最近の中国の習近平主席の独裁化と覇権国家を目指す野望は凄まじいものがあります。先日は世界で初めて「月の裏側」に無人機を着陸させて撮影に成功するなど、「宇宙開発」でも米ロに「追いつけ追い越せ」の焦りすら感じられます。
ロシアのプーチン大統領は、「INF・中距離核ミサイル全廃条約」に加盟しているにもかかわらず、ミサイル開発を進めているため、アメリカのトランプ大統領は、2018年10月に同条約からの「脱退」を表明しました。
中国は、この条約の枠外で、大量の中距離ミサイルを保有しています。北朝鮮も、核開発を継続しています。
このような国際情勢は、「第二次冷戦」「新冷戦時代」とも呼ばれており、「核軍備拡張競争」が再燃する懸念があります。
現在の国際情勢を理解する上で、過去の歴史を振り返ることは重要なことだと思います。
今回は、前に記事を書いた「極東軍事裁判」以降、「ベトナム戦争」までの歴史について、振り返って見たいと思います。
1.国際連合の設立(1945年10月)
第二次世界大戦の戦勝国である「連合国」が中心となって設立された組織で、戦前の国際連盟に代わるものですが、設立の経緯から、「連合国」に有利、特に「常任理事国」には「拒否権」が与えられるなど極めて有利で、日本などの「枢軸国」には極めて不利で、「敵国条項」を削除していないなど問題の多い国際組織です。
2.親米政権の南朝鮮(1948年8月)とソ連の傀儡政権の北朝鮮(1948年9月)の誕生
1945年の第二次大戦終結により、朝鮮半島から日本が撤退した後、朝鮮半島統治に乗り出したのは、ソ連とアメリカです。北緯38度線を挟んで北側をソ連が占領し、南側をアメリカが占領しました。
南朝鮮は、大韓民国というのが正式名称です。元々親米政権ですが、現在の文在寅大統領は、アメリカよりも北朝鮮寄りで、反日姿勢も顕著で明らかに度を超しています。
北朝鮮は、朝鮮民主主義人民共和国というのが正式名称ですが、実体的には金日成主席・金正日総書記・金正恩委員長へと3代続く「金王朝」の独裁国家です。有力な政敵を粛清して排除するやり方は、ソ連のスターリンの手法と似ています。
余談ですが、最近、中国の習近平主席が「汚職撲滅運動」と称して、政敵を次々に逮捕して追い落としているのも、独裁体制確立のための一種の「粛清」と言えるでしょう。習近平主席は、過去に6回も「暗殺未遂事件」を経験していることから、政敵の粛清を急いでいるのかも知れません。
3.朝鮮戦争(1950年6月~1953年7月)
1950年6月25日、中国の毛沢東とソ連のスターリンの同意と支援を受けて、金日成率いる北朝鮮が突如「事実上の国境線」と化していた38度線を越えて南へ侵略を開始し、朝鮮戦争が始まりました。
これは、北朝鮮と大韓民国との戦争です、米軍を主体とする国連軍が韓国側に立って参戦し、ソ連は直接の武力介入は避けましたが武器調達や訓練で支援し、中国は人民解放軍が北朝鮮を支援して戦闘に加わりました。
しかし、戦局は膠着状態に陥ったため、1953年7月に「休戦協定」が結ばれました。しかし、平和条約は結ばれておらず、現在も「戦争状態」は続いています。
なお、日本はこの朝鮮戦争による「朝鮮特需」で経済が立ち直ったという側面もあります。
4.サンフランシスコ講和条約(1951年9月)
サンフランシスコ講和条約は、連合国48カ国と日本との間で締結されました。ソ連は、会議には出席しましたが、講和条約には署名していません。(なお、ポーランドとチェコスロバキアも調印していません)
したがって、ソ連の後を受けたロシアと日本との「戦争状態」は終わっていません。安倍首相は、「日ソ平和条約締結」に意欲を見せていますが、日本の国益を損なうような結果にならないよう、慎重に交渉してほしいものです。
5.反共・防共の「橋頭保」としての日本の再軍備
1950年に勃発した朝鮮戦争により、在日駐留米軍が大量に朝鮮半島に投入されることになり、日本の防衛兵力・治安維持兵力が存在しなくなることを懸念したGHQからの要請により、日本は、1950年に警察予備隊を発足させます。1952年には保安隊に改組し、1954年には自衛隊が設立されました。
自衛隊の主たる目的は、もちろん「日本の平和と独立を守り、国の安全を保つために、日本を防衛すること」です。
しかし、アメリカの立場から見れば、次に述べる「日米安保体制」のもとで、ソ連(現在はロシア)・中国・北朝鮮などの共産主義国に対する「橋頭保」としての役割も担っています。
6.日米安保体制とアメリカ軍駐留継続
1960年1月に締結された「日米安全保障条約」は、アメリカの核の傘の下で日本の安全保障を図るものです。それに伴って、アメリカ軍の駐留が継続しています。安保条約は、10年後の1970年に改定されましたが、以後は「自動継続」されています。
7.ベトナム戦争
ベトナムは、第二次大戦前はフランスの植民地でした。欧州戦線でフランスがドイツに降伏すると日本軍はフランス領インドシナに進駐します。しかし、日本の敗戦により、1945年9月にホーチミンが、ベトナム北部にベトナム民主共和国を樹立して独立を宣言します。
これに対してフランスは、南部に傀儡政権を建国して対抗します。(第一次インドシナ戦争)この戦いは8年続きましたが、フランスの敗北に終わります。
1954年7月のジュネーブ協定により、北緯17度線を境にベトナムは南北に分断されることになります。南ベトナムは、アメリカを後ろ盾とするゴディンディェムが大統領となり、国名をベトナム共和国とします。
しかし、南ベトナムは汚職まみれで国民の支持を得られず、武力統一を目指す北べトナムの「ベトコン」の攻撃を受けて内戦が始まります。東南アジアが次々と共産化することを恐れたアメリカが介入しますが、泥沼化し、結局社会主義国家によってベトナムが統一されます。