「世界の七不思議」(「古代世界の七不思議」)とは?

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世界の七不思議

草野仁さんが司会の「日立世界ふしぎ発見!」(1986年~2024年3月)という人気の長寿番組がありました。これは毎回私たちがあまり知らない事実を教えてくれる「ためになる番組」で、私もよく見ていました。

ところで「七不思議」と聞いて、私が真っ先に思い浮かべるのは「ピサの斜塔」です。

意外と知られていませんが「本所の七不思議」の一つに「置いてけぼり(置いてきぼり)」の語源となった「置いてけ堀」という話もあります。

最近では「学校の七不思議」という都市伝説のような怪談話もあります。

しかし本来のオーソドックスな「七不思議」と言えば、「世界の七不思議」、その中でも特に「古代世界の七不思議」ではないでしょうか?

そこで今回はこの「古代世界の七不思議」について、わかりやすくご紹介したいと思います。

1.「古代世界の七不思議」

(1)「古代世界の七不思議」とは

古典古代の伝承で「古代世界の七不思議」、あるいは単に「世界の七不思議」といわれるのは、アレクサンドロス大王(紀元前356年~紀元前323年)の東方遠征(紀元前330年ころ)以後ギリシア人旅行者にとって観光の対象となった著名な七つの建造物で、古典古代において驚異的なものとされた建築物のリストです。

これらの建築物については、様々な書き手たちが、古代ギリシアの旅行者たちの間で広く知られた案内書や詩文の中で言及していました。

現在知られるような形が定着したのはルネサンス時代を迎えてからですが、七不思議のリストへの言及は、紀元前2世紀から紀元前1世紀にかけての時期に遡ります。

たとえば数学者で旅行家のビザンチウムのフィロン(紀元前260年~紀元前180年)の著作とされる『世界の七つの景観』De Septem Orbis Spectaculisなどに述べられています。

紀元前5世紀、古代ギリシアの歴史家ヘロドトスが、7つの驚異的な建造物を「世界の七不思議」と名付けたのが七不思議の最初といわれていますが、ビザンチウムのフィロンは紀元前225年ごろにそれを提案した人物です。

以降、それぞれの時代に、様々なバージョンが「世界の七不思議」などとして着想され、その多くは7件を挙例するものでした。

当初からの七不思議の中では、「古代世界の七不思議」の中でも最も古い時代のものである「ギザの大ピラミッド」だけが比較的に安定してリストに挙げられてきました。

「ロドス島の巨像」、「アレクサンドリアの大灯台」、「マウソロス霊廟」、「アルテミス神殿」、「オリンピアのゼウス像」は、いずれも破壊されました。

「バビロンの空中庭園」については、その正確な場所も、その後の顛末も分かっておらず、もともと存在していなかったのではないかとも考えられています。

(2)「古代世界の七不思議」が作られた背景

紀元前4世紀当時、古代ギリシャは既知の西方世界の大部分を征服し、ギリシャ人旅行者たちは、エジプト、ペルシア、バビロニアの諸文明を訪れることができるようになっていました。

様々な土地で接したランドマークや驚異に強い印象を受け、魅惑された彼らは、その見聞を記憶に残すため、リストを作るようになったのです。

「不思議」とされるようになった言葉は、古代ギリシャ語では θεάματα(テアマタ、theámata)といい、これは「光景」あるいは「見るべきもの」(Τὰ ἑπτὰ θεάματα τῆς οἰκουμένης [γῆς] 、Tà heptà theámata tēs oikoumenēs [gēs]) を意味しました。

後になると、「驚き」を意味する θαύματα(タウマタ、thaumata)という言葉が用いられるようになりました。

つまり、このリストは古代世界における旅行案内書のようなものとして生み出されたのです

7件のこうした記念物をリストとした最古の言及を残したのは、シケリアのディオドロスでした。エピグラム(*)詩人であったシドンのアンティパトロスは、紀元前100年ころ以前を生きた人物でしたが、7件のこうした記念物のリストを挙げており、そのうち6件は現在広く知られている七不思議と一致しています(アレクサンドリアの大灯台の代わりに、バビロンの城壁が入っています)。

