前に「ギリシャ悲劇とは何か?」という記事を書きましたが、古代ギリシャには「三大悲劇詩人」(三大悲劇作者)と呼ばれる傑出した詩人(アイスキュロス・ソポクレス・エウリピデス)がいました。
そこで今回は、エウリピデスについてわかりやすくご紹介したいと思います。
1.エウリピデスとは
エウリピデス(古代ギリシャ語: Εὐριπίδης、Eurīpídēs、 紀元前480年頃~紀元前406年頃)は、古代アテナイのギリシャ悲劇における「三大悲劇詩人」の一人で、現代にも大きな影響を及ぼしています。代表作は『メデイア』、『アンドロマケ』など。
エウリーピデースと長母音で表記されることもあります。
2.エウリピデスの生涯
アッティカのプリュア区(デーモス)に裕福な父親ムネサルコスと母親クレイトの間に生まれました。両親に関して、アリストパネスをはじめとする喜劇作家たちからは貧しい商人や野菜売りであると言われていますが、ビザンツ時代には既に研究者によって否定されています。
エウリピデスが当時としては稀な蔵書家であり、哲学者アナクサゴラスによる高度な教育を受けていることも、中傷を否定する根拠の一つになります。
紀元前455年に『ペリアスの娘たち』などからなる四部作でディオニューシア祭に最初の出場を果たしましたが、それから初の優勝を得るまで14年もかかっています。
50年間に及ぶ芸歴の中で92の作品を書き22回の上演をしたとスーダ辞典に伝えられていますが、優勝は生前に4回、死後に1回、合わせて5回だけでした。
しかし、それをもってエウリピデスが同時代人からの評価を受けていなかったとは言えません。むしろ、『蛙』に表れているように、賞等を決める保守的な層に嫌われたことが大きな原因であると言うべきでしょう。
紀元前408年に『オレステス』を上演した後、マケドニア王アルケラオス1世に招かれてその宮廷へ赴きました。マケドニアの最重要神域であるディオンの劇場で、「バッコスの信女」や「アルケラオス」を上演しました。
紀元前406年のディオニューシア祭の直前、マケドニアからエウリピデスの訃報が届くと、彼の長年のライバルであったソポクレスは上演前の挨拶で弔意を示しました。
性格は厳しく非社交的、哲学的な新思想の持ち主で「舞台の哲人」と呼ばれ、当時の市民としては珍しく公職に就かず軍務にも服したことがありませんでした。
結婚生活にも問題がありました。二人の妻を持ちましたが、二人ともが不貞を働き、古代においてはそれによって女嫌いになったと言われました。
3.エウリピデスの作品
悲劇18篇とサテュロス劇1篇が現存するほか、多数の断片が存在します。三大詩人の他に比べて現存する作品が多いのは、ひとつには古代に「悲劇傑作」として選定されたのが10作品と他の2人(各7作品)より多いのと、題名のアルファベット順に並べられた「全集」のうち、Η・Ιの部分が幸いに散逸を免れたためです。
(1)アルケスティス
死期が迫ったテッタリア地方ペライの王アドメートスが、アポローンの好意によって身代わりを出せば命が助かることとなり、最終的に妃のアルケースティスが身代わりとなって死ぬが、ヘーラクレースが彼女を救い出すという神話を題材としています。
紀元前438年のディオニューシア祭で
- 『クレタの女たち』
- 『テレフォス』
- 『プソフィスのアルクマイオン』
の三部作に続くサテュロス劇の代わりに上演され、二等賞を得ました。
エウリピデスの現存する作品の中では最も古いものと目されますが、それでも作家が50歳に近いころのものであるから、全体としては中期の後半あたりに属すると言えます。
(2)メデイア
日本においては『王女メディア』のタイトルでよばれることも多い作品です。
ギリシア神話に登場するコルキス王女メディア(メーデイア)の晩年におこったとされるコリントスでの逸話、すなわち夫イアソン(イアーソーン)の不貞に怒り、復讐を果たして去っていく話を劇化したものです。
紀元前431年に、古代アテナイのディオニューシア祭で
- 『ピロクテーテース』
- 『ディクテュス』
という二篇の悲劇、及びサテュロス劇『刈り入れする人たち』と共に初演され、第3等賞を得ました。1世紀のローマで、この作品に着想を得てセネカが同名の戯曲を書くなど、現代にいたるまで、文学、演劇に影響をあたえ続けた作品です。
(3)ヘラクレスの子供たち
ヘーラクレースの死後、彼の子供たちとその保護者イオラーオスが、ミュケーナイ王エウリュステウスの迫害を逃れ、アテナイ王デーモポーンに保護を求め、アテナイとミュケーナイが戦争、敗れたエウリュステウスが処刑される様が描かれます。
その作風・内容から、上演は紀元前430年頃と推定されます。
(4)ヒッポリュトス
アテーナイ王テーセウス、彼のアマゾーンとの間の息子ヒッポリュトス、そしてテーセウスの後妻パイドラーが、愛憎に翻弄される様をトロイゼーンの王宮前を舞台に描きます。
エウリピデスは『ヒッポリュトス』を2作品執筆していますが、現存しているのは2作目の『(花冠を捧げる)ヒッポリュトス』であり、一作目の『(顔をおおう)ヒッポリュトス』は断片のみが現存しています。
紀元前428年の大ディオニューシア祭で上演され、優勝しています。
(5)アンドロマケ
トロイア戦争終結後、トロイア王子ヘクトールの妻だったアンドロマケを妾としたアキレウスの子ネオプトレモス、その後の妻であるスパルタ王メネラーオスの娘ヘルミオネー等の愛憎が交錯した物語が、テッタリア地方プティーアーのネオプトレモスの館前を舞台に描かれます。
