1.万葉集とは
(1)万葉集の歌の特色
従来の日本の「元号」が中国の古典を元にして作られてきたのに対し、「令和」の元号が日本の古典である万葉集を元にしたことで大変話題となりました。
ところで万葉集の歌と言えば、「おおらか」「雄渾」のような形容詞で語られることが多く、「格調高い文学」という評価・見方が一般的で、斎藤茂吉らの「アララギ派」の歌人が理想とした「万葉調」でも有名です。
「万葉調」は、おおむね「素朴、雄大、重厚、明朗、直截」などの言葉で説明されるますが、賀茂真淵が『古今集』以後の「たをやめぶり」に対して「ますらをぶり」と評したのは有名です。
また現代の言葉と違って「古語」のため、難解であり、敬遠する人も多いようです。
(2)万葉集の概要
「万葉集(萬葉集)」は、奈良時代末期に成立したとみられる日本に現存する最古の和歌集です。万葉集の和歌はすべて漢字(万葉仮名を含む)で書かれています。全20巻4,500首以上の和歌が収められており、「雑歌(ぞうか)」(宴や旅行での歌)、「相聞歌(そうもんか)」(男女の恋の歌)、「挽歌(ばんか)」(人の死に関する歌)の3つのジャンルに分けられます。和歌の表現技法には、枕詞、序詞、反復、対句などが用いられています。
天皇、貴族から下級官人、防人(防人の歌)、大道芸人、農民、東国民謡(東歌)など、さまざまな身分の人々が詠んだ歌が収められており、作者不詳の和歌も2,100首以上あります。7世紀前半から759年(天平宝字3年)までの約130年間の歌が収録されており、成立は759年から780年(宝亀11年)ごろにかけてとみられ、編纂には大伴家持が何らかの形で関わったとされています。
2.万葉集の「大胆で斬新な視点」による大塚ひかりの超訳(新解釈)
(1)「大塚ひかり」とは
大塚ひかり(1961年~ )は、早稲田大学第一文学部史学科(日本史)卒の古典エッセイストです。
大学卒業後は出版社に勤め、1988年、失恋体験を綴った『いつの日か別の日か―みつばちの孤独』(主婦の友社)でデビューしました。
1991年に平安朝古典を題材にした『愛はひき目かぎ鼻』、1994年に『源氏物語愛の渇き』 を刊行し、『源氏物語』を中心にした古典エッセイストとしての地位を次第に確立しました。
彼女の関心はセックス、下ネタ、マンガなど幅広い分野に及んでいます。
『面白いほどよくわかる源氏物語 平安王朝のロマンと時代背景の謎を探る』(学校で教えない教科書)(2001年)、『愛とまぐはひの古事記』( 2005年)、『えろまん エロスでよみとく万葉集』(2019年)もその延長線上の作品です。
(2)「大胆で斬新な視点」とは
学校で習った万葉集は、極端なたとえで言えば、戦前の天皇のように「神聖不可侵」で、「不真面目でふざけた勝手な解釈は許さない」というような雰囲気がありました。
ところが大塚ひかりの超訳(新解釈)によると、「万葉集の本質はエロス」ということです。「にわかには信じがたい」というのが多くの方の感想だと思います。
余談ですが、私は高校の現代国語の授業で、与謝野晶子の歌集「みだれ髪」にある「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」という和歌について、先生が「とてもコケティッシュ(coquettish)な歌だ」と解説したのを聞いてドキッとした記憶があります。
その時はコケティッシュという英単語を知りませんでしたが、意味はすぐわかりました。「媚態、艶美、なまめかしい、あだっぽい」という意味の形容詞です。そのおかげで、名詞の「coquette」「coquetry」もあわせて覚えられました。
この歌は伝統的な歌壇からは反発を受けましたが、世間の圧倒的支持を受け、歌壇に大きな影響を及ぼしました。彼女はこの歌にちなんで「やは肌の晶子」とも呼ばれました。
浪漫主義の情熱的歌人である与謝野晶子の歌にエロスの要素があることは間違いありませんが、万葉集にそのような要素があるのか、次に具体例でみて行きたいと思います。
3.エロスが横溢する万葉集の超訳『えろまん エロスでよみとく万葉集』
大塚ひかりの『えろまん エロスでよみとく万葉集』は、衝撃の古典超訳です。
(1)「君、センスいいね。俺、天皇」といきなりナンパしたり、(2)「彼氏が来るからパンツ脱いで待ってよう♪」と赤裸々過ぎたり、(3)単身赴任先で愛人に入れあげてたら本妻が乗り込んできたり! 新元号「令和」の出典として大注目の『万葉集』は、現代のツイッターも真っ青、エロ面白い歌のオンパレードだった!?ようです。
(1)万葉集巻頭にある雄略天皇の長歌
<原文>
籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち
この岡に 菜摘ます児 家告らせ 名告らさね
そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居れ
しきなべて 我こそいませ
我こそは 告らめ 家をも名をも
<大塚ひかりの超訳>
その籠、ナイスだね。スコップもセンス抜群だね。超おしゃれな籠とスコップを持って、この岡で若菜を摘んでるそこの君、家はどこ?名前を教えて。見てごらん、視界の限り、大和は俺が治める国さ。隅から隅まで俺の息がかかっているんだぜ。俺こそ教えてやるよ、家も名前もね。
(2)山上憶良の「七夕(なぬかのよ)の歌」の十二首のうちの一首
<原文>
天(あま)の川(がは)相(あひ)向き立ちて我(あ)が恋ひし君来ますなり紐(ひも)解(と)き設(ま)けな
<大塚ひかりの超訳>
天の川に向かって立ち、私が恋し続けたあの方が来る。下着の紐を解いて待っていよう。
よく似た歌に、詠み人知らずの次の歌があります。
<原文>
人の見る 上は結びて 人の見ぬ 下紐開けて 恋ふる日そ多き
<大塚ひかりの超訳>
人が見ている上着の紐は結んでいるけど、人が見えない下着の紐は開けている。こうしてあなたを待っている日が多いの。
(3)高橋虫麻呂の長歌
<原文>
人妻に 我(わ)も交はらむ 我が妻に 人も言問(ことと)へ この山を うしはく神の 昔より 禁(いさ)めぬ行事(わざ)ぞ 今日のみは めぐしもな見そ 事も咎むな
<大塚ひかりの超訳>
人妻と俺も交わる。俺の妻に皆も言い寄れ。この山を治める神が昔から認めた祭りだ。今日だけはつらいことでも目をつぶり、何も咎めないでくれ。
余談ですが、万葉の時代にも「人妻ブーム」があったようで、十四首も収録されています。
なお「ひとづま」は漢語ではなく日本固有の言葉で、万葉集では「比登豆麻」「比登都麻」「人嬬」「他妻」「人妻」といろいろな表記がされています。
作家の伏見憲明氏は次のような書評をしています。
大塚ひかりは古典文学者のパンクロッカーである。敵は学術的な権威。この国に受け継がれてきたいにしえの文学を大仰に、恭しく、桐の箱に収めて我がものとする連中に、「てめえら、なに気取ってやがるんだ! ほんとの日本の古典の醍醐味はそんなことじゃねーんだよッ!!」と挑み続けて幾年月。今度は「令和」の命名とともに俄然注目を集めている「万葉集」を、まさにパンクに読み解いている。
例えば、「天の川 相向き立ちて 我が恋ひし 君来ますなり 紐解き設けな」という一見格調高い一首も、大塚が超訳するとこうなる。「天の川に向き合って立ち、私が恋し続けたあの方が来る。パンツを脱いで待っていよう」
まるでフランク・シナトラの「マイ・ウェイ」を皮肉たっぷりに歌い上げたシド・ヴィシャスのように胸のすく歌いっぷりではないか! ただ、セックス・ピストルズがオリジナルを借りてそれと正反対のメッセージを伝えようとしているのに対し、大塚は異なる言葉を用いることによって、元歌の意味やニュアンスの“ほんとう”を呼び起こそうとしている。今回の超訳はむしろ、高尚な芸術表現に祭り上げられた表現に、極めてシンプルな言葉を対置することで、権威主義の仮面を剥がそうとしているかのようだ。
そして当然のことながら、こんな大胆な試みが許されるのは、大塚が長きにわたり研鑽を積み、ちくま文庫の『源氏物語』の現代語訳を任されるほどの実力を認められているからに相違ない。
本書ばかりでなく、大塚が一貫して主張しているのは、「日本はエロいんだよ!!」ということに尽きる。この国の文化や天皇を中心とした政治の本質はまさにそこにあっただろうに、なぜかそのようには解釈されてこなかった。文化の核心に目が瞑られてきたのだ。
しかし奈良時代、中国から律令制度を取り入れるときに、なぜ、同時に後宮へ宦官の制度が導入されなかったのか。宦官は王の血統を守るための監視システムだが、それがこの国では採用されていない。ユーラシア大陸の東の列島には、性を管理することが馴染まなかったからであろう。
大塚はこの国の性のゆるさの理由を、子ダネよりも腹のほうを重視する母系的な社会だったことに求めている。「財産が父から息子へ継承される父系的な社会だと、我が子が本当に自分のタネかということが大きな問題となる。(略)だから女の性を厳しく取り締まる。ということは相手の男の性も厳しく取り締まることになる」。逆に、血統にこだわらなければ、社会はもっとエロくなる!本書『えろまん』で非常に興味深かったのは、「万葉集」には「人妻ブーム」がある、という指摘だった。大塚は「ひとづま」への思慕を綴った歌が多い理由を、「中国から律令制度が導入されたこと」に関係するとしている。それまで結婚している女性との性交渉をそれほどはいけないものだと思っていなかった日本人が、改めて律令によって禁じられたことで、かえってそこに「ひとづま」への欲望が膨らんだ、のだと。
そのことに絡んで大塚はこんな歌を紹介する。「人妻と あぜかそを言はむ 然らばか 隣の衣を 借りて着なはも」(「人妻にあんで触れちゃなんねぇだべ? そんだら隣の着物を借りて着ないっちゅうべ?」)
古典文学の門外漢にも、当時の日本人の感覚はこんなものだったのかもしれない、と思わせてくれるのは、大塚が紹介するように、性のゆるさ、多様な性愛のオンパレードを「万葉集」自体が教えてくれるからである。
天皇のナンパ歌ではじまる構成からしても権威や権力を崇めようとする重々しさはなく、そこには老いらくの恋もあれば(巻第二・一二九「年取った婆さんなのに、こんなにも恋に沈むものなのか、幼子のように」)、現代の日本でも流行っているBL短歌もある(巻第十七・四〇一〇「私の恋しい家持さまがなでしこの花だったらなぁ。毎朝見るのに」)。大塚は、「当時の歌がまるでツイッターのつぶやきのようにカジュアルで身近」と指摘する。本来、歌というメディアが持っている機能を考えれば、それはいい得て妙なのかもしれない。本書『えろまん』を読んで、やはり年号を国書「万葉集」に求めたのは正解だったと思った。それは、出典を漢籍に求めたくなった為政者の気持ちとはいささか異なる愛国心。新しい御代が「万葉集」のごとく色っぽく、それを可能にする平和な時代であらんことを祈るからである。