(*)「エピグラム(epigram)」とは、結末にひねりを利かせるか、簡潔でウィットのある主張を伴う短い詩。警句、寸鉄詩。

私は、難攻不落のバビロンの城壁を見つめて壁沿いに競走するチャリオットを思い、また、アルフェイオスの岸に立つゼウス像を見つめ、空中に掛かる庭園を見たし、ヘーリオスの巨像、高く築かれた人工の山であるピラミッド、マウソロスの巨大な墓も見た。しかし私が、雲に達するアルテミス神殿を見た時に、他の全ては陰に置かれた、というのも、太陽はオリンポス山以外の場所には、自らに匹敵するものを見出さないからである。
ギリシア詞華集 Greek Anthology IX.58
同じく紀元前2世紀に記録を残した数学者であったとされるビザンチウムのフィロンは、「世界の7つの光景」と題した短い記述を書きました。
現存する写本は不完全なものであり、7件あるはずの場所のうち、6件しか伝えられていませんが、その6件はアンティパトロスのリストと一致しています。

これらの記述より早い時期の歴史家ヘロドトス(紀元前484年~紀元前425年)によるリストや、その後の建築家キュレネのカリマコス(紀元前305年頃~紀元前240年)のリストは、アレクサンドリア図書館に収められていたとされますが、これらを参照した言及しか伝えられていません。

ロドス島の巨像は、七不思議の中で最後に完成したもので、その時期は紀元前280年より後であった上、最初に破壊されたものでもあり、紀元前226年の地震で崩壊しました。

つまり、七不思議のすべてが揃って存在していた時期は、60年間にもならなかったのです。

(3)「古代世界の七不思議」の対象とされた範囲

七不思議のリストに取り上げられているものは、造形物、建築などの記念物だけであり、地域的にも地中海地方から中東にかけてに限られています

これは古代ギリシャ人にとっての既知の世界の範囲でした。したがって、この範囲を超えた外にあったものは、当時の記述には反映されませんでした。

古代ギリシャ世界の書き手たちが残した記述は、このリストに挙げられた場所に極めて大きな影響を与えることとなりました。7件のうち5件は、ギリシャ人の手で完成された芸術ないし建築を讃えるものであり、例外は「ギザの大ピラミッド」と「バビロンの空中庭園」だけでした。

(4)「古代世界の七不思議」が後世に与えた影響

ローマ文化への古代ギリシャの影響や、ルネサンス期におけるギリシャ=ローマ芸術様式は、ヨーロッパの芸術家や旅行者たちの想像力を掻き立てることとなりました。

古代世界の七不思議・絵画

オランダの画家マールテン・ファン・ヘームスケルク(1498年~1574年)による上の絵(ウォルターズ美術館蔵)は、パリスによるヘレネーの略奪の場面を描く背景として、「古代世界の七不思議」を描いています。

シドンのアンティパトロスのリストに基づいて、絵画や彫刻が数多く生み出され、他方では実際に現地へ赴いて「不思議」を実見しようとする冒険者たちも大勢現れました。

また、様々な伝説が流布され、「不思議」の超絶性はさらに高められました。

21世紀までに、失われていた6つのうち「マウロソス霊廟」、「アレクサンドリアの大灯台」と「アルテミス神殿」は、発掘調査の結果、遺跡及び残骸が発見されました。2つの彫刻は痕跡も残っておらず、「バビロンの空中庭園」は実在したかどうかも不明のままです。

2.「古代世界の七不思議」の具体的内容

(1)ギザの大ピラミッド

ピラミッド

<建設時期>紀元前2550年頃

<建設者>エジプト人

<破壊時期>現存しますが、表面はほとんど喪失

<破壊原因>破壊されず現存

これは七不思議のうち最大のものであり、現存する唯一のものです。

ギザの大ピラミッド(ギザのだいピラミッド、 Great Pyramid of Giza)」は、エジプトのカイロ郊外ギザの台地に建設されたピラミッドです。世界遺産「メンフィスとその墓地遺跡」の構成要素でもあります。

