二十四節気の季節感溢れる季語と俳句 初夏:立夏・小満(その1)時候

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立夏

前回まで、「ホトトギス派の俳人」16人(「ホトトギス派の俳人(その16)杉田久女:虚子との確執で有名な悲運の女流俳人」など)と「ホトトギス派以外の俳人」14人(「ホトトギス派以外の俳人(その14)長谷川かな女:大正期を代表する女流俳人」など)を紹介する記事を書いてきました。

ホトトギス派は、「客観写生」「花鳥諷詠」「有季定型(季語のある定型俳句)」を旨としましたが、それに飽き足りない俳人たちが、「無季俳句」や「自由律俳句」などを標榜する「新興俳句運動」を起こしました。

私は、「新興俳句運動」を全否定するつもりはなく、それなりの歴史的意義はあったと思います。しかし、私はやはり季節感溢れる「季語」を詠み込んだ「定型俳句」に魅力を感じます。

そこには、現代の私たちの生活から失われつつある(一部はほとんど失われた)季節感が溢れており、「懐かしい日本の原風景」を見るような気がします。

そこで今回から、「二十四節気」に沿って季節感あふれる「季語」と俳句をご紹介していきたいと思います。

なお、前に「季語の季節と二十四節気、旧暦・新暦の季節感の違い」という記事も書いていますので、ぜひご覧下さい。

季語の季節対比表

二十四節気図

「夏」は旧暦4月~6月にあたり、「初夏」(立夏・小満)、「仲夏」(芒種・夏至)、「晩夏」(小暑・大暑)に分かれます。

今回は「初夏」(立夏・小満)の季語と俳句をご紹介します。

・立夏(りっか):新暦5月5日頃です。「四月節」 夏の気配が感じられます。

・小満(しょうまん):新暦5月20日頃です。「四月中」 すべてのものが次第にのびて天地に満ち始めます。

1.時候

(1)あ行

・浅き夏(あさきなつ):夏に入って日が浅いこと。立夏からまだ日が浅い頃を指す。みずみずしい新緑のころである

・卯月(うづき):陰暦四月の異名、卯の花が咲く頃。卯の花月。卯浪とは風に揺れる卯の花を浪に連想したもので、やはり夏の季語

巫女町(みこまち)に よききぬすます 卯月かな(与謝蕪村)

日はながし 卯月の空も きのふけふ(加賀千代女)

水底の 草も花さく 卯月かな(桜井梅室)

はやり来る 羽織みじかき 卯月かな(立花北枝)

寝ころんで 酔のさめたる 卯月哉(正岡子規)

溜池に 蛙闘ふ 卯月かな(夏目漱石)

蚊の居ると つぶやきそめし 卯月かな(高浜虚子)

・四月(うづき):卯月(うづき)に同じ。陰暦四月のこと

思ひ出す 木曽や四月の 桜狩り(松尾芭蕉)

・卯の花月(うのはなづき):陰暦四月の別称

(2)か行

・今朝の夏(けさのなつ):立夏の日の朝

・五月(ごがつ):この月から夏に入るが、まだ、暑さや湿気が少ない。新緑が萌え て、一年の中でも特に清々しさを感じられる頃である

海ははれて 比叡ふりのこす 五月哉(松尾芭蕉)

うすうすと 窓に日のさす 五月かな (正岡子規)

門川に 流れ藻絶えぬ 五月かな(河東碧梧桐)

美しき 五月微熱を 憂しとせぬ(日野草城)

・五月来る(ごがつくる):陽暦の五月になること

アカハタと 葱置くベット 五月来たる(寺山修司)

暮れ際の 紫紺の五月 来りけり(森 澄雄)

・五月尽(ごがつじん):陽暦の五月が終ること

子を呼べば 妻が来てをり 五月尽(加藤楸邨)

街ゆきて 独活なつかしむ 五月尽(加藤楸邨)

(3)さ行

・首夏(しゅか):初夏の別称

採山(さいさん)の 頂(いただき)點(てん)ず 首夏の松(下村ひろし)

八ヶ岳 首夏の赤肌 日に連ね(井上倭子)

・小満(しょうまん):二十四節気の一つ。陽暦五月二十一日頃。万物が次第に成長して、一定の大きさに達して来るという意味

・初夏(しょか/はつなつ):夏の初め。陰暦四月の異称

初夏の風 遊船岩を はなれじと(前田普羅)

初夏のみち ぬれそむ雨に 桑車(飯田蛇笏)

谿(たに)ひろし 初夏の雲ゆき 影をひく (石橋辰之助)

初夏(はつなつ)を 乳房の筋の 青さかな(野村喜舟)

・聖五月(せいごがつ):キリスト教のマリアの月であることから五月の美称

聖五月 赤児眩しき 白ずくめ(堀口まゆみ)

・清和(せいわ):初夏の爽やかな天気のこと。清らかでのどやかなさま

窯の火の よき音となる 清和かな(新田祐久)

竹林の 闇のあをさも 清和かな(古賀まり子)

(4)た行

(5)な行

・夏浅し(なつあさし):夏に入って日が浅いこと。立夏からまだ日が浅い頃を指す。みずみずしい新緑のころである

夏浅し 回転椅子の よくまはり(久保田万太郎)

夏浅し 風のかげそふ 蝶のかげ (久保田万太郎)

・夏きざす(なつきざす):気候が夏らしくなる兆候が現れること

・夏来る(なつくる/なつきたる):立夏のこと。立夏は二十四節気の一つ。陽暦の五月六日ごろ。暦のうえではこの日からが夏。実感からするといささか早い気もするが、もう夏に入りましたと定められると、目に入る景色も新しい夏の光を纏いはじめたように思える

