八王子や若王子など「王子」の付く地名の由来は?

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熊野若王子神社

元プロ野球選手の斎藤佑樹が高校野球選手だった当時「ハンカチ王子」と呼ばれ、プロゴルファーの石川遼が「ハニカミ王子」、元体操選手の白井健三が「ひねり王子」と呼ばれるなど、ひと頃「○○王子」というのがブームのようになりましたね。

ところで、地名にも八王子や若王子など「王子」の付く地名がいくつかありますが、これらの地名の由来は何かご存知でしょうか?

今回は「王子」の付く地名の由来について、わかりやすくご紹介したいと思います。

1.「王子神」と「王子信仰」

日本には「八百万の神」(やおよろずのかみ)がいると言われています。「八百万の神」とはその名前の通り、たくさんの神様のことです。

日本では古来、自然界の全ての物に神様が宿ると考えられていますので、八百万の神という呼び名が付いているのです。

王子神(おうじがみ)は、日本の神の一つで、単に王子とも呼ばれ、その信仰を王子信仰と言います。

日本には古来、本宮と呼ばれる神社の主神からその子供の神として分かれ出た神格を祀ったり、巫女的な性格をもつ母神とその子神をあわせて祀る信仰があり、これを若宮(わかみや)あるいは御子神(みこがみ)と呼んでいました。

のちに仏教と神道の習合(神仏習合)(*)が進むと、仏教の神格の一つで、図像では仏に顧従する児童の姿で表現される「童子」が若宮と習合され王子と呼ばれました。また、王子をまつる社(やしろ)王子と呼ばれることがあります

(*)「神仏習合」とは、日本土着の神祇信仰(神道)と仏教信仰(日本の仏教)が融合し、一つの信仰体系として再構成(習合)された宗教現象のことで、「神仏混淆(しんぶつこんこう)」とも言います。

このような習合が顕著だったのは「熊野権現信仰」においてであり、平安時代の末期に熊野十二所権現のうちの五柱である五所王子と呼ばれる神々が信仰されるようになりました。そのひとつである若王子(にゃくおうじ)あるいは若一王子(にゃくいちおうじ)少年あるいは少女の姿であらわされる神で、全国の熊野信仰において熊野権現を勧請する際に、多くの場合この神が祀られました

また同じ時期には、祇園社の「牛頭天王(ごずてんのう)」(*)や日吉大社の山王権現の眷属神として、王子の姿をした八柱の神格である八王子権現があらわれ、病気を払う力をもった霊威あらたかな神として広く信仰されました。

牛頭天王

(*)「牛頭天王」とは、日本における神仏習合の神です。釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされました。

蘇民将来説話の武塔天神(むとうてんじん)と同一視され、薬師如来の垂迹であるとともにスサノオの本地ともされました。

京都東山祇園や播磨国広峰山に鎮座して祇園信仰の神(祇園神)ともされ、現在の八坂神社にあたる感神院祇園社から勧請されて全国の祇園社、天王社で祀られました。

また陰陽道では天道神と同一視されました。道教的色彩の強い神ですが、中国の文献には見られません。

なお、『古事記』に登場する「天照大御神」(あまてらすおおみかみ)、あるいは『日本書紀』に登場する「天照大神」(あまてらすおおみかみ/あまてらすおおかみ)は、高天原(たかまがはら)を統べる主宰神で、皇祖神(天皇家の先祖の神)とされ、イザナギ・イザナミの「国生み神話」などがありますが、これは時の権力者である天皇によって、都合よく創作(フィクション)された神話に過ぎないと私は思います。

古代から多くの日本人が抱いている「八百万の神信仰」(自然界の全ての物に神様が宿るという考え方。森羅万象に神の発現を認める古代日本の神観念)とは全くかけ離れています。

2.「王子」の付く地名の具体例とその由来

(1)東京都八王子市

八王子市は東京都多摩地域の南部にある地域で、近辺都市のベッドタウンとして知られています。市内の遺跡から約1万5千年前の旧石器が見つかっており、先史から人が住んでいたことが判明しているエリアです。

八王子という地名は「牛頭天王(ごずてんのう)と8人の王子(八王子)をまつる地域」で、神社や「八王子権現の社」(現在の八王子神社)が建立されて信仰を集めた結果、地名として定着したことが由来です。

そのため、信仰が広まるにつれて八王子という地名は全国に分布していきました。八王子神社を中心とした地域が八王子と呼ばれるようになったのは、1569年に北条氏康(うじやす)が送った書状が最初と言われています。

(2)東京都北区王子

東京都北区の王子は、「若王子権現の社」(現在の王子神社)があったことからついた地名です。

ただし、王子の地名は「窪んだ土地」を意味する「おほち(おおち、島根県の邑智郡など)」あるいは「あふち(おうち、凹地)」に由来しているものもあるという説もあります。

それによれば、窪地であるから「おおち」と呼ばれた、あるいは高いところから窪んで急に落ち込んだ坂のことを「おおちの坂」と呼んだことからついた地名です。

東京都北区の王子の場合、石神井川に面した丘陵の上にあり、南の滝野川地区に向かって急な坂となっています。

(3)京都市左京区の熊野若王子神社

「熊野若王子神社」は、京都市左京区若王子町にある神社です。かつては禅林寺の鎮守社でした。「哲学の道」の南端にあります。通称「若王子神社(にゃくおうじじんじゃ)」で「京都三熊野(きょうとみくまの)」(*)の一つです。

(*)「京都三熊野」とは、「新熊野神社(いまくまのじんじゃ)」(本宮)、「熊野神社」(新宮)、「熊野若王子神社」(那智)の三社のことです。

(4)神戸市灘区の王子町

王子町は、神戸市灘区の町名の一つで、1933年(昭和8年)4月、同区西部、もとの菟原郡都賀荘(尼崎領)原田村王子免(おうじめん)、西灘村原田王子免から命名されました。

」とは寺社領で寺社除地(年貢免除地)であることを示す古い行政単位です。

なお、王子免の他、「宮の後」という旧小字がありました。ちなみに王子免の「王子」は王子神社の祭神の一つ若一王子のことです。

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