古代エジプトの第4王朝(紀元前2500年頃)の王、クフの墓とされ、「 クフ王のピラミッド」とも呼ばれます。

(2)ロドス島の巨像

ロドスの巨像

<ロドスの巨像の想像図 (The Grolier Society’s 1911 Book of Knowledge)>

<建設時期>紀元前292年~紀元前280年

<建設者>ギリシャ人

<破壊時期>紀元前226年

<破壊原因>紀元前226年のロドス島地震

紀元前3世紀ごろ小アジア近くの小島ロドスに建てられた青銅製の巨像で、太陽神ヘリオスを表していました。

ロドス島の巨像(ロドスとうのきょぞう、Colossus of Rhodes)」は、紀元前3世紀頃にリンドスのカレスによってエーゲ海南東部のロドス島に建造されたとされる、太陽神ヘーリオスをかたどった彫像(コロッソス)です。

現在まで実在を示す遺構などはないものの、一般的に知られているのは、全長は34メートル。台座まで含めると約50メートルになり、現代のニューヨークの自由の女神像に匹敵する大きさでした。

ヘーリオスは同じ太陽神のソルやアポロン(ローマ名アポロ)と混同されたため、アポロの巨像とも呼ばれます。

日本での表記には様々あり、ヘーリオスの巨像ロドスの巨像や、ロドス島が「ロードス島」と表記されることもしばしばであることから、ロードスの巨像ロードス島の巨像などとも表記されます。

また、1961年製作のイタリア映画の邦題では「ロード島の要塞」と題されました。

(3)アレクサンドリアの大灯台

アレクサンドリアの大灯台

<建設時期>紀元前280年頃

<建設者>ギリシャ人・エジプト人(プトレマイオス王国)

<破壊時期>1303年~1480年

<破壊原因>1303年のクレタ島地震

プトレマイオス2世フィラデルフォス(紀元前250年ころ)によりアレクサンドリア港の入口近くの小島ファロスに建てられた灯台で、高くそびえる石造建造物の頂部で火を燃やす仕掛けがあり、レンズか鏡が使われたとも言われています。

アレクサンドリアの大灯台(アレクサンドリアのだいとうだい、 Lighthouse of Alexandria)」は、紀元前3世紀頃にエジプトのアレクサンドリア湾岸のファロス島に建造された灯台です。

ファロス島の大灯台、あるいはアレクサンドリアのファロスとも呼ばれます。

ファロス島は、アドリア海にも同名の島(現在のフヴァル島)がありますが、ここで言うのは、アレクサンドリア港の一方の端に人工の埋め立てにより出来上がった半島の突端にあった小さな島です。

世界の七不思議の一つですが、ビザンチウムのフィロンの選出した七不思議には含まれていません。フィロンはその代わりに「バビロンの城壁」を入れていました。

14世紀の二度の地震によって全壊しましたが、七不思議の中ではギザの大ピラミッド、マウソロス霊廟に次ぐ長命な建造物でした。

(4)マウソロス霊廟

模型 ボドルム考古学博物館

<マウソロス霊廟の模型 ボドルム考古学博物館>

<建設時期>紀元前351年

<建設者>ギリシャ人・ペルシャ人(アケメネス朝)

<破壊時期>12世紀~15世紀

<破壊原因>地震

紀元前350年ごろ、小アジアのペルシア人総督マウソロスの死に際し、王妃アルテミシアが建てさせた壮大な陵墓です。

マウソロス霊廟(マウソロスれいびょう)」は、カリアを支配したヘカトムノス朝のマウソロスとその妻アルテミシアの遺体を安置するために造られた霊廟です。

ギリシャ人建築家のプリエネのピュティオスとサテュロスによって設計され、スコパス、レオカレス、ブリュアクシス、ティモテオスという4人の高名な彫刻家によってフリーズ(彫刻帯)が施されました。

その壮麗さから、世界の七不思議のひとつに選ばれています。また、ヨーロッパ圏で使用される単語「マウソレウム(一般に巨大な墓の意、英語: mausoleum)」はこの霊廟に由来します。

