1.「社交辞令」で失望した話
「社交辞令」とは、「付き合いをうまく進めるための、(心にもない)儀礼的な褒め言葉や挨拶」のことです。
私が21世紀協会に出向していた時、本部にいる先輩と面談して活動状況を報告する機会がありましたが、あまり時間が取れず自分としては言い足りないこともありました。先輩から「近いうちに飯でも食おう。また連絡するから」と言われたので、それを信じて待っていたのですが一向に連絡がありません。
やがて、私もそれが単なる「社交辞令」だったことを悟るのですが、この「近いうちに飯でも食おう」という言葉、略して「近メシ」は「空手形」であることを知るのはずっと後のことです。
結婚報告のはがきによくある「お近くにお越しの際は、是非お立ち寄りください」と同じ種類の言葉だということですね。特に親しい間柄でもない限り、もしその言葉を真に受けて訪ねて行ったら、先方はびっくりするでしょうし、(「何しに来たんですか?」と)言葉には出さなくても迷惑がられることは間違いありません。
京都で、「まあ、ぶぶ漬けでも・・・」というのは、「もうそろそろ帰ってほしい」というシグナルを婉曲に表した言葉です。これに対して「それでは遠慮なくいただきます」とでも言おうものなら、先方は愛想笑いをしながらも、心の中では「なんと無作法な田舎者」と罵っていることでしょう。
英語の「see you .」(さようなら)は、文字どおり「じゃ、また会いましょう」で単なる別れの挨拶ですが、「see you again.」となると本来「永遠の別れ」の際に使う言葉だそうで、「また逢う日まで」というのに近い表現です。
件の先輩は、話を切り上げるための言葉としてあのように言ったのでしょう。
ただ、その先輩が、私がサラリーマンになった最初の店におられた人で、食事を奢ってもらったこともあったので、「虚言」によけい失望した次第です。
傷つけられると言えば大袈裟ですが、誘う気持ちがないのであれば、そういう言葉は逆にかけてほしくなかったというのが私の率直な気持ちです。
本部に長くいると、こういう社交辞令も平気で連発するようになるのかも知れません。所詮、本部にいる人は、自分にとって利益があるかどうかで付き合うかどうかを決めるという現実を思い知らされた「苦い思い出」です。
2.「社交辞令」ではなく本当に「食事会」をした話
もう一つ、逆のケースも経験しました。ある職場で、「うるさ型」の先輩がいました。その先輩が老親の介護の必要から会社を辞めて田舎に帰ることになった時の話です。
彼が辞める1カ月ほど前から、「一回飯を一緒に食べに行こう」と何回か誘われました。私は苦手なタイプの人なので、「社交辞令」だと思って「機会がありましたら・・・」とあいまいな返事を繰り返していました。
やがて彼が辞める直前になって、「あんたと一度一緒に食事をして、ゆっくり話したいと思っていたんだ。もう日がないんで今日の昼でもどうや?」と言われたので、断るわけにもいかず同意しました。
それで、もう一人の同僚と3人で「お別れ昼食会」をしたのです。今までその人はとっつきにくい煙たい印象しかなかったのですが、ゆっくり腹を割って話してみると、なかなか良い人であることがわかり、見直しました。