前に「血液型性格診断」と「豊臣秀吉の血液型と猿の血液型」の記事を書きましたが、今回はその血液型がA・B・C型でなくA・B・O型になった理由をご紹介したいと思います。
1.血液型の発見
(1)3つの血液型の発見
1901年にオーストリアの病理学者カール・ラントシュタイナー(1868年~1943年)によって、人間の血液型の違いが発見されました。
(2)A型・B型・C型と命名
彼はウィーン大学病理解剖学研究所のスタッフ22名の赤血球と血清の凝集反応によって、三種類の血液型を発見し、A型・B型・C型の三つに分類しました。
A型の人は赤血球の表面に「A抗原」(A型の抗原物質)といわれる物質を持っています。そのため「A型」とよばれるのです。とすれば、同様にB型の赤血球には「B抗原」(B型の抗原物質)があることは想像できますね。
それではC型(後の「O型」)はどうでしょう?同様に「C抗原」を持っている・・・わけではありません。C型は、A型やB型と違って「A抗原」も「B抗原」どちらも持っていません。
赤血球の表面には「抗原」がありますが、血漿中すなわち赤血球のまわりには「抗体」があります。この「抗体」は、「自分の体に存在しない特定の抗原」に反応するために作られます。
例えば、A型の人は「A抗原」を持っていますが、「B抗原」は持っておらず、「B抗原」に反応する「抗B抗体」が赤血球のまわりにたくさん流れているのです。逆にB型の人は「抗A抗体」を持っています。
そしてC型の人は「抗A抗体」と「抗B抗体」の両方を持っているのです。
しかし彼はもう一つの血液型があることを見落としていました。
2.第四の血液型の発見
(1)第四の血液型の発見
カール・ラントシュタイナーが最初に血液型を発見した翌年の1902年に、彼の弟子であるアルフレッド・フォン・デカステロとアドリアノ・シュテュルリによって第四の血液型が発見されました。
この第四の血液型は、「A抗原」(A型の抗原物質)と「B抗原」(B型の抗原物質)の両方を持っている血液型です。そして、この血液型は「抗A抗体」「抗B抗体」のどちらも持っていません。
(2)「AB型」と命名
そして、1910年にエミール・フライヘル・フォン・デュンゲルンとルードビッヒ・ヒルシュフェルドによって、第四の血液型は「AB型」と命名され、「C型」の名称は「O型」に変更され全世界に広まっていきました。
(3)「C型」が「O型」と呼ばれるようになった理由
実はラントシュタイナーは当時、A型の抗原物質を持っている血液型を「A型」、B型の抗原物質を持っている血液型を「B型」、どちらの抗原物質も持っていない血液型を「C型」と呼んでいました。
そこから、「C型」は「AとBのいずれの抗原物質も持たない」という「0(ゼロ)」という意味で「0型(ぜろがた)」に転じました。
それらの血液型はのちに、いろいろな文書となって印刷されることになりました。
しかしいつの間にか、0型の「0(ゼロ)」が英字の「O(オー)」と間違えられるようになり、その間違った「O(オー)」の方が普及してしまい、「O型」となったのです。
3.国際連盟でA・B・O・AB型と呼ぶことに正式決定
当時の血液型の呼び方は、研究者によって異なり、混乱が生じたことから、1927年国際連盟・第3回血清標準委員会においてA・B・O・AB型と呼ぶことに統一され、現在に至っています。
なお、ラントシュタイナーは、「人間の血液型の発見」の功績によって、1930年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。