大正時代に学生の間で流行した「デカンショ節」の「デカンショ」は哲学者のデカルト・カント・ショーペンハウエルの略だという話があります。
これについては、前に「デカンショ節にまつわる面白い話。歴史や名前の由来などを紹介。」という記事に詳しく書いていますので、興味のある方はぜひご覧下さい。
ところで、この三人の哲学者の名前は知らない人もいないほど有名ですが、それぞれの人物の生涯や思想については、詳しく知っている方は少ないのではないかと思います。
前回「近世哲学の祖と言われるデカルトとはどんな人物だったのか?」という記事を書きました。
そこで今回は、デカルトの思想についてご紹介したいと思います。
1.デカルトの思想
(1)精神と身体を区別するための「心身二元論」
デカルトは、空間的広がりを持つが思考ができない「物質」の世界と、空間的広がりを持たないが思考はできる「心」という二つの実体があるとして、これらは互いに独立して存在するという「心身(物心)二元論(mind-bodydualism)」を唱えました。
また精神と身体の両者を、区別される2つの実体でありながら、相互作用が可能な関係にあるとするものです。
この二元論は、「心身問題」として2つの問題を提起することになります。精神を物質からの独立の存在としてどのように認めるのかという問題と、非物体である精神が、どのように物体である身体を動かすのかという問題です。
のちの合理主義者であるスピノザやマルブランシュ、ライプニッツは、それぞれが二元論の独自の哲学体系を展開してゆきます。
(2)真理を探究するための「方法的懐疑」
デカルトは真理の探究方法として、「方法的懐疑」を用いました。デカルトは当時において抽象的だった哲学に対して、確実な真理を発見するためにあらゆることを疑い、少しでも疑われることは推論から外し、疑いのない確実な真理を論理的に展開しようとしたのです。
17世紀科学革命の時代に生きたデカルトは、数学・幾何学によって得られた概念こそが疑い得ないものであると考えました。宗教的権威に基づく先入観を排除し、「全てのことを疑う」ことを通して確実な知識を求める方法的懐疑(確実なものに到達するまでの手段としての懐疑)を進めた結果、神の存在さえも疑うようになった当時の懐疑主義に対し、全てのものが懐疑にかけられた後にどれだけ疑っても疑い得ないものとして精神だけが残るとの結論に至りました。
この方法的懐疑から、デカルトは「我思う故に我あり」の命題に辿り着きました。
このように、「存在について語る前にどのようにして存在を認識するかを論じなければならない」というデカルトの主張は、世界の普遍的原理を理性で認識しようという形而上学の中心課題を、存在論(ontology)から認識論(epistemology)へ転回させることになりました。
余談ですが、2018年にノーベル医学・生理学賞を受賞した京都大学の本庶佑(ほんじょたすく)教授も、研究姿勢として、好奇心と簡単に信じないことの重要性を述べています。
この考え方は、本庶教授が大学院時代に指導を受けた西塚泰美教授から、「すべての論文は嘘だと思って読みなさい」と教えられたことが、根底にあるそうです。
これは、デカルトの「方法的懐疑」に通ずるものがありますね。
『方法序説』第4部で、デカルトの形而上学を示す「私は考える、だから私は存在する」という命題が書かれています。日本では「我思う、故に我あり」という文句でよく知られています。
この言葉は著書『省察』や『哲学の原理』でも類似の表現が使われており、またラテン語の表現もさまざまで、意味の解釈については諸説があります。ラテン語の「cogito」が「我思う」の意味であるため、「我思う、故に我あり」は「コギト命題」とも呼ばれます。
一般的には、考える理性としての「私」と、「私」が考える世界のみが絶対確実な原理である、とデカルトが定義づけたとされます。
デカルトの、理性を絶対的な存在とする考え方は、後にイマヌエル・カントが『純粋理性批判』で反論することになります。
(3)認識に達するための「方法の4つの規則」
デカルトは『方法序説』において、「自分の精神が受け入れうるあらゆる事柄の認識に達するための真の方法を探求する」ための「方法の4つの規則」を提示しました。
- 明晰の規則:自分が明証的に真理であると認めたもので、いかなる疑う理由もないほど精神に明晰判明にあらわれるもの以外は、真理として受け入れない
- 分析の規則:検討する問題をできるだけ小さな部分に分ける
- 総合の規則:それらの内もっとも単純で認識しやすいものから段階的にもっとも複雑なものへと順序立てて考える
- 枚挙の規則:見落としがないように一つひとつ数え上げて完全に枚挙し、全体を見渡す
(4)道徳指針としての「3つの格率」
デカルトは、学生時代に学んだ道徳は認識論的根拠が明確でないと考え、生き方の方針として次のような「3つの格率」を提示します。「格率」とは、規則という意味を持ちます。
- 「政治・宗教的な立場は保守主義をとり、そのほかの事柄は中庸の意見に従う」
- 「自分の意見には決然とした態度で迷わずに従う」
- 「自己に打ち勝つことに努め、世界の秩序よりも自己の欲望を変えることに努める」
デカルトは、自らに課した方法に従って自分の全生涯を真理の認識にあてることを決意し、哲学に没頭してゆきました。
(5)解析幾何学の基礎となる「デカルト座標」
デカルトは著書『幾何学』において、解析幾何学の基礎概念である「座標」の概念を初めて示しました。
解析幾何学とは、座標を用いることにより、図形のもつ性質を特徴づけたり、数式として図形を扱ったりすることができる数学のことです。
