私が現役サラリーマンの頃、支店の「店部旅行」で琵琶湖畔に行った時、宴会で「近江八景」をすらすらと諳んじて拍手喝采を浴びた人がいて、物知りの人がいるものだと感心しました。
当時の私は「近江八景」というのは「琵琶湖付近の景色の良い所を集めたもの」という程度の認識で、個々の名前は「瀬田の唐橋も入っているのかな?」と思った程度で全く知りませんでした。
1.近江八景とは
(1)石山秋月(いしやまのしゅうげつ)=石山寺(大津市)
(2)勢多(瀬田)夕照(せたのせきしょう)=瀬田の唐橋(大津市)
(3)粟津晴嵐(あわづのせいらん)=粟津原(大津市)
(4)矢橋帰帆(やばせのきはん)=矢橋(草津市)
(5)三井晩鐘(みいのばんしょう)=三井寺(園城寺)(大津市)
(6)唐崎夜雨(からさきのやう)=唐崎神社(大津市)
(7)堅田落雁(かたたのらくがん)=浮御堂(大津市)
(8)比良暮雪(ひらのぼせつ)=比良山系
2.近江八景の由来と浮世絵
(1)由来
江戸時代の慶長年間の関白・近衛信尹(このえのぶただ)(1565年~1614年)自筆の「近江八景和歌巻子」の奥書に、現行の近江八景と同様の名所と情景の取り合わせに至る八景成立の経緯が紹介されています。ただし、この奥書の原本は現存しません。
近江八景の絵画作品の登場が17世紀後期以降であることから、近江八景は近衛信尹が選定したとする見方が有力です。
(2)浮世絵
江戸時代後期の浮世絵師・歌川広重(1797年~1858年)によって描かれた錦絵による名所絵(浮世絵風景画)揃物「近江八景」(上の画像)が代表的なものです。
3.近江八景のオリジナルは北宋の「瀟湘八景」
「瀟湘八景(しょうしょうはっけい)」(*)とは、「中国の山水画の伝統的な画題、またその八つの名所」のことです。
(*)洞庭秋月・漁村夕照・山市晴嵐・遠浦帰帆・煙寺晩鐘・瀟湘夜雨・平沙落雁・江天暮雪
中国・北宋の高級官僚であった宋迪(そうてき)(11世紀後半頃~没年不詳)が赴任した風光明媚な瀟湘の地で「瀟湘八景図」を描いたのが最初です。
八景の項目は次の通りです。
・秋月:秋の夜の月と、それが水面に反射する姿の組み合わせ
・夕照:夕日を反射した赤い水面と、同じく夕日を受けた事物の組み合わせ
・晴嵐:本来は春または秋の霞。青嵐と混同して強風としたり嵐の後の凪とする例もある
・帰帆:夕暮れの中を舟が一斉に港に戻る風景
・晩鐘:沈む夕日と山中の寺院の鐘楼の組み合わせ
・夜雨:夜中に降る雨の風景
・落雁:広い空間で飛ぶ雁の群れ
・暮雪:夕方ないし夜の、雪が積もった山
これをモデルにして、近江八景も選定されました。
なお、「瀟湘八景」に影響を受けた日本最古の八景は、漢詩集「鈍鉄集」に収められた「博多八景」とされています。
4.近江八景を詠んだ和歌・俳句など
(1)石山秋月
・石山や鳰(にお)の海てる月影は明石も須磨もほかならぬ哉 (近衛信尹)
・この蛍田毎(たごと)の月にくらべみん (松尾芭蕉)
(2)勢多(瀬田)夕照
・露時雨(つゆしぐれ)もる山遠く過ぎきつつ夕陽のわたる勢多の長橋 (近衛信尹)
・五月雨にかくれぬものや瀬田の橋 (松尾芭蕉)
(3)粟津晴嵐
・雲はらふ嵐につれて百船も千船も波の粟津に寄する (近衛信尹)
(4)矢橋帰帆
・真帆ひきて八(矢)橋に帰える船は打出の浜をあとの追風 (近衛信尹)
(5)三井晩鐘
・思ふそのあかつきちぎる始めぞとまず聞く三井の入相(いりあい)の声 (近衛信尹)
・三井寺の門たたかばやけふの月 (松尾芭蕉)
(6)唐崎夜雨
・夜の雨に音をゆづりて夕風をよそにそだてる唐崎の松 (近衛信尹)
・唐崎の松は花より朧にて (松尾芭蕉)
(7)堅田落雁
・峰あまた越えて越路にまづ近き堅田になびき落る雁かね (近衛信尹)
・鎖(じょう)あけて月さし入れよ浮御堂 (松尾芭蕉)
(8)比良暮雪
・雪晴るる比良の高嶺の夕暮れは花の盛りにすぐる春かな (近衛信尹)
なお、「鉄道唱歌」第1集「東海道編」には、近江八景の全てが歌詞に入っています。
39.いよいよ近く馴れくるは近江の海の波の色その八景も居ながらに見てゆく旅の楽しさよ
40.瀬田の長橋横に見てゆけば石山観世音紫式部が筆のあとのこすはここよ月の夜に
41.粟津の松にこととえば答えがおなる風の声朝日将軍義仲のほろびし深田は何(いず)かたぞ
42.比良の高嶺は雪ならで花なす雲にかくれたり矢走(やばせ)にいそぐ舟の帆もみえてにぎわう波の上
43.堅田に落つる雁がねのたえまに響く三井の鐘夕くれさむき唐崎の松には雨のかかるらん
5.近江八景の覚え方
近江八景の地名を全て含んだ狂歌として、江戸時代後期の文人・大田南畝(おおたなんぽ)(1749年~1823年)が詠んだと伝わるものが有名です。
のせた(瀬田)からさき(唐崎)はあわず(粟津:あはづ)かたた(堅田)のかごひら(比良)いしやま(石山)やはせ(矢橋)らしてみゐ(三井)
「乗せたから 先は会わずか ただの駕籠 比良石山や 走らせてみい」ということです。
この歌は、大田南畝が京へ上ろうと瀬田の唐橋まで来た時、「近江八景の題目8つの全てを31文字の歌の中に入れて詠んだら、駕籠代をただにしてやる」と駕籠屋に問われ、歌ってみせたものとされています。
この逸話は講談によって広まり、落語「近江八景」の枕となる小噺の中で紹介されることもあります。