前衛美術家・随筆家で作家でもある赤瀬川原平氏(1937年~2014年)が1997年に「老人力」という概念を提唱し、1998年には「老人力」という本を出版し大変話題になりました。私もこの本を買って読みました。赤瀬川原平氏は、純文学作家としては尾辻克彦というペンネームを使っていますので、この名前でご存知の方もおられるかも知れません。
1.「老人力」とは
「老人力」とは「『物忘れが激しくなった』などの老化による衰えというマイナス思考を、『老人力が付いてきた』というプラス思考へ転換する逆転の発想」です。
彼は次のように述べています。
ふつうは歳をとったとか、モーロクしたとか、あいつもだいぶボケたとかいうんだけど、そういう言葉の代わりに、「あいつもかなり老人力がついてきたな」というふうにいうのである。そうすると何だか、歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい。
前記の「老人力」という本の帯の「語釈」には、「物忘れ、繰り言、ため息等従来、ぼけ、ヨイヨイ、耄碌として忌避されていた現象に潜むとされる未知の力」とあり、「老人力がついてきた」とは、「ぼけ、ヨイヨイ、耄碌の婉曲的表現」とあります。
赤瀬川原平氏は、藤森照信氏、南伸坊氏とともに「路上観察学会」という面白い学会を作っています。
藤森照信氏(1946年~ )は、建築史家・建築家で東大名誉教授です。屋根にタンポポを植えたタンポポ・ハウスに住んでいることで有名で私も「タンポポ・ハウスのできるまで」という本を読んだことがあります。彼はオフコースの小田和正氏と東北大学工学部建築学科の同期生です。
南伸坊氏(1947年~ )は、イラストレーター、エッセイスト、漫画家です。丸刈りでおむすび型の頭が特徴的なユニークな人で、有名人たちに扮装して顔まねをした「そっくり写真」の作品があります。私は「本人の人々」という面白いそっくり写真の本を買って読んだことがあります。
「路上観察学会」とは、「路上に隠れる建物・看板・張り紙など、通常は景観とは見做されないものを観察・鑑賞することを目的としたユニークな団体」です。老後の趣味としては、ぴったりの感じもします。私も「わがまち高槻の探検、再発見」をしようかと考えています。
ちなみに私自身も最近、とみに老人力が付いてきたように思います。
2.「アンチエイジング」とは
「アンチエイジング」とは、「加齢による身体的な衰え(老化)を可能な限り小さくすること」です。中年以降は、認知症、骨粗鬆症、皮膚老化、更年期障害、老眼、難聴などの老人病のリスクが高まります。これに対して、ホルモン作用・抗菌化作用・免疫調節機能を持つ機能性食品を摂取したり、筋力・有酸素トレーニング、意欲向上や心身ストレスからの解放を目指す精神療法、ホルモン補充などの薬物療法があります。
これらの有効性の実証は今後の課題となっています。
3.「定年力」とは
「老人力」とは「似て非なる言葉」に「定年力」というのがあります。
「定年力」とは、「定年という区切りを迎え、豊かで充実したセカンドライフを過ごすために、最低限必要な経済的な基礎知識力」のことです。
つまりこれは、60歳までの人を対象にした「定年後への備え」をしっかりすることを広く奨励するためのもののようです。
一般社団法人「日本定年力検定協会」が「定年力検定」を実施しています。この検定では「生活」「税金・不動産」「保険・年金」「金融」「相続」などの問題が出題されます。
いずれにしても、「人生100年時代」に「老後破産」をしないためにも、十分な準備をしておくことは必要だと思います。
50代の人は人生の最後の峠にさしかかっていると思いますが、今までの人生(サラリーマンの方は定年を間近に控えて)の「棚卸し」を行い、最後の「下りの人生」に備えてください。50代までは「人生登山」の勉強が必要でしたが、60歳からは「人生下山」の勉強が必要というわけです。
NHKテレビで火野正平さんが自転車で視聴者の思い出の地をめぐる「にっぽん縦断こころ旅」という番組がありますが、彼は「人生下り坂最高」と言っています。
「人生下り坂」だからか、時間・月日の経つのがどんどん速くなっていくように感じます。「光陰矢の如し」「烏兎怱怱(うとそうそう)」ということでしょうか?
私はサードステージも終わって「ファイナルステージ」というか「エクストラステージ」に入りますが、「アンコールステージ」と前向きに捉えて有意義な人生を全うしたいと思っています。
4.万葉集に見る「老人力」礼賛
万葉集巻10-1885に、詠み人知らずで「物皆は新しき良しただしくも人は旧(ふ)りにし宜しかるべし」という歌があります。
これは、赤瀬川原平氏の提唱した「老人力」ではなくて、昔懐かしいオーソドックスな「老人力の誇示」「敬老精神の奨励」の歌です。老人には深い知識や経験、人を導く力があるのだから、「年寄りだからといって侮るなかれ」と主張しているようです。
ちなみにこの歌は、その前(10-1884)に出ている老年を嘆く下の歌(詠み人知らず)とは反対で、「老人よ、嘆くなかれ」と激励しているようです。
「冬過ぎて春し来(きた)れば年月(としつき)は新たなれども人は古(ふ)りゆく」