2018年の大河ドラマ「西郷どん」の主人公だった西郷隆盛(1828年~1877年)の生涯については、「江戸城無血開城」や「西南戦争」などが多くの歴史ドラマや本で紹介されており、ご存知の方が多いと思います。
1.子孫のために美田を残さず
お金に関しては、「子孫のために美田を残さず」という名言(正しくは、「児孫のために美田を買わず」)を残したことで有名ですね。
これの原典は「偶成」という漢詩で、大久保利通に対して贈られたものです。
原文・訓読・意味は次の通りです。
幾歷辛酸志始堅
丈夫玉碎恥甎全
我家遺事人知否
不爲兒孫買美田幾たびか辛酸を歴(へ)て 志は始めて堅し
丈夫は玉と砕くるとも甎の全きを恥づ
我家の遺事 人 知るや否や
児孫の為に美田を買わず何度もつらく苦しいことを経験してこそ、志ははじめて強固なものになる
一人前の男たるもの、玉が砕けるように立派な最後であれば死はいとわず、むしろ、瓦のようにつまらない人生を長く生きることは恥じるものである。
わが家の遺訓を人々は知っているだろうか、ひとつお教えしよう。
子孫のためには、肥沃な田畑を買って残すようなことはするな、というものだ。
この漢詩は、「子孫を甘やかさないために財産を残さない」という西郷家の家訓を紹介することにかこつけて、大久保利通の贅沢な暮らしぶりや政治姿勢を諌言するものだったわけです。
つまり、私利私欲に走り、贅沢三昧にふける大久保利通をはじめとする政府高官をやんわり批判したものです。
彼はまた、伊藤茂右衛門から「知行合一」「致良知」の陽明学を学んでいます。彼の行動の根底には、陽明学の影響があったのかもしれません。大塩平八郎や吉田松陰にも通じるものがあります。
2.西郷札(さいごうさつ)
この「西郷札」については、あまり知られていません。
1877年の「西南戦争」の際、西郷軍は薩摩商人から「軍費調達」をする必要が生じ、士族商社の「承恵社」と「撫育社」によって発行された「承恵社札」によって、6万円を調達します。
その後、軍資金不足に陥った西郷軍は、戦時証券(軍票)の一種である「西郷札」を発行します。これは布製の「布幣」で、通用期間3年の「不換紙幣」でした。
発効当初から信用力に乏しく、少額札は多少の流通があったものの、高額札は西郷軍が軍事力を背景に、実効支配地域で無理やり通用させていたものです。
西郷札は、西郷軍の敗北とともにその価値を全く失い、紙屑となりました。明治政府からの「補償」(*)もなかったため、西郷札を多く引き受けた商家などは没落したものもあったりして、支配地域の経済に大きな打撃を与えました。(*)「承恵社札」は1878年に償還されています。
ただし西郷札の多くは明治政府に没収され、廃棄されましたので、現存するものは少なく、「通貨コレクター」の間では垂涎の的となっているそうです。
なお、松本清張はこの「西郷札」を扱った珍しい短編小説を書いています。これは、彼の処女作でもあります。ご興味のある方は、一度読んでみて下さい。