「ポカホンタス」と言えば、1995年のディズニーのアニメ映画としてご存じの方も多いのではないかと思います。
この映画では、「インディアンのプリンセス」としてのポカホンタスと、「美青年」ジョン・スミスの切ない恋物語として描かれていました。
しかし、実際のところはどうだったのでしょうか?前に「美談の裏話」という記事を書きましたが、これにも裏話がありそうです。
今回はこれについて考えてみたいと思います。
1.ポカホンタスとは
アメリカでは小学校の教科書にも載っているほど有名な歴史上の人物だそうです。
ポカホンタス(1595年頃~1617年)は、ネイティブアメリカン・ポウハタン族の酋長の娘(姫)です。
ネイティブアメリカン(アメリカ先住民)は文字を持たなかったため、彼女についての話は全て後世の文献によるものです。したがって入植者であるイギリス人が自分たちに都合よく作り上げた偶像のようにも見えます。
2.「ポカホンタスの美談」とは
(1)イギリスによるアメリカ大陸の植民地化の始まり
1607年に、ポウハタン族の領土であるテナコマカに、イギリスは「ヴァージニア植民地」を建設しました。当地の植民請負人がジョン・スミス(1580年~1631年)という探検家でした。彼は元兵士の船乗りで、大英帝国の植民請負会社である「ヴァージニア会社」に参加して、ヴァージニア初の入植地ジェームズタウンの建設に携わり、その後植民地指導者となりました。
ポウハタン族は、彼らの国に侵入したスミスやその他の白人入植者たちと和平調停を結び、彼らに食糧を援助し、友好関係を築きます。
しかし、白人の入植地拡大は、ネイティブアメリカンの生命財産を圧迫し始めます。植民地での食糧生産は計画通り進まず、植民請負人のジョン・スミスは各地のネイティブアメリカンの村で、村人を人質に取って脅迫し、食糧の略奪を行います。
白人がヴァージニアと名付けた土地のネイティブアメリカンたちは、恩を仇で返す白人の振る舞いに怒り、スミスたちがやったのと同じように白人を人質に取って戦います。
1612年、イギリス人たちは、部族指導者のポウハタン酋長の娘のポカホンタスを人質に取れば、ポウハタン族は屈服するだろうと考え、ポウハタン族の人質となったジェームズタウン入植者の身代わりとして、ポカホンタスを誘拐します。
彼女の解放条件として侵略者が提示したのは、「イギリス人捕虜の解放」「盗まれた武器の返還」「トウモロコシによる多額の賠償支払い」でした。
イギリス人たちは、ポカホンタスを通訳として役立てようと、彼女に英語を教えます。さらにキリスト教の洗礼を受けさせます。また、人質だったこの時期に、彼女はヴァージニアにタバコ会社を設立したジョン・ロルフに見初(そ)められ、1614年に彼と結婚しています。
1616年にロルフとポカホンタスは大英帝国に渡り、1617年までブレントフォードに住み、ジェームズ1世やその家臣たちに謁見しています。彼女はそこで「ネイティブアメリカンの姫」と紹介され、大英帝国にセンセーションを巻き起こします。彼女は「新世界アメリカ」の最初の国際的有名人となったのです。
ロルフはヴァージニアに戻ってタバコ栽培を行うことになり、ポカホンタスも同行しますが、彼女は途中の船中で病没してしまいます。23歳の若さでした。
彼女の一人息子トーマス(ジョン・ロルフとの間の子ではなく、実はトーマス・デール卿との間の子との説もあるそうです)はイギリスに一人残され、ロルフは単身ヴァージニアに戻り、再婚しています。
(2)ジョン・スミスの手記
ジョン・スミスは、ポカホンタスの死後の1624年以降に、「1607年12月に、川を遡ってネイティブアメリカンの土地を物色していたところ、ポウハタン族に拉致連行され、ポカホンタスの父のポウハタン酋長に処刑されかけたが、酋長の娘のポカホンタスが彼の前に身を投げ出して命乞いをしてくれたおかげで、無事に生還できた」という武勇伝を書くようになりました。
「1608年の冬に、ジェームズタウンが飢餓に陥った時期にも、ポウハタン族が食糧を届けて、入植地を全滅の危機から救ってくれた」とのことです。
どうもこの「美談」は、ジョン・スミスが植民事業成功の自慢話・手柄話として創作したもののようです。
(3)美談の「元ネタ」
1539年にアメリカ南東部を探検したスペイン人のエルナンド・デ・ソトが、フロリダで出会ったオランダ人捕虜のファン・オルティスから、「ネイティブアメリカンのヒッリヒグア酋長に生きたまま火焙りにされかけたが、酋長の娘の頼みで命を救われた」という真偽不明の話を聞かされており、この逸話が美談の「元ネタ」になった可能性もあるようです。
3.欧米人によって都合よく美化・偶像化されたポカホンタス
19世紀前半、ネイティブアメリカンの「同化」が進む中、ポカホンタスの「キリスト教徒への改宗」と「ヨーロッパ文明受容の物語」は、トーマス・ジェファーソン第3代大統領(1743年~1826年)の進めた「対ネイティブアメリカン同化政策」の可能性の象徴として絵画などに描かれるようになりました。
余談ですが、西部劇でよく白人開拓者にとって邪悪と凶暴さの象徴として描かれる「インディアン」は、ネイティブアメリカンです。彼らは約1万5,000年前の古代にユーラシア大陸からアラスカを経由してアメリカ大陸に渡って来た民族で、日本人と同じ「モンゴロイド系」民族です。インディアンという呼び方は、現代アメリカにおいては差別的な蔑称です。ネイティブアメリカンは民族的系統からもわかるように日本人と顔立ちが似ているため、西部劇のインディアン役は日本人が務めていたと聞いたことがあります。
4.ポカホンタスの子孫は全米屈指の名家
ポカホンタスの唯一の息子トーマス・ロルフは、一人娘ジェーンを残しました。ジェーンはロバート・ボーリング大佐と結婚し、一人息子ジョン・ボーリングを生みました。
彼の子供たちは「赤膚のボーリング一族(Red Bollings)と呼ばれ、ポカホンタスとポウハタン酋長およびヴァージニア最初の入植者に遡ることができる全米屈指の名家となっています。
ウッドロウ・ウィルソン第28代大統領夫人のイーディス・ボウリングもその一人であり、ほかにもロナルド・レーガン第40代大統領夫人のナンシー・レーガン、ジョン・マケイン議員などがいます。