この世の中には変わった芸術家がいるもので、人を小馬鹿にしたような「芸術作品」がいくつかあります。
今回はその中からいくつかご紹介します。
1.「便器にサインをしただけ」の芸術作品
フランス生まれの美術家マルセル・デュシャン(1887年~1968年)による「泉」という作品です。
これは普通の男子用小便器に「リチャード・マット(R.Mutt)」という署名をし、「泉」というタイトルを付けただけの作品(1917年制作)です。
マルセル・デュシャンは、「ニューヨーク・ダダ」の中心的人物と見なされ、20世紀の美術に最も影響を与えた一人と言われています。「ダダ(ダダイズム)」とは、1910年代半ばに起こった芸術思想・芸術運動で、第一次世界大戦に対する抵抗や、それによってもたらされた虚無を根底に持ち、既成の秩序や常識に対する否定・攻撃・破壊といった思想が特徴です。
彼はこの作品を1917年にニューヨークで開催された「独立芸術家協会」の「ニューヨーク・アンデパンダン」展に匿名で出品しようとしました。彼は「アンデパンダン展」の委員であり、出品料を支払えば無審査で誰でも出品できる規則でしたが、協会はこの作品の出品を許可しませんでした。
彼はこの決定を不服として、同展覧会の実行委員長を辞任し、この作品はその後行方不明となりました。
2.「音のない音楽」(4分33秒)という音楽作品
アメリカの作曲家ジョン・ケージ(1912年~1992年)による曲(通称「4分33秒」)です。音楽は音を鳴らすものという常識を覆す「無音」の音楽です。これが「曲」と言えるのかどうか、ド素人の私には疑問ですが・・・
楽譜には次のように記載されているだけです。
I
TACET
II
TACET
III
TACET
日本語に訳すと、「第一楽章 休み 第二楽章 休み 第三楽章 休み」ということです。
「楽章を通して休止すること」を表す「tacet」が全楽章で指示されているため、演奏者は舞台に出場してから、楽章の区切りを示すこと以外は楽器と共に何もせずに過ごし、一定の時間が経過したら退場します。
1952年8月にウッドストックで初演された時の合計時間が「4分33秒」であったため、このような通称で呼ばれています。
この曲は「無」を聴くよりも、演奏会場内外のさまざまな雑音、鳥の声、木々の揺れる音、会場のざわめきなどを聴くものとされています。
ところで、1965年にリリースされたサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」(The Sound of Silence)は美しいメロディーの曲で、1967年のアメリカ映画「卒業」の挿入曲としても有名です。この曲は題名が「沈黙の音(沈黙の世界)」というだけで、私のような団塊世代にも十分受け入れられる音楽です。
3.「下半分がシュレッダーで裁断された」絵画作品
前に記事に書きましたが、「バンクシー」という正体不明の謎の「覆面画家」の絵画「少女と風船」という作品です。
2018年10月にサザビーズのオークションで、104万ポンド(約1億5000万円)で落札されましたが、落札直後に「額縁に仕掛けられたシュレッダー装置」によって、絵の下半分だけが裁断されるという大変衝撃的で珍しい事件があった作品です。
しかも、驚いたことに、この「シュレッダー装置」を仕込んだのは「画家本人」で、「意図的に行われたいたずら」だったというのです。
さらに驚くべきことに、サザビーズによって作品名は「愛はごみ箱の中に」と変更され、落札者は、その半分裁断された状態の作品を落札価格で引き取ったそうです。
4.「政治活動そのもの」の芸術作品
前にあいちトリエンナーレに関する記事を書きましたが、その「表現の不自由展・その後」という企画展の「芸術作品」のことです。
「あいちトリエンナーレ」の2019年のテーマは「情の時代」(「情報が溢れ、感情に左右され、情けがそれらを制する時代」という意味だそうです)で、ジャーナリストの津田大介氏が「芸術監督」を務めました。
その中の企画展「表現の不自由展・その後」で、「慰安婦像によく似た少女像」や「焼かれるべき絵」と題した「昭和天皇の写真を焼くシーンを含む映像作品」、特攻隊隊員が寄せ書きした日の丸を使った「間抜けな日本人の墓」という作品などは「芸術に名を借りた反日プロパガンダ」の「政治活動そのもの」で、「最先端の現代アート」でも何でもないと思います。