1.俳句と川柳の違い
前に「サラリーマン川柳・シルバー川柳は現代の狂歌・落首」という記事を書いて少し触れましたが、俳句と川柳には似たところもありますが、明確な違いがあります。
(1)共通点
①どちらもリズムは五七五
どちらも五七五の十七音を基本としています。これは「連歌(れんが)」から五七五の部分を独立させたものです。
なお、伝統的な「定型俳句」に対して、五七五の定型に縛られない「自由律俳句」というものもあります。季題にとらわれず、感情の自由な律動を表現することに重きが置かれます。文語や「や」「かな」「けり」などの「切れ字」を用いず、口語で作られることが多いのも特徴です。しかし、これには賛否両論があります。
「自由律俳句」の具体例としては、次のようなものがあります。
・まっすぐな道でさみしい 種田山頭火
・咳をしても一人 尾崎放哉
・分け入っても分け入っても青い山 種田山頭火
・たんぽぽたんぽぽぽ砂浜に春が目を開く 荻原井泉水
②どちらも起源は俳諧の連歌
連歌とは、鎌倉時代の頃から盛んに詠まれた伝統的な和歌です。元々は上の句と下の句を別々の人が詠むという遊びが起源です。
その後、五七五と七七のリズムを基本に、複数の人が五七五→七七→五七五→七七のように連続して詠むという形式に変化していきました。
一句で終わる形式は「短連歌」といい、反対に連続して続く形式は「長連歌」といって、基本的には百句を一作品としていました。
この連歌から、さらに五七五の部分だけを独立させたものとして「俳諧」(後の「俳句」)が誕生しました。その後「俳諧(俳句)」よりもさらに自由な詩である「川柳」が誕生しました。
(2)相違点
①俳句には「季語」が必要
俳句では「季語」が重要視されており、なくてはならないものです。反対に川柳は季語がなくてもよいとされています。
季語や季題にとらわれない「無季俳句」(季語が使われていない俳句)もありますが、これには賛否両論があります。
「無季俳句」の具体例としては、次のようなものがあります。
・歩行(かち)ならば杖つき坂を落馬かな 松尾芭蕉
・襟にふく風あたらしきこゝちかな 与謝蕪村
・亡き母や海見る度(たび)に見る度に 小林一茶
・走ってぬれてきて好い雨だという 荻原井泉水
・入れ物がない両手で受ける 種田山頭火
・べっとりと濡れた今日の賃金が同じだ 橋本夢道
②俳句には「切れ字」が必要
連歌から独立した俳句には「切れ字」が必要とされました。「切れ字」とは、強く言い切る形で終わる「かな」、「や」、「けり」の三つです。
「かな」を使用した俳句の例は次のようなものです。
・鶯の笠落としたる椿かな 松尾芭蕉
・雪とけて村いっぱいの子どもかな 小林一茶
・帆柱に月待ちながら時雨かな 正岡子規
「や」を使用した俳句の例は次のようなものです。
・閑かさや岩にしみ入る蝉の声 松尾芭蕉
・菊の香や奈良には古き仏たち 松尾芭蕉
・春や昔十五万石の城下かな 正岡子規
「けり」を使用した俳句の例は次のようなものです。
・秋の色糠味噌壺もなかりけり 松尾芭蕉
・赤とんぼ筑波に雲もなかりけり 正岡子規
・しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり 与謝蕪村
③俳句は「文語体」が基本
プレバトのフジモン(藤本敏史)さんの俳句「はこね号これより初夏に入ります」のような口語体の俳句も最近は多くなりましたが、俳句はあくまでも文語体が基本です。
文語体には、口語体にない凛とした美しさがあります。
④俳句のテーマは「季節感を伴う自然」が中心で、川柳のテーマは人事
俳句は季節感の溢れる日本の美しい自然や四季を詠んだものが多いのに対して、川柳は皮肉を交えた言葉遊びのようなもので、「うがち・おかしみ・かるみ」という三要素を主な特徴としていて、人情の機微や心の動きを詠んだ句が多いのが特徴です。