座標の発見により、デカルトは解析幾何学の創始者とされ、この概念は「デカルト座標」と呼ばれます。
(6)理性を働かせた推論によって知を導き出す「演繹法」
有限な経験からの帰納(帰納法)による「経験論」では真の知は得られないとして、普遍的で確実な真理に基づき、理性を働かせた推論によって知を導き出す「演繹法」による「合理論」を正しい学問の方法として提唱しました。
2.西洋哲学の二大源流とデカルトの位置付け
古代ギリシャで、プラトン(B.C.427年~B.C.347年)とアリストテレス(B.C.384年~B.C.322年)の二つの思想が誕生以来、ある時はプラトン思想を、またある時はアリストテレス思想を採用し、1000年以上の間、二つの思想の間で揺れ動いていました。
大きく分けるとこの二つの思想は、アリストテレスは「トマス主義」と、プラトンは「アウグスティヌス主義」と共にしながら発展していきました。
(1)アリストテレス・トマス主義
13世紀まではプラトンが最高の権威とされてきましたが、12~13世紀ごろからアリストテレスが徐々に知られるようになり、次第にキリスト教神学に受け入れられ始めました。
もともと、アリストテレスはプラトンのイデア論を修正し、乗り越えようとした思想です。
要は、プラトンの「超自然的な永遠不変の変わることのないイデア」を参照して、世の中の存在を「材料(質量)」と捉える思想を、アリストテレスは「材料(質量)」を、内的な力から変化する目的を持ったものと捉えました。そしてその変化の最終目的地を「純粋形相」としています。
この「純粋形相」は、プラトンの「イデア」に当たるわけですが、超自然的な神のようなものは、現実の彼岸にある超越的なものではなく、内的な力の最終目的地だとしたわけです。
したがって、このアリストテレスの哲学によると、「神の国」と「地の国」のように、非連続的にあるのではなく、「地の国」の先の先には「神の国」があるというように連続的なものと捉えることができます。
このアリストテレスの思想は、当時影響力のあったローマ教会にとって、国家への介入を許す都合の良いものでした。そのため、アリストテレス・トマス主義はキリスト教の正統教義として認められることとなります。
<アリストテレスの思想とは>
アリストテレスの思想は、「この世の本質は個々の独立・超越した目に見えない世界にある」というプラトンの「イデア論」と異なり、「本質は個々に宿る」というものです。具体的かつ現実的な事実から普遍的なものを捉えるという手法を唱えました。
この手法に基づいてさまざまな学問の基礎となる思想を築き上げたのです。アリストテレスは、学問を6つに分け、「論理学」「自然学」「形而上学」「倫理学」「政治学」「詩学」の順で体系的に学ぶのが良いとしました。
アリストテレスの思想は、ソクラテスやプラトンのように古い価値観、つまり古代ギリシャ的価値観を否定していません。ソクラテスやプラトンは、古い価値観に大なたを振るって、新たな哲学を打ち立てた人物なのですが、アリストテレスはそこに待ったをかけます。
アリストテレスは、プラトンの行き過ぎた考えを、巻き戻して、古代ギリシャ的な価値観と折衷しようとしました。
<トマスとは>
トマス・アクィナス(1225年頃~1274年)は、中世ヨーロッパ、イタリアの神学者・哲学者で、『神学大全』で知られるスコラ学の代表的神学者です。
「哲学は神学の婢(はしため)」(「哲学は神学の侍女」)という言葉で有名です。
(2)プラトン・アウグスティヌス主義
13世期にアリストテレス・トマス主義がローマ教会と共に影響力を強めました。しかし、ローマ教会が国家へ介入することで、教会は著しく腐敗しました。
そんな中で、14世紀ごろに、教会の浄化を目指そうと、再びプラトン・アウグスティヌス主義が復興し始めます。
「皇帝のものは皇帝に、カエサルのものはカエサルに」というスローガンのもと、「地の国」と「神の国」をきっちり分けようという運動が始まります。
このプラトン・アウグスティヌス主義の復興の中での哲学的な中心人物がデカルトです。
デカルトの思想の根底にあるのは、プラトン・アウグスティヌス主義です。
つまり、「神の世界」と「民の世界」、「超自然的原理」と「自然界」とを、断然と区別するべきであるとする思想が根底にあります。
そしてデカルトは、物理学や数学、光学などの最先端の科学研究も手掛けています。
<プラトンの思想とは>
生成変化する物質界の背後には、永遠不変の「イデア」という理想的な範型(あるべき姿)があり、イデアこそが真の実在であり、この世界は不完全な仮象の世界にすぎないという考えです。不完全な人間の感覚ではイデアを捉えることができず、イデアの認識は、かつてそれを神々と共に観想していた記憶を留めている不滅の魂が、数学・幾何学や問答を通して、その記憶を「想起」(アナムネーシス)することによって近接することができるものであり、そんな魂が真実在としてのイデアの似姿(エイコン)に、かつての記憶を刺激されることによって、イデアに対する志向、愛・恋(エロース)が喚起されるのだとしました。
世の中の存在は、生まれ、変化し、そして消滅する生き生きとしたものではなく、イデアの模造として作られ存在していて、そしてその他のものは質量(材料)に過ぎないという考えです。ちなみに、この質量は、マテリアルの語源となっています。
プラトンは、国家は成り行き任せではなく、理想をもとに作り上げていくべきものだと考えました。それが「イデア論」を作る大きなきっかけとなっています。
<アウグスティヌスとは>
聖アウレリウス・アウグスティヌス(354年~430年)は、ローマ帝国(西ローマ帝国)時代のカトリック教会の司教であり、神学者・哲学者・説教者です。