私たち夫婦は20年以上前の秋に、連続休暇を利用して「立山黒部アルペンルート」の旅行をしました。これは「日本アルプス」の一つである「北アルプス」の立山をめぐる山岳観光ルートです。
かつて国鉄(現在のJR)に「ディスカバー・ジャパン」(副題:美しい日本と私)という個人旅行拡大キャンペーンがありました。私にとって、この「立山黒部アルペンルート」の旅行は、まさに「ディスカバー・ジャパン」、「日本再発見」でした。
1.「日本アルプス」とは
「日本アルプス」とは、本州の中部地方にある次の三つの山脈の総称です。
(1)飛騨山脈(北アルプス):富山県・岐阜県・長野県・新潟県にまたがる山脈
(2)木曽山脈(中央アルプス):長野県にある山脈
(3)赤石山脈(南アルプス):長野県・山梨県・静岡県にまたがる山脈
日本アルプスという呼び名は、明治時代に来日したイギリス人鉱山技師ウィリアム・ゴーランドが、ヨーロッパのアルプス山脈にちなんで命名し紹介したのが始まりです。彼は明治政府から大阪造幣寮に招聘された冶金技師ですが、日本の古墳研究の先駆者としても名高く、「日本考古学の父」と呼ばれています。
なお、「日本アルプスの父」と呼ばれるイギリス人宣教師ウォルター・ウェストンは、自身も盛んに日本アルプスに登り、ヨーロッパにも日本アルプスを紹介しました。その功績から、このように呼ばれています。
2.「立山黒部アルペンルート」とは
「立山黒部アルペンルート」は、富山県立山町の立山駅と長野県信濃大町とを結ぶ交通路で、総延長約100kmの世界有数の大規模な山岳観光ルートです。
私たちは、「東からのルート」を取りました。大町市の扇沢駅からトロリーバス、ケーブルカー、ロープウェイを乗り継いで「室堂」(標高2,450m)に着き、「ホテル立山」に一泊しました。ここは北アルプス(飛騨山脈)の主峰である立山連峰を間近に望むホテルで、夜は満天の星空で、「星の降るごとく」という形容が大袈裟でない感じでした。
根雪が残る立山連峰の威容が間近に見られて、その迫力に圧倒されました。
「黒四ダム」は、私の義父が勤めていた鹿島建設も共同事業体の1社として工事に携わった歴史的な大事業でもあり、感慨深いものがありました。トロッコ列車に乗って「黒部峡谷」を進むと、途中にこの「世紀の難工事」で犠牲になった人の慰霊碑があり、手を合わせました。
黒四ダムの「観光放水」も壮観です。
また「黒部川」の迫力ある激流と水の冷たさは今でも忘れられません。
3.「立山黒部アルペンルート」の魅力
(1)バスやケーブルカー、ロープウェイを使い、容易に2,450mの標高の「室堂」まで行ける
(2)3,000m級の立山連峰を間近に見ることができ、手軽に北アルプスを体感できる
(3)三船敏郎や石原裕次郎が出演の映画「黒部の太陽」でも有名な「黒四ダム」も見られる
(4)「黒部川」の激流を間近に見られ、日本では珍しいダイナミックな大自然の醍醐味に触れられる
4.映画「黒部の太陽」
この映画は1968年「三船プロダクション」と「石原プロモーション」の共同制作で、三船敏郎と石原裕次郎が共演し、ダム建設に命を懸けた男たちを描くスペクタクル巨編です。ストーリーは、次の通りです。
関西電力は黒部川上流に第四発電所を建設することを決定。現場責任者の北川、衰えた父に代わってトンネル掘りの指揮を執る岩岡剛などが、世紀の大工事に挑みます。工事が進む中、山崩れと大量の水がトンネルを襲い、さらなる犠牲者を出してしまう。
この映画の撮影・制作は、「黒部ダム」の難工事とは別の意味で、難事業だったようです。
(1)資金不足と劇団民藝の全面協力
当時の石原プロには、スタッフ・キャスティングに必要な人件費が500万円しかありませんでした。そこで石原裕次郎は、劇団民藝の主宰者で俳優界の大御所である宇野重吉を訪ね、協力を依頼します。これに対して宇野は全面協力を約束し、宇野を含む所属俳優、スタッフ、必要な装置を提供したそうです。
(2)関西電力やその下請け・関連企業による前売りチケット大量購入による協力
(3)トンネル工事の撮影現場での想定以上の大量の水放出でけが人続出
大変迫力のあるトンネル工事のシーンでの大量の水は、想定外の量だったのですね。
トンネル工事の再現セットは、愛知県豊川市の熊谷組の工場内にあり、出水を再現する420トンの水タンクもありました。
しかし水槽が開かれると10秒で420トンの水が流れ出し、俳優もスタッフも本気で逃げたそうです。
三船は水が噴出する直前に大声で「でかいぞ!」と叫び、裕次郎らと必死で走りそれをカメラが捉えていたので、撮影はかろうじて成功でした。しかし、もし三船が恐怖で立ちすくんでいたら、撮影は失敗で死傷者も多数出たかもしれないきわどいものだったそうです。
この映画はU-NEXTで見ることができます。