夏来ても ただひとつ葉の 一葉かな(松尾芭蕉)

夏が来た 隣へたつも 霞だけ(上島鬼貫)

おそるべき 君等の乳房 夏来(きた)る(西東三鬼)

汽罐車(きかんしゃ)の 煙鋭き 夏は来ぬ(山口誓子)

プラタナス 夜もみどりなる 夏は来ぬ(石田波郷)

毒消し飲むや わが詩多産の 夏来(きた)る(中村草田男)

しまうまが シヤツ着て跳ねて 夏来(きた)る(富安風生)

一箪食(たんし) 一瓢飲(ひょういん)の 夏来(きた)る(高野素十)

からすびしやく すずめのてつぽう 夏来(きた)る(山口青邨)

くづるるが 波の言葉よ 夏来(きた)る(鈴木真砂女)

子に母に ましろき花の 夏来(きた)る(三橋鷹女)

夏来たる 白き乳房は 神のもの(三橋鷹女)

渓(たに)の樹(き)の 膚(はだ)ながむれば 夏来(きた)る(飯田蛇笏)

紺と白 わが好む色 夏来たる(稲畑汀子)

・夏立つ(なつたつ):立夏の別称

夏立つや 衣桁(いこう)にかはる 風の色(横井也有)

夏立ちし 瓶(かめ)につゝじの 花古し(正岡子規)

夏立つや 忍に水を やりしより(高浜虚子)

夏立つや 残るは黄なる 花一つ(佐藤春夫)

夏立つや 未明にのぼる 魚見台(高田蝶衣)

・夏に入る(なつにいる):立夏の別称

彼岸より 庭木動かし 夏に入る(高浜虚子)

歳時記を 愛して夏に 入りゆけり(山口誓子)

夏に入る その日の離京 うべなひつ(中村汀女)

朝の雨 あらくて夏に 入りにけり(日野草城)

はや夏に 入りたる波の 高さかな(久保田万太郎)

樫(かし)の葉の 旺(さか)んに降(ふ)りて 夏に入る(阿部みどり女)

原色に だんだん近く 夏に入る(稲畑汀子)

・夏の始(なつのはじめ)/夏始(なつはじめ)/夏初め(なつはじめ):初夏の別称

尼が旅 手提げ一つに 夏初め(高橋淡路女)

見違える ほどの短髪 夏初め(渡辺寛子)

一(ひ)と部屋は 藺茣蓙(いござ)の香(か)あり 夏初め(瀧 春一)

・夏初月(なつはづき):陰暦四月の別称

・夏めく(なつめく):春の花々が終わって緑の世界にかわり、初夏の花々が咲き始め、あたりは夏の景色に近くなった様子である。生活面も夏らしい感じに変る

夏めきて 人顔見ゆる ゆふべかな(夏目成美)

夏めくや 花鬼灯(はなほおずき)に 朝の雨(中村楽天)

夏めくや 合わせ鏡に 走る虹(久米三汀)

(6)は行

・麦秋(ばくしゅう):麦の穂が成熟する五月から六月頃をいう。日に輝く黄金色の穂は美しく、麦畑を風がわたるときの乾いた音も耳に心地よい

麦秋や 雲より上の 山畠(桜井梅室)

麦秋や 日出でゝ霞む 如意ヶ嶽(にょいがたけ)(日野草城)

・薄暑(はくしょ):初夏の頃、やや汗ばむほどの暑さをいう。大正年間に定着した季語。夏のはじめの感覚的な季語

旅帰り 軽暖薄暑 心地よし(高浜虚子)

人々に 四つ角ひろき 薄暑かな(中村草田男)

栴檀の 花うすいろに 郷薄暑(飯田蛇笏)

揚泥の 乾く匂ひの 薄暑かな(日野草城)

・花残月(はなのこりづき):陰暦四月の別称

(7)ま行

・麦秋(むぎあき)/麦の秋(むぎのあき):麦の穂が成熟する五月から六月頃をいう。日に輝く黄金色の穂は美しく、麦畑を風がわたるときの乾いた音も耳に心地よい

山寺は 碁の秋里は 麦の秋(小林一茶)

病人の 駕も過けり 麦の秋(与謝蕪村)

麦の秋 さびしき貌(かお)の 狂女かな(与謝蕪村)

宿々は 皆新茶なり 麦の秋(森川許六)

深山路(みやまじ)を 出抜けて明けし 麦の秋(炭 太祗)

網棚に 帽子の箱や 麦の秋(長谷川櫂)

夕暮や 野に声残る 麦の秋(楚秋)

・孟夏(もうか):初夏の別称

(8)や行

(9)ら行

・立夏(りっか):二十四節気の一つ。陽暦の五月六日ごろ。暦のうえではこの日からが夏。実感からするといささか早い気もするが、もう夏に入りましたと定められると、目に入る景色も新しい夏の光を纏いはじめたように思える

藤垂れて 立夏の急雨 到りけり(臼田亜浪)

白々と 立夏の月の 在りどころ(高木晴子)

樹々の香(か)の なかへ入りゆく 立夏かな(林 信子)

のらのらと 生きて立夏の うすき汗(大木あまり)

海の色 まだ定まらぬ 立夏かな (中村苑子)

(10)わ行

・和淸の天(わせいのてん):陰暦四月ころの初夏の気候が清らかで温和なこと