ホトトギス派以外の俳人(その14)長谷川かな女:大正期を代表する女流俳人

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長谷川かな女

高浜虚子渡辺水巴村上鬼城飯田蛇笏前田普羅原石鼎水原秋桜子阿波野青畝山口誓子高野素十山口青邨富安風生川端茅舎星野立子高浜年尾稲畑汀子松本たかし杉田久女中村汀女などの「ホトトギス派の俳人」については、前に記事を書きました。

このように俳句の世界では、「有季定型」「花鳥諷詠」「客観写生」を旨とする「ホトトギス派」が伝統的に一大勢力となっており、上記のように有名な俳人が多数います。

しかし、最初ホトトギス派に所属したものの後にホトトギス派を離脱した「元ホトトギス派」をはじめ、ホトトギス派に反発した「反ホトトギス派」、独自の道を歩んだ「非ホトトギス派」の俳人もいます。

そこで今回から、このような「ホトトギス派以外の俳人」を順次ご紹介していきたいと思います。俳句に興味をお持ちの方なら、名前を聞いたことのある俳人が必ず何人かいるはずです。

なお、日野草城加藤楸邨・中村草田男河東碧梧桐荻原井泉水種田山頭火尾崎放哉などの「ホトトギス派以外の俳人」については、前に記事を書いていますので、それぞれの記事をぜひご覧ください。

1.長谷川かな女とは

長谷川かな女(はせがわ かなじょ)(1887年~1969年)は、東京都出身の大正期を代表する女流俳人です。本名はカナ。夫は長谷川零余子(れいよし)(1886年~1928年)で、孫に小説家の三田完がいます。

2.長谷川かな女の生涯

長谷川かな女は、東京日本橋に生まれ、私立松原小学校卒業後、小松原塾で学びました。

1903年、三井家に行儀見習いで入りましたが、心臓の病気により辞することになりました。

1909年、英語の家庭教師でホトトギスの俳人だった富田諧三(のちの長谷川零余子)と結婚し、みずからも句作を始めました。

1913年、高浜虚子が女性俳人育成のために始めた婦人俳句会「婦人十句集」の幹事役を務め、杉田久女・竹下しづの女と並び大正期を代表する女流俳人となりました。

1921年、夫の零余子が「枯野」を創刊・主宰したのに助力しました。

1928年に零余子が42歳で死去し、直後に新宿柏木の自宅が全焼したため、埼玉県浦和市(現在のさいたま市)に転居しました。

また夫の俳誌を「ぬかご」と改題し水野六山人と雑詠選に当たりましたが、対立が起こったため、1930年に俳誌「水明」を創刊し、没年まで主宰しました。

1966年、紫綬褒章を受章し、浦和市(現さいたま市)名誉市民となりました。

1969年9月22日、自宅で老衰による肺炎のため81歳で死去しました。

2013年11月、「水明」通巻1000号を記念して、俳句、随筆のすべてを収めた「長谷川かな女全集」が東京四季出版より刊行されました。

3.長谷川かな女の俳句

チューリップ

<春の句>

・チューリップ 影もつくらず 開きけり

・籐籠(とうかご)に アスパラガスを 摘みて来し

・春火桶 命たまひし 医師とゐて

・湯がへりを 東菊買うて 行く妓(こ)かな

・日に透かし 見て櫛をさす 芹田(せりた)かな

・常節(とこぶし)に 汐(しお)上げて来て 島離る

・蜂飛べり ラジオ雑音と なりし昼

・面白くて 傘をさすなら げんげん野

・野狐(やこ)ほども 無きわが身がさ 春嵐

・スイートピー 蔓のばしたる 置時計

・鶯笛 うるさくなつて ポケットへ

・山の向うは 雪が降りゐて 干鰈(ほしがれい)

・伊勢の海の 魚介豊かに して穀雨

・汐ふきや 稲荷の裏の 海灰色

<夏の句>

・傘つくる 宿に咲いたり 白牡丹

・山雀(やまがら)の 一番鳴きや 夏の暁

・吉原の 水打つて夜と なる立夏

・松風に 筍飯(たけのこめし)を さましけり

・揚花火 二階灯して すぐ消して

・一つある 窓塞がりて 衣紋竹(えもんだけ)

・汗の玉 抱へし花の 束に落つ

・時鳥(ほととぎす) 女はものゝ 文秘めて

・うつ伏して 山角這ひぬ 夏の霧

・ダムに沈む 優曇華の咲く 電球さげ

・萱草(かんぞう)の 花にかくれて 浅間噴く

・三伏の 琴きんきんと 鳴らしけり

・カーネーション 籐椅子ならして 骨牌(かるた)とる

・花烏賊の 甲羅を舟の ごと浮かし

・夏の雲 黃なる蝶々 落しけり

・鉢に敷く 笹葉透かして 金玉糖(きんぎょくとう)

・大団扇 三社祭を 扇(あお)ぎたつ

・白鷺の 佇つとき細き 草掴み

・白き花 あれば水あり 五月山

・招かれて 祭の店に 並びけり

・西鶴の 女みな死ぬ 夜の秋

<秋の句>

・生涯の 影ある秋の 天地かな

・めはじきの 瞼ふさげば 母がある

・新蕎麦の 袋を縫ひぬ 赤き糸

・とりかぶと 紫紺に月を 遠ざくる

・ささ降りや 文月(ふみづき)の花 落ち流し

・蟵(かや)の果(はて) ふたたび母と 子になりて

・沖縄の 壺より茘枝(れいし) もろく裂け

・眸伏せて 雌鹿が赤き 実をつつく

・秋鯵(あきあじ)に 遊行寺(ゆぎょうじ)通り 早日暮れ

・曼殊珠華(まんじゅしゃげ) あつまり丘を うかせけり

・竜胆(りんどう)を 畳に人の ごとく置く

・死を急がず 曼珠沙華見れども 見れども

・払ひきれぬ 草の実つけて 歩きけり

<冬の句>

・冬さうび かたくなに濃き 黄色かな

・霜除を する一束の 藁に蜂

・小雪の 箸ひとひらの 千枚漬

・書斎出ぬ 主に客や 漱石忌

・立冬の 明治の声を 録音され

・寒の鮠(はえ) ほろにがくなり 月上る

・さめかかる 肌に柚湯(ゆずゆ)の 匂ひけり

・子らの間に 坐つて居りて 春支度

・鴨撃ちの 通りしあとの 初氷

・亡き母を 知る人来たり 十二月

・千両や 大墨にぎる 指の節

・霜焼を こすり歩きぬ 古畳

・湯豆腐の 一と間根岸は 雨か雪

・雪ばんば 飛ぶ阿部川の 洲の幾つ

<新年の句>

・羽子板の 重きが嬉し 突かで立つ

・初明り わが片手より 見え初むる

・俎板(まないた)の 染むまで薺(なずな) 打はやす