「男女七歳にして席を同じうせず」という言葉をお聞きになったことがあるでしょう。
これが戦前の「男女別学」の根拠となっていたようです。封建時代や明治時代の「男尊女卑」の社会風潮の影響もあったのだと思いますが、この言葉の本来の意味はそうではなかったのです。
1.「男女七歳にして席を同じうせず」の出典と意味
(1)出典
儒教の経書の一つ「礼記(らいき)ー内則(だいそく)」にある次の言葉が出典です。
「六年にして之(これ)に数と方の名とを教え、七年にして男女、席を同じうせず。食を共にせず」
「礼記」は、中国古代の礼(れい)(*)の規定およびその精神を雑記した書物です。
(*)「礼」は、人が従うべき社会の模範のこと
儒教の最も基本的な経典であるの経書の一つで、四九篇あります。周末から秦、漢にかけての諸儒の、古礼に関する諸説を整理編集したものです。通常、漢の戴徳(大戴)がまとめたものを、従兄の子戴聖(小戴)がさらに改修して成立したとされます。
「周礼」「儀礼」と合わせて「三礼」と称されます。
(2)意味
「年齢が7歳にもなれば、男と女の性は違うものであるという意識を持たせ、 同じ場所に座らせてはいけない」という、中国の古い教えです。
なお前段の文章は「6歳になったら子供に数と方角の名前(東西南北のこと)を教えよ」という意味です。そして後段は「8歳になったら小学に入れよ」と続きます。
つまり、この文章は6歳から8歳までの成長に応じた子育て・しつけが記されているのであって、「男女が学校で別々に勉強する」とは一言も書かれていません。そもそも7歳の子供はまだ学校に入っていないのです。
ここで言う「席」は「座席」という意味ではなく、「敷物、ござ」のことです。男女が、同じござの中で、一緒に座ってはいけないという意味です。
この「敷物、ござ」は蒲団としても用いられていました。つまり、「男女七歳にして席を同じうせず」は暗に、同じ蒲団で寝てはならないと戒めているのです。
「たとえ幼い男女であっても、性の違いを知らないで、親しくなってはならない」という儒教の古く、厳しい教えです。男女のみだらな性の関係を戒めるための言葉です。
現在では、男女の区別が幼時から厳しいことのたとえや、男女の区別は幼児でも厳しくすべきだというたとえに引かれます。
2.「イスラム法」との関係
最近アフガニスタンで、アメリカ軍の完全撤退に乗じて「タリバン」が政権を奪取し、女性の権利を制限するのではないかと心配されています。
タリバンの報道官が「イスラム法の範囲内で女性の権利を保障する」と述べているからです。
アフガニスタンなどのイスラム社会(ムスリム)の女性が「ヒジャブ」や「ブルカ」で顔や体を覆うのは、我々から見るといかにも行き過ぎで、理解に苦しみます。
また、「女性は家の中にいて、子育てや家を守ることに専念すべきもの」という考え方は、かつての中国や日本などにも根強くあった考え方ですが、現代社会の趨勢ではありません。
3.「LGBTQ」との関係
「LGBTQ」との関係で言えば、そもそも男女の別を前提とする考え方が受け入れられないでしょう。
ただ、今の「LGBTQ」に阿(おもね)るような風潮は、私は行き過ぎだと思います。
「男女の区別を前提とした男女平等。ただし性的マイノリティも存在することを認める」というのが基本であり、ヴィクトリア朝の道徳ような「女はか弱き者であり、レディーファーストで、女性は家庭を守り、男は外で働くべし」というのは画一的で偽善者のようですし、ブルネイのイスラム法のような「同性愛は死刑」というのも極論だと思います。