マウソロスは、カリア国の首都をハリカルナッソス(現在のトルコ共和国ボドルム)に定め、周囲の地域も支配下に置きました。

この霊廟は、マウソロスの死後に妃アルテミシアが夫のために建造したといわれていますが、実際にはマウソロスの生存中に建造が開始されたと考えられています。

マウソロスの死から3年後、アルテミシアの死から1年後にあたる紀元前350年に完成したといわれています。

(5)アルテミス神殿

アルテミス神殿

<トルコ共和国エフェソスにあるアルテミス神殿の風景。残骸を積み上げ、柱をいくらか復元してあるが、原形をとどめていない。>

アルテミス神殿

<アルテミス神殿の想像図。(16世紀の画家マールテン・ファン・ヘームスケルク)の版画より)>

アルテミス神殿

<トルコ・イスタンブールのミニチュアパークにあるアルテミス神殿の模型>

<建設時期>紀元前550年頃、再建は紀元前323年

<建設者>ギリシャ人・リュディア人

<破壊時期>紀元前356年(ヘロストラトス) 262年(ゴート族)

<破壊原因>ヘロストラトスによる放火、略奪

小アジアの町エフェソスに建てられていた壮麗な神殿で、大地母神を祖とする女神アルテミスが祀(まつ)られていました。

アルテミス神殿(アルテミスしんでん; ギリシア語: ναός της Αρτέμιδος、ラテン語: Artemisium)」は、紀元前7世紀から紀元3世紀にかけてエフェソス(現在のトルコ西部)に存在した、アルテミスを奉った総大理石の神殿です。

世界の七不思議のひとつに挙げられますが、現在は原形をとどめていません。

(6)オリンピアのゼウス像

オリンピアのゼウス像

<オリンピアのゼウス像の想像図>

<建設時期>紀元前466年~紀元前456年(神殿) 紀元前435年(像)

<建設者>ギリシャ人

<破壊時期>5世紀~6世紀

<破壊原因>解体されコンスタンティノープルへ移設後、火災により破壊

ギリシア本土オリンピアの神殿内に置かれていたゼウスの巨像で、彫像の名人ペイディアスの作と伝えられます。

オリンピアのゼウス像(オリンピアのゼウスぞう)」は、紀元前435年に古代の高名な彫刻家ペイディアスによって建造された、天空神ゼウスの彫像です。古典古代における世界の七不思議の一つです。

主に古代オリンピックにおける奉納競技の本尊とされていたとされます。

(7)バビロンの空中庭園

バビロンの空中庭園

<16世紀のオランダ人画家マールテン・ファン・ヘームスケルクの原画をもとにした手彩色版画。新バビロニアの王都バビロンを描いた想像画であり、空中庭園を近景、バベルの塔を遠景として描いている>

<建設時期>紀元前600年頃(推定)

<建設者>バビロニア人ないしアッシリア人

<破壊時期>1世紀以降

<破壊原因>不明

「空中庭園」「釣り庭」ともいいます。新バビロニア王朝ネブカドネザル2世(紀元前600年ころ)の時に築かれた庭園で、伝説では山国出身の王妃を楽しませるために壇状につくられ、上から水を流したということです。

バビロンの空中庭園(バビロンのくうちゅうていえん、Hanging Gardens of Babylon)」は、古代ギリシアの数学者・フィロンが選んだ「世界の七不思議」の建造物の一つの伝承上の屋上庭園です。バビロンの吊り庭園(バビロンのつりていえん)とも言います。

「空中庭園」という訳名からは、重力に逆らって空中に浮かぶ庭園が連想されますが、空中という単語は「吊り下げられた」を意味するギリシャ語 κρεμαστός の訳として当てられたものです。

κρεμαστός の指す意味の範囲は広く、木などの植物がテラスのように壁からはみ出た構造物に植えられていることを指します。

3.中世以後の「世界の七不思議」

なお、「世界の七不思議」については諸説あり、中世以後のものでは、「ローマの円形劇場」、「中国の万里の長城」、「イギリスのストーンヘンジ(巨石記念物)」、「イタリアのピサの斜塔」、「イスタンブールのアヤ・ソフィア寺院」などを数えることもあります。

自然現象に関するものでは、「チベットの氷の滝」、「アルジェリアの砂の海」、「死海の秘密」、「アラガラ山上の怪光」、「ハワイの火の湖(溶岩湖)」、「ノルウェーの夜の太陽」、「北アメリカの化石木の山」があげられることもあります。