明治時代の若者の志向は「立身出世主義」で、「身を立て名を上げる」「功成り名遂げる」「故郷へ錦を飾る」「男子志を立てて郷関を出ず。学もし成らずんば死すとも還らず」といった悲愴な決意の言葉を思い浮かべます。
1.江戸時代の「立身」と「出世」
江戸時代は、武士の世界において「立身」という言葉が使われ、庶民の世界では「出世」という言葉が使われました。
「孝経」の中に「身ヲ立テ道ヲ行ヒ、名ヲ後世ニ揚テ以テ父母ヲ顕スハ、孝之終也」とあるように儒学の用語です。
「出世」は元来、仏が衆生を救うために仮にこの世に現れることを意味する仏教用語です。
江戸時代は厳しい身分社会であったため、「自己の分を知り、分に安んじる身分相応」というのが社会規範(分限思想)でした。
身分を超えた欲望を持つことは不道徳であったため、奢侈や立身出世へのとどまることを知らない欲望は抑制されました。
2.明治時代の「立身出世主義」
ところが、明治時代になると、江戸時代の厳しい身分制度から解放されて、能力主義が徹底されたため、江戸時代に下級武士であった者も能力次第で明治新政府において出世できたし、農民や職人の子供でも学問の出来る者は上級学校や大学に進めるようになったので、「野心家」が続々と立身出世を目指したのでしょう。
3.団塊世代私の仕事観・人生観
団塊世代のことを一般論として論じることは私には不可能です。しかし、この世代はあまりにも人数が多いため、前後の世代に比べるとポストも少なく思い通りの立身出世が出来なかった人も少なくないでしょう。
私もそのうちの一人ですが、ある程度のところで諦めざるを得なかったというのが正直なところです。そういう意味で、江戸時代の「分限思想」と似ているかも知れません。
もちろん激烈な競争を潜り抜けて立身出世した人もたくさんおられると思いますが、仕事上のストレスも並大抵ではなく、それ相応の苦労もされたことと思います。
4.最近の若者の仕事観・人生観
最近は、「仕事ばかりの人生はいや」とか「お金より家族との時間が大切」といった考え方を持つ若者が増えているようです。
「仕事は個人の自己実現に従属する」という考え方に変わってきています。高度成長期までの「会社人間」「企業戦士」「滅私奉公」の考え方は通用しなくなっています。
かつては、「いわゆるいい大学を出て大きな会社に勤めて一生懸命働けば、安定して幸せな人生を送れる」という価値観が一般的でしたが、最近はそういうことにとらわれない若者も増えてきているようです。
これは「東京一極集中」の歯止めになる新しい考え方と言えるのではないかと私は思います。必ずしも東京や大阪の大都市で働くのではなく、地元に帰って働きたいという若者が増えれば、「地方の活性化」にもつながると思います。
このような若者が増えることを期待したいものです。