発見したり、その位置を見定めるため、遠方まで見渡せるように高く組まれたものを「火の見櫓」と言ったり、祭礼や盆踊りで太鼓などを演奏するために高く造られたものも「やぐら」、テーブル状に造られたこたつを「やぐらごたつ」と言うなど、木材や鉄骨を組んで高くしたものを「やぐら」と呼ぶようになりました。
2.八百屋(やおや)
「八百屋」とは、「野菜・果物などを売る小売商。また、その店。青物屋。青果商。深くはないが、学問・技芸・趣味などに通じていること。また、その人」です。
八百屋は、「青物屋」を略した「青屋(あおや)」が変化した語です。
「あおや」から「やおや」に転じたのは、藍染め業者と間違えないためや、言いやすく訛ったという説。
扱う商品が多いことから「八百万(やおろず)」など、数が多いことを表す「八百」を連想して転化したとする説があります。
「八百」は本来「やほ」と読まれ、「やを」を経て「やお」になった語で、「青」は本来「あを」であったことから、「やおや」の語が成立した後、「八百」の字を当てて「八百屋」になったと考えられます。
3.薬缶(やかん)
「やかん」とは、「銅・アルミなどで作った湯を沸かす道具」です。
やかんは薬を煮出すのに用いられたもので、「薬鑵(やくくわん)」と呼ばれていました。
「鑵(くわん)」は、水を汲む器が原義です。
「ヤククワン」から「ヤククヮン」に転じ、「ヤクヮン」「ヤカン」へと変化しました。
漢字の「薬缶」は、発音が「やかん」となった以降の当て字です。
やかんが「湯沸し」の意味となった時期は定かではありませんが、1603年『日葡辞書』に「今では湯を沸かす、ある種の深鍋の意で用いられている」とあり、中世末には既に湯を沸かす道具として用いられていたようです。
4.約束(やくそく)
「約束」とは、「ある物事について取り決めること。あらかじめ決められていること。また、その内容」です。
約束の「約」にある「勺」の文字は、液体の一部分を汲んださまを表した文字です。
その「勺」に糸が付いた「約」は、糸を引き締めて目立たせた「目印」を表し、目印をつけて取り決めする意味となります。
約束の「束」は、木を集めて紐を回して縛ったさまを表した文字です。
つまり、約束は目印をつけて取り決め、身動きが取れないようにすることを意味します。
余談ですが、「約束の地」とは、 ヘブライ語聖書に記された、神が 「イスラエルの民」に与えると約束した土地「カナン」のことです。
ちなみに「カナン」とは、パレスチナおよび南シリアの古代の呼称です。
5.槍玉に挙げる(やりだまにあげる)
「槍玉に挙げる」とは、「大勢の中から選び出し、攻撃や非難の対象にする」ことです。
槍玉は、槍を手玉のように自在に扱うことを意味しました。
そこから、槍玉に挙げるは、人を槍の穂先で突き上げ、思いのままに扱う意味として使われ、大勢の中から選び出して攻める意味となりました。
また、「槍玉に挙がる」と言えば、大勢の中から犠牲の対象となることを表します。
6.矢庭に(やにわに)
「やにわに」とは、「たちどころに。いきなり。突然」ということです。
やにわには、名詞「矢庭(やには)」と助詞の「に」からなる「やにはに」が、ハ行音変化で「やにわに」となった語です。
「矢庭」は、矢を射ている場所のことで、助詞の「に」が付くことで、「その場に」「矢場を去らずに」といった意味で用いられ、その場ですぐに事を行うさまを表すようになりました。
『今昔物語』には、「或は矢庭に射臥せ、或は家に籠めながら焼殺し」とあります。
「やにわに」の漢字表記は「矢庭に」ですが、「矢場に」とも書くきます。
7.吝かではない(やぶさかではない)
「やぶさかではない」とは、「努力を惜しまない。喜んでする」ことです。
やぶさかではないの「やぶさか」は、平安時代の言葉で「物惜しみする」という意味の動詞「やふさがる」や、「ケチである」という意味の形容詞「やふさし」と同源と考えられています。
鎌倉中期以降、「やふさがる」「やふさし」は用いられなくなり、「やふさ」に接尾語の「か」が付いた「やふさか」や「やっさか」という語が生まれました。
やがて「やっさか」は消滅し、「やふさか」の二音節が濁音化されて「やぶさか」となりました。
やぶさかは、思い切りの悪さまや、物惜しみするさまをいいます。
現代では、打ち消しを伴った「やぶさかではない(やぶさかでない)」の形で用いることが多くなっています。
「◯◯にやぶさかではない」は、「◯◯する努力を惜しまない」「喜んで◯◯する」という意味です。
しかし、遠回しな表現のせいか、「やぶさかではない」を「仕方なくする」という消極的な意味で使ったり、「まんざらでもない」と混同した誤用も多く見られます。