1.名司会者三國一朗氏にまつわる思い出話
私が「大阪21世紀協会」に出向していた時、「大阪築城400年まつり」(別称「大阪城博覧会」)という大きなイベントがあり、その開幕式典の司会を三國一朗氏(1921年~2000年)にお願いしました。彼は、私が子供の頃からテレビで見て知っている放送タレント・エッセイストですが、元アサヒビール社員でした。
彼は営業部に所属していた時に、社命でテレビ「ほろにがショー何でもやりまショー」の司会者になりました。1956年(昭和31年)に退社し、司会者・タレント専業となっています。1964年から10年間、東京12チャンネル(現テレビ東京)で「私の昭和史」の司会を担当しました。
彼のマネージャーの年配のご婦人から、「三國は仕事のオファーを受けたり、スケジュール管理以外は何でも自分でやる人です」と聞いていました。リハーサルの当日、私がホテルプラザまで迎えに行き、タクシーを呼ぼうとすると「私はいつも会場までは一人で電車に乗って行きます。切符も自分で買います」とのことでした。
仕方なく私も電車(JR大阪環状線)に同乗して、会場の「大阪城ホール」まで行くことにしました。私は彼が元アサヒビール社員だと聞いていたので、「大阪でお勤めになったことがあるのですか?」と聞くと「僕は恵比寿の東京本社です」と簡単に答えられただけだったので、話の接ぎ穂が見つかりませんでした。
後で考えると、三國氏は電車に乗っている間も言葉少なで、車窓の景色を見ながら「ウォーミングアップ」というか、司会のシミュレーションを頭の中でしていたのかも知れません。
それと、東京ほどではないと思いますが大阪でも、車だと渋滞に巻き込まれて遅れるリスクがあるので、それを避けて確実に電車で行くというポリシーを持っていたのかも知れません。
2.「大阪21世紀協会」とは
「大阪21世紀協会」(現在の「関西・大阪21世紀協会」)とは、「21世紀の国際都市づくりを目指して、文化を基盤とした大阪の活性化・まちづくりを進め、『文化力向上』『関西・大阪のイメージ向上』『水都大阪まち育て』の三本軸で事業展開をしている大阪府・大阪市・民間企業が一体となった第三セクター」です。
「大阪築城400年まつり」のほかに「御堂筋パレード」などのイベントを実施しました。
なにわ大坂をつくった100人 その素顔を探し求めて 16世紀〜17世紀篇 歴史は生きている最新フィールドノート[本/雑誌] / 関西・大阪21世紀協会/編著
3.「大阪築城400年まつり」とは
1983年10月1日から11月30日まで、「大阪21世紀計画」のプロローグと「大阪城の築城400周年」を記念して、大阪城公園一帯を舞台として開催されたイベント(地方博覧会)です。
このイベントの「開幕式典」が「大阪城ホール」(正式名称は「大阪城国際文化スポーツホール」)を舞台に、当時の皇太子(現在の上皇)ご夫妻をはじめ、国内外の来賓約9,000人の出席のもと、「大阪築城400年まつり」と「大阪21世紀計画」の開幕セレモニーが行われたのです。
初代協会長を務めた松下幸之助氏が高らかに開幕宣言を行いました。
催し物には宝塚歌劇団や谷村新司、尾上菊五郎などが出演していました。
【中古】中国秦・兵馬俑 ’83〜’84 大阪築城400年まつり特別展示 / 江上波夫・田辺昭三 / 大阪21世紀協会
4.「大阪21世紀計画」とは
大阪21世紀の総合計画である「人が元気・暮らしが安心・都市が元気~大阪の再生・元気倍増プラン」と、大阪市が考える「アジアの交流拠点として都市の活気があふれる大阪の街づくり」、「人が集まり、育ちや新しいものを生み出す大阪づくり」「暮らしたい・訪れたい・魅力あふれる大阪づくり」を柱として、「水都大阪」「文化創造都市・大阪」の実現を目指して取り組む計画です。