2.季語とは
「季語」とは、「単語によって特定の季節や季節感を表現する言葉」です。
たとえば「桜」なら「春」、「月」なら「秋」といったようにそれぞれの単語が表す季節は決まっています。
季語には、自然の事実による「事実の季語」、「冬の海」のように季節を指定している「指定の季語」、伝統的な観点・美意識から季節が約束事として決められた「約束の季語」があります。
「約束の季語」の例としては「月」(秋)、「蛙」(春)、「虫」(秋)、「火事」(冬)などがあります。
「季重なり(きがさなり)」とは、「一つの俳句の中に季語が二つ以上詠み込まれていること」です。一方の季語が主であることが明らかな場合を除いて、通常はこれを嫌います。理由は主題が分裂するからです。
季語は「旧暦」を基本としていますので、現代の我々の「春夏秋冬」の感覚と多少ずれるところがあります。これについては前に「季語の季節と二十四節気・旧暦・新暦の季節感の違い」という記事に詳しく書きましたので参考にしてください。
季語のテーマは「時候」「天文」「地理」「人事」「行事」「忌日」「動物」「植物」「食物」と多岐にわたっており、それぞれが春夏秋冬に振り分けられています。
この季語を集めた本が「歳時記」(俳句歳時記)です。
なお「無季俳句」については、松尾芭蕉の高弟であった向井去来が著した俳論書「去来抄」の中に、門人・卯七からの「蕉門に無季の句興行侍るや」(蕉風では無季の句を発句とした俳諧連歌の興行は行われますか)との質問に対して、去来は次のように答えたと記されています。
無季の句は折々あり。興行はいまだ聞かず。先師曰く、発句も四季のみならず、恋、旅、離別等、無季の句もありたきものなり。されどいかなる故ありて、四季のみとは定めおかれけん。そのことを知らざれば、暫し黙しはべるなり。
3.季語の歴史
季語は、古くは「季の詞(ことば)」「季の題」「四季の詞」、あるいは単に「季」「季節」などと呼ばれていました。
なお、一句の主題となっている言葉を「季題」と言い、単に季節を表すだけの「季語」と区別する場合がありますが、両者の境界は曖昧で、同義に用いることも多くなっています。いずれにしても、「季題」も「季語」も近代以降に成立した言い方です。
日本の詩歌において「季節」は古くから意識されており、万葉集や古今和歌集でも「季節による部立て」が行われています。
季語が成立したのは、平安時代後期であり、能因法師による「能因歌枕」では月別に分類された150の季語が見られます。
五番目の勅撰和歌集である「金葉和歌集」では、それまで季節が定められていなかった「月」が秋の景物と定められ、以後「花」(季語では桜のこと)(春)、「時鳥(ほととぎす)」(夏)、「紅葉」(秋)、「雪」(冬)とともに、「五箇の景物(ごこのけいぶつ)」として重要視されました。
なお上の挙げた「月」については、「年中見られるが、月の清さは秋に極まるので、ただ単に『月』と言えば秋の季語にした」ということです。したがってそれ以外の季節の月を詠む場合は、春は「春の月」「春月」「朧月」、夏は「夏の月」「月涼し」、冬は「冬の月」「寒月」「冬三日月」のような季語を使います。
鎌倉時代に「連歌」が成立すると、「複数の参加者の間で連想の範囲を限定する必要性」から、季語が必須のものとされました。
「発句」(連歌の最初の五七五の句)は必ずその時の季節に合わせて詠むべきものとされ、室町時代の里村紹巴の「連歌至宝抄」では270ほどの季語が集められています。
江戸時代に「俳諧」が成立すると、卑近な生活の素材などからも季語が集められて著しく増加しました。
俳諧の最古の季語集「はなひ草」(野々口立圃、1636年)には590、「山の井」(北村季吟、1648年)では1,300、「俳諧歳時記」(曲亭馬琴、1803年)では2,600の季語が集められています。
松尾芭蕉は、漢詩・和歌以来の伝統的な季語を「竪題(たてだい)」(縦題とも言う)、俳諧からの新しい季語を「横題」と言い、「季節(季語のこと)の一つも探り出したらんは、後世によき賜(たまもの)となり」(去来抄)として、季語の発掘を推奨しました。
明治中期に「俳句革新運動」を起こした正岡子規は、俳句における季語について「俳諧大要」の中で、「その季節に関する広い連想を呼び起こすものであり、俳句という短い形式において必要なもの」と位置付けています。
子規の考えを受け継いだ高浜虚子も、「俳句の主題は四季を反映した自然(ならびにそれを反映した人事・生活)であるべき(花鳥諷詠)」と説き、無季俳句に対して厳しい態度を取りました。
昭和初期に起こった新興俳句運動は、都会や戦争など社会的素材を扱い、積極的に無季俳句を容認しました。
4.季語の進化
明治時代に西暦が導入されると、旧暦の季節感と西暦の季節感とのズレが生じることになったため、「正月の季語」は「新年の季語」として別扱いされるようになりました。
さらに「外地」が拡大していくに伴って、椰子や水牛などの各地の風物や年中行事が季語として取り入れられるようになり、北海道や沖縄県、台湾、日系人の多いブラジルやハワイなどでは独自の歳時記が編纂されるようになりました。
新しい季語は近代以降も、俳人が俳句に取り入れ、それが歳時記に掲載されるという形で増え続けており、現代の歳時記では5,000を超える季語が収録されています。
なお、現在は「公式に季語を認定する機関」は存在しません。
落語に「古典落語」と「新作落語」があるように、季語も時代とともに進化して行きます。季語の中には「時代の流れとともに、行われなくなった行事や使われなくなった言葉など」は「古季語」として忘れ去られ、朽ち果てるものもあります。
和歌の世界で奈良時代までは「花」と言えば「梅の花」を指しましたが、平安時代の古今集の頃になると「桜の花」を意味するようになりました。
また昔は「きりぎりす」は今の「コオロギ」を指す言葉で、「こほろぎ」が今の「キリギリス」を指す言葉でしたが、江戸時代の頃からそれが逆転しました。
「すずむし」と「まつむし」にも同様の逆転現象があります。
「登山」の「子季語」として、「ケルン」「ヒュッテ」「ブリザード」「ブロッケン」なども名句が生まれれば、新しい季語になり得ると思います。なお、「ケルン」は「積石」とともに掲載されている歳時記もあるようで、「ヒュッテ」も「山小屋」という季語はすでに定着しています。
ちなみに「ブリザード」とは「吹雪を伴う暴風、極地方の暴風雪」のことで、既に季語にある「吹雪」よりも強烈なものです。
また「ブロッケン」とは「ブロッケン現象」と呼ばれる山岳で見られる気象現象で、「太陽などの光が背後から射し込み、影の側にある雲粒や霧粒によって光が散乱され、見る人の影の周りに虹と似た光の輪となって現れる大気光学現象」のことです。
日本語では、「御来迎(ごらいごう)」「山の御(後)光」「仏の御(後)光」、あるいは単に「御光」とも呼ばれます。日本ではこの現象で出現する影は「阿弥陀如来」と捉えられ、「観無量寿経」などで説かれる空中住立の姿を現したと考えられていました。
なお、現在季語にある「御来迎」は、「富士山や木曽御嶽などの高山の頂上近くで早暁に日の出を迎えること」を指しています。
また「登山」は「夏」の季語とされていますが、昔の宗教や信仰と深く結びついた登山だけでなく、現代はスポーツや趣味としての野外活動で、「冬(山)登山」や「春登山」「秋登山」も盛んになっていますので、これも名句が生まれれば、それぞれの季節の季語となり得るのではないでしょうか?
既に知られている季語としては、「冬の山」「冬嶺(ふゆね)」「冬山路(ふゆやまじ)」、「春の山」「春山」「春山辺(はるやまべ)」、「秋の山」「秋嶺(しゅうれい)」「秋の峰」などがあります。