大阪の「面白い地名の由来」

フォローする



船場の古い商家

大阪には、面白い地名がいくつもあります。今回は大阪の中心部の四つの地名の由来についてお話したいと思います。

1.船場(せんば)

「大阪商人」と言えば、日本三大商人(大阪・近江・伊勢)の一つとして有名ですね。その大阪商人の代表格と言えば「船場商人」で、高い格式を誇ってきました。

現在、船場の古い商家は、小西株式会社の店舗「旧小西家住宅」(国の重要文化財)などが僅かに残っていますが、ほとんどがビルに建て替えられています。

大阪は、初め石山本願寺の寺内町(じないまち)として発展し、1583年(天翔1年)には豊臣秀吉の城下町となり、豊臣氏滅亡後は幕府の直轄領となりました。

この船場という地域は、大阪城の西方から南西方向にかけての河川と人工の堀に囲まれた四角形の東西1km、南北2kmの地域です。東端が「東横堀川」、西端が「西横堀川」、南端が「長堀川」、北端が「土佐堀川」です。(ただし現在、「西横堀川」「長堀川」は埋め立て済みで、「東横堀川」は残っていますが、その上を阪神高速1号環状線南行きが走っています。埋め立てられた「西横堀川」の上には、阪神高速1号環状線北行きが走っています)

本町通の北側を「北船場」、本町通の南側を「南船場」と呼ぶこともありますが、大阪の中心部そのものです。

「船場」の地名の由来については、いくつかの説があります。

(1)しばしば戦があった場所で、「戦場」と呼ばれた(2)大坂城の馬を洗った場所で、「洗馬」と呼ばれた(3)砂浜であったため「砂場(さば)」と呼ばれ、センバに転訛した(4)古代は船着き場であって、着船場の「着」を省いて「船場」となった

2.北浜(きたはま)

「北浜」と言えば、東京の「兜町」と並んで「証券の街」「金融街」としてして知られています。「兜町」が「シマ」と呼ばれるのに対して、「北浜」は「ハマ」と呼ばれています。

「北浜」の地名の由来は、「船場の北の浜」ということから来ています。

3.谷町(たにまち)

「谷町」は大阪城のすぐ西側の地域で、現在の谷町1丁目から9丁目までを指します。

「谷町」の地名の由来は、上町台地が西側へ落ち込む地形になっているためです。

大手前の官庁街や法務局に近いことから司法書士事務所が多いほか、寺院も多いです。

相撲の力士を応援するスポンサーのことを「タニマチ」と呼びますが、これは谷町6丁目の外科医の薄恕一(すすきじょいち)さんが、幕下力士のために病院内に土俵を設けるほどの相撲好きで、幕下力士を無料で治療したり、小遣いをあげたりしたことに由来するそうです。

なお、「タニマチ」の語源となったと言われる医師や呉服商が、薄さんのほかにも谷町にはおられたようです。これは、かつて大相撲春場所で、多くの相撲部屋が谷町界隈に宿舎を構えたことと無縁ではなさそうです。

4.立売堀(いたちぼり)

「立売堀」は、大阪城の西方、大阪市西区の地域です。東は北久宝寺・南久宝寺に接し、西は本田(ほんでん)、北西は江之子島・西本町、南は新町、北は阿波座に接した地域です。

江戸時代から、南部に立売堀川、北西部に薩摩堀川、西端部に百間堀川が流れていましたが、昭和中期に埋め立てられました。江戸時代から材木の集散地として栄え、大正以降は金属や機械などの問屋街となっています。

西郷輝彦さんが主演したテレビドラマ「どてらい男(やつ)」のモデルは事業家の山本猛夫さんですが、彼の創業した株式会社山善大阪本社はこの立売堀にあります。

「立売堀」の地名の由来は、大坂冬の陣・夏の陣の時、伊達氏がこの付近に堀を作り、陣地を構えていたことから、「伊達堀(だてぼり)」と呼ばれていました。

しかし、「伊達氏」のことをよく知らないか、漢字をよく読めない大阪の庶民が、「いたちぼり」と誤読したことから、こう呼ばれるようになったそうです。後に材木の「立ち売り」が許可されるようになったので、漢字だけ「立売」に改められたそうです。



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする