「竜」は実在の動物ではなく、「想像上の動物」「空想上の動物」です。「麒麟」や「河童」もそうですが、古来洋の東西を問わず、このような想像上の動物・空想上の動物が生まれました。
最近の「ネッシー騒ぎ」や「ツチノコ騒動」は、捏造か何か別の動物を見間違った可能性が高いと私は思います。
古代の人々は、現代人と違って想像したり、空想したりすることが多かったのではないかと思います。
そこで今回は、「竜」を含む面白いことわざ・慣用句・熟語の中から面白いものをいくつかご紹介したいと思います。
1.「竜」を含む面白いことわざ・慣用句
(1)虎口を逃れて竜穴に入る(ここうをのがれてりゅうけつにいる)
「一難を逃れて、また他の難儀にあうこと」「次々に災難に会うこと」のたとえです。
「前門の虎後門の狼(前門に虎を防ぎ後門に狼を進む)」「火を避けて水に陥る」「一難去ってまた一難」もよく似た意味です。
(2)亢竜悔いあり(こうりょうくいあり)
「富み栄える者、また高い地位にある者は、慎まなければ過ちを生じて悔いることがあること」です。またそれを戒める言葉です。「富貴栄華や高い地位を極めた者は、これを持続することは難しく、必ず衰えることをよく考えて、自分をよく慎むべきというたとえ」でもあります。
「亢竜」は「天高く昇りつめた竜、進むを知って退くことを知らない竜」のことです。四字熟語では「亢竜有悔(こうりょうゆうかい)」と言います。「易経」乾卦が出典です。
(3)竜虎相摶つ(りゅうこあいうつ)
「優れた実力を持つ英雄や力の伯仲した強豪同士が勝敗を争うことのたとえ」です。
(4)竜と心得た蛙子(りゅうとこころえたかえるこ)
「子供に対する親の欲目から来る見込み違いのたとえ」です。将来は竜のような立派な人物になると期待していたわが子も、やはり自分と同じように平凡な蛙の子に過ぎなかったということです。
このことわざは、身につまされる思いです。
(5)人中の竜(じんちゅうのりゅう)
「極めて優れた人物、特に傑出した人物のたとえ」です。
「人中の騏驥(じんちゅうのきき)」「人中の獅子」も同様の意味です。
2.「竜」を含む面白い熟語
(1)画竜点睛(がりょうてんせい)
「物事の一番重要な部分のこと」または「物事を完成するために、最後の仕上げとして手を加える重要な部分のこと」です。また「肝心なところに手を入れて、全体を一層引き立たせるたとえ」です。
「画竜」は「絵の竜」で、「点睛」は「目を描く」ことです。「睛」は瞳(ひとみ)のことで、「晴(はれ)」と書くのは誤りです。
一般には「画竜点睛を欠く」と用います。古代唐の時代に書かれた中国最古の絵画史「歴代名画記」が出典です。
中国六朝(りくちょう)時代、梁(りょう)の絵の大家張僧繇(ちょうそうよう)が都金陵の安楽寺に四頭の竜の絵を描きましたが、睛を描き入れると竜が飛び去ってしまうと言って、睛を描き入れませんでした。
世間の人はこれをでたらめだとして信用せず、是非にと言って無理やり睛を描き入れさせたところ、たちまち睛を入れた二頭の竜が天に昇り、睛を入れなかった二頭はそのまま残ったという故事です。
(2)一竜一猪(いちりょういっちょ/いちりゅういっちょ)
「努力して学ぶ者と怠けて学ばない者との間で、極めて大きな賢愚の差ができるたとえ」です。また「優れた者と劣った者のこと」です。
「竜」は変幻自在で霊妙な才能のある賢者や大成者のたとえで、「猪」は豚のことで、無知で愚かな人のたとえです。
(3)雲竜井蛙(うんりょうせいあ/うんりゅうせいあ)
「地位や賢愚などの差が非常に大きいことのたとえ」です。「雲竜」は雲高く翔(かけ)る竜の意から、高貴または高いことのたとえです。「井蛙」は井戸の中のカエルの意で、貧賤または低いことのたとえです。
(4)臥竜鳳雛(がりょうほうすう/がりゅうほうすう)
「機会を得ず、まだ世に隠れている優れた人物のたとえ」「才能はあっても、機会がないために才能を発揮できない人のこと」です。また「将来が期待される若者のたとえ」としても用いられます。
「臥竜」は伏し隠れている竜、「鳳雛」は「鳳(おおとり)」のひなのことです。「鳳」は、想像上の瑞鳥(ずいちょう)の「鳳凰(ほうおう)」のことです。
中国三国時代に有能な人材を探していた劉備に、司馬徽が「諸葛亮(諸葛孔明)」を「臥竜(伏竜)」にたとえ、「龐統(ほうとう)」を「鳳雛」にたとえて軍師に推薦した言葉が由来です。
出典は「三国志」「蜀志・諸葛亮伝」です。
「伏竜鳳雛(ふくりょうほうすう/ふくりゅうほうすう)」とも言います。「孔明臥竜(こうめいがりょう)」も同様の意味です。