ホトトギス派の俳人(その15)松本たかし:能の美意識に基づく典雅で格調高い句風

フォローする



松本たかし

「ホトトギス派」の俳人と言えば、高浜虚子が代表格ですが、大正期には渡辺水巴(すいは)、村上鬼城(きじょう)、飯田蛇笏(だこつ)、前田普羅(ふら)、原石鼎(せきてい)が輩出しました。

昭和に入ると、山口誓子(せいし)・水原秋桜子(しゅうおうし)・阿波野青畝(あわのせいほ)・高野素十(たかのすじゅう)・山口青邨(せいそん)・富安風生(とみやすふうせい)を擁し、花鳥諷詠・写生俳句を提唱して『ホトトギス』の全盛期を形成しました。

特に山口誓子・水原秋桜子・阿波野青畝・高野素十は、「ホトトギスの四S」と称されます。

さらに中村草田男(くさたお)、川端茅舎(ぼうしゃ)、星野立子(たつこ)、中村汀女(ていじょ)ら新人を加えて、新興俳句の勃興にも伝統を堅持して揺るがず、俳壇の王座に君臨しました。

1951年、虚子は長男・高浜年尾(としお)に『ホトトギス』を継承させ、年尾没後の1979年からは年尾の二女・稲畑汀子(いなはたていこ)が受け継ぎました。

2013年(平成25)汀子の長男・稲畑廣太郎(こうたろう)が主宰を継承し、明治・大正・昭和・平成・令和の五代にわたる最古の俳誌としての歴史を誇っています。

そこで今回から、ホトトギス派の有名な俳人を(既に記事を書いている人を除いて)順番に詳しくご紹介したいと思います。

1.松本たかしとは

松本たかし(まつもと たかし)(1906年~1956年)は、東京都出身のホトトギス派の俳人です。本名は松本孝。能楽師の家に生まれ能を志しましたが、病のために断念、高浜虚子に師事し俳句に専心しました。俳誌「笛」を創刊・主宰。

芸術性の高い高雅な句を作り、「ホトトギス」では川端茅舎、中村草田男らと並び称されました。

2.松本たかしの生涯

松本たかしは、東京市神田区猿楽町(現・千代田区猿楽町)生まれで、代々江戸幕府所属であった宝生流能役者の家に長男として生まれました。父は能楽師の松本長(まつもと ながし)です。弟の松本惠雄(まつもと しげお)も能楽師で後に人間国宝となりました。作家の泉鏡花は親戚(長が鏡花の従兄弟)。

彼は満5歳から能の修業を始めました。錦華小学校卒業後、在宅で漢学や国文学を学びつつ能の修行に専心しましたが、1920年に14歳で肺尖カタルと診断されました。

静岡県静浦にて療養中、病床を見舞った父が残していった「ホトトギス」を読んで俳句に興味を持ち、1922年に父の能仲間の句会「七宝会」に参加しました。翌年より俳句を高浜虚子に師事しました。

1924年より神経衰弱に悩むようになり、1926年、療養を兼ねて鎌倉市浄明寺に移住しました。6月に療養中の句が「ホトトギス」に4句入選し、これを機に能役者になることをほぼ諦め俳句に専心するようになりました。

1929年、「ホトトギス」巻頭を取り23歳で同人に推されました。この頃より派遣看護婦であった高田つや(俳号:松本つや女)と夫婦生活に入りました。

1931年、川端茅舎、高野素十と知り合い親交を結びました。

1935年には父が脳溢血で死去し生活が困窮しましたが、虚子から与えられた仕事が生活の支えとなりました。

1945年、岩手県稗貫郡へ疎開しました。10月に島村茂雄の誘いで上京し、1946年に島村の援助をうけて「笛」を創刊・主宰しました。

上京後は杉並区久我山に定住し、その後「笛」に「茅舎研究」を連載しました。

1948年には能の師であった宝生九郎をモデルにした伝記小説『初神鳴』を「苦楽」に発表しました。この小説はのちに映画化されました(1953年、伊藤大輔監督による『獅子の座』)

1954年、第四句集『石魂』(笛発行所、1953年)にて第5回読売文学賞(詩歌俳句賞)を受賞しました。

1956年2月、軽い脳溢血を起こし言語喪失状態となり句作途絶。「避けがたき寒さに坐りつづけをり」が最後の句となりました。同年5月11日、心臓麻痺により久我山の自宅にて50歳で死去しました。

戒名は青光院釈一管居士。没後、文庫版『松本たかし句集』(角川書店、1956年)、『たかし全集』(全4巻)(笛発行所、1965年)などが刊行されています。

3.松本たかしの句風

虚子からの教えを「只管写生」(ひたすら写生)であると唱えつつ、能で培った美意識に支えられた「たかし楽土」とも呼ばれる典雅で格調の高い句を作りました。

互いに傾倒しあった川端茅舎からは「生来の芸術上の貴公子」と評されています。茅舎とは境遇や作風に通じるものがあったことから「句兄弟」と呼ばれましたが、たかしは茅舎に比べ耽美的、楽天的とも評されています。

また茅舎とおなじく、たかしも「如く俳句」と呼ばれる比喩の句を多く作りましたが、三村純也は「春月の 病めるが如く 黄なるかな」の句を指して、茅舎に比べたかしの「如く」はより感覚的であると評しています

4.松本たかしの俳句

桜貝

<春の句>

・眼にあてゝ 海が透くなり 桜貝

・二三枚 重ねてうすし 桜貝

・チチポポと 鼓打たうよ 花月夜

・水浅し 影もとどめず 山葵(わさび)生ふ

・初蝶(はつちょう)を 見し束の間の かなしさよ

・濃山吹(こやまぶき) 墨をすりつつ 流し目に

・春月の 病めるが如く 黄なるかな

・大空に 唸(うな)れる虻(あぶ)を 探しけり

・いま一つ 椿落ちなば 立ち去らん

・事古(ことふ)りし 招魂祭(しょうこんさい)の 曲馬団

・西行忌 我に出家の こゝろなし

・残桜(ざんおう)や 見捨てたまひし 御用邸

・下萌ゆと 思ひそめたる 一日(ひとひ)かな

・竹山に 春の虹立つ 間近さよ

・ためらひて 梅の下ゆく 芝火(しばび)あり

・たんぽゝの 大きな花や 薄ぐもり

・蜥蜴(とかげ)の子 這入(はい)りたるまま 東菊(あずまぎく)

・流れつゝ 色を変へけり 石鹸玉(しゃぼんだま)

<夏の句>

・金粉を こぼして火蛾(ひが)や すさまじき

・羅(うすもの)を ゆるやかに着て 崩れざる

・色町に かくれ住みつつ 菖蒲葺(あやめふ)く

・これよりの 百日草(ひゃくにちそう)の 花一つ

・洗髪(あらいがみ)乾きて 月見草ひらく

・うち透きて 男の肌(はだえ) 白上布(しろじょうふ)

・海中(わだなか)に 都ありとぞ 鯖火(さばび)燃ゆ

・影遠く 逃げてゐるなり 砂日傘

・萱草(かんぞう)や 昨日の花の 枯れ添へる

・金魚大鱗(たいりん) 夕焼の空の 如きあり

・罌粟咲けば まぬがれがたく 病みにけり

・コレラ出て 佃祭(つくだまつり)も 終りけり

・睡蓮や 鯉の分けゆく 花二つ

・すぐ前に 塀がふさがる 釣忍(つりしのぶ)

・立ち上る 風の百合あり 草の中

・鉄塔の 一脚に触れ 蛍草(ほたるぐさ)

・向日葵(ひまわり)に 剣(つるぎ)の如き レールかな

・山人は 客をよろこぶ 夏炉かな

<秋の句>

・秋扇(しゅうせん)や 生れながらに 能役者

・月光の 走れる杖を はこびけり

・秋晴の 何処(どこ)かに杖を 忘れけり

・雨音の かむさりにけり 虫の宿

・渋柿の 滅法生(な)りし 愚さよ

・ひたと閉づ 玻璃戸(はりど)の外の 風の菊

・うつし世の 月を真上の 踊かな

・鎌倉の 夏も過ぎけり 天の川

・十棹(とさお)とは あらぬ渡しや 水の秋

・藤黄葉(ふじもみじ) 蔓明らかに 見ゆるかな

<冬の句>

・夢に舞ふ 能美しや 冬籠(ふゆごもり)

・真っ白き 障子の中に 春を待つ

・とつぷりと 後ろ暮れゐし 焚火かな

・雪だるま 星のおしゃべり ぺちゃくちゃと

・玉の如き 小春日和(こはるびより)を 授かりし

・避けがたき 寒さに坐り つづけをり

・水仙や 古鏡のごとく 花をかゝぐ

・借りし書の 返しがたなく 春隣(はるとなり)

・薄目あけ 人嫌ひなり 炬燵猫(こたつねこ)

・寒餅(かんもち)を 搗かん搗かんと おもひつつ

・きびきびと 応ふる寒に 入りにけり

・師へ父へ 歳暮まゐらす 山の薯(いも)

・霜柱 倒れつつあり 幽(かす)かなり

・ストーブの 口ほの赤し 幸福に

・炭竃(すみがま)の 火を蔵したる 静かかな

・晴天に ただよふ蔓の 枯れにけり

・冬耕(とうこう)の 牛と一日 吹きさらし

・遠き家(や)の また掛け足しし 大根(だいこ)かな

・枇杷(びわ)咲いて 長き留守なる 館かな

・日を追うて 歩む月あり 冬の空

<新年の句>

・買初(かいぞめ)の 小魚(こざかな)すこし 猫のため