上演された記録はありません。紀元前425年頃の作品と推定されます。
(6)ヘカベ
トロイア王プリアモスの妻で、トロイア戦争終結後アガメムノンの奴隷となったヘカベが、息子ポリュドーロスを殺したトラキア王ポリュメーストールに復讐する様を、ケルソネーソスの浜辺の幕舎を舞台に描かれます。
上演年は分かっていませんが、紀元前424年頃の作品と推定されます。
(7)救いを求める女たち
アルゴスのテーバイ攻めの七将の遺体を、母親たちが引き取る物語が、エレウシスを舞台に描かれます。
上演年は分かっていませんが、紀元前422年頃の作品と推定されます。
(8)ヘラクレス
ヘラクレスの妻であるテーバイ王クレオンの娘メガラとその子どもたち、そして養父アムピトリュオーンが、テーバイの王権を簒奪したリュコスに命を狙われているところに、ヘラクレスが帰還しそれを阻止しますが、狂気の女神リュッサに取り付かれたヘラクレス自身が彼ら家族を殺してしまうという物語が、ヘラクレスの館を舞台に描かれます。
上演年は分かっていませんが、紀元前416年頃の作品と推定されます。
(9)イオン
アテーナイ王エレクテウスの娘クレウーサと、彼女がアポローン(ポイボス)との間にもうけて捨てた子イオンの奇妙な再会と和解の物語が、デルポイの神託所を舞台に描かれます。
正確な上演年は分かっていませんが、紀元前410年代と推定されます。
(10)トロイアの女
トロイア戦争終結直後、陥落したトロイアの女たちが
- カッサンドラーは、アガメムノンへ
- アンドロマケーは、ネオプトレモスへ
- ヘカベーは、オデュッセウスへ
といった具合に、ギリシア兵士側に妾・奴隷として分配されていく様が描かれます。



紀元前415年の大ディオニューシア祭にて、
- 『アレクサンドロス』
- 『パラメーデース』
- 『トロアーデス』
- 『シーシュポス』(サテュロス劇)
という組み合わせで上演され、二等になっています。
(11)エレクトラ
アガメムノンの娘エレクトラと息子オレステースが、父を殺した母クリュタイムネーストラーに復讐する様を、アルゴン郊外の農家を舞台に描いています。
基本的にアイスキュロスの『コエーポロイ』(供養する女たち)及びソポクレスの『エレクトラ』と同じ題材を扱っています。
紀元前413年頃に作られたと推定されます。上演成績は不明で、初演がソポクレス版より早いのかどうかについてもはっきりしていません。
(12)タウリケのイピゲネイア
父アガメムノンに生贄にされる直前にアルテミスによって救出され、ケルソネーソスにあるタウロイ人の国でアルテミス神殿の巫女として過ごしていたイーピゲネイアの元に、母親への復讐とアテナイでの審判を終え、アルゴスへと帰国途中の弟オレステースが訪れ、共にアルゴスへと帰国する様が描かれます。
紀元前413年頃に作られたと推定されますが、上演成績は不明です。
(13)ヘレネ
トロイア戦争のきっかけとなったヘレネが、実はトロイアではなくエジプトにおり、夫であるメネラーオスがトロイア戦争から帰国の途で合流し、共にスパルタへ帰るという物語が描かれます。
紀元前412年の大ディオニューシア祭で上演されましたが、上演成績は不明です。
(14)フェニキアの女たち
オイディプス絡みのいわゆる「テーバイ攻め」を題材としています。題名の「フェニキアの女たち」とは、作中のコロス(合唱隊)がフェニキア(ポイニーケー)の女たちによって構成されているからですが、これは作中歌に登場するテーバイの創建者カドモスが、フェニキアの最大都市であるティルス出身であったことにちなみます。
紀元前409年の大ディオニューシア祭で上演されたと推定されます。
(15)オレステス
題名通り、アガメムノンの息子オレステスを題材としており、父の復讐で母クリュタイメーストラーを殺害した彼と姉のエレクトラが、アルゴスの民衆に殺されそうになる中、叔父夫婦であるメネラーオスとヘレネー等も加わりつつ、物語が進行します。
紀元前408年の大ディオニューシア祭で上演されました。
(16)バッコスの信女
アジアからテーバイへとやって来たバッコス(ディオニューソス)及びその信女たちと、テーバイの創建者カドモス、その娘アガウエー、その息子でテーバイの王であるペンテウス等とのやり取りを描きます。コロス(合唱隊)は、テーバイまでディオニューソスに付き従ってきた信女達です。
紀元前407年頃、最晩年にマケドニアで書かれた作品と考えられます。
(17)アウリスのイピゲネイア
<ダヴィッド画『アキレウスの怒り』>
紀元前408年からエウリピデス死去の紀元前406年の間に書かれ、最初は『バッコスの信女』、エウリピデスの子もしくは甥の小エウリピデス作『コリントスのアルクマイオーン』とともに三部作として上演され、アテーナイのディオニューシア祭で優勝しています。
『アウリスのイーピゲネイア』は、トロイア戦争ギリシア軍総大将のアガメムノンを狂言回しとします。アガメムノンが娘イーピゲネイアを生贄にささげると決意したのは、女神アルテミスの怒りを和らげて船団を出発させ、対トロイア戦で自軍の名誉を保つためでした。
イーピゲネイアの運命を巡ってアガメムノンとアキレウスは対立し、この対立は長編詩『イーリアス』冒頭でも描かれています。
主要な登場人物を描く際、エウリピデスは劇的効果を狙ってイロニー(皮肉)を多用しています。
(18)レソス
トロイア戦争10年目の一場面を描いたものであり、内容は『イーリアス』第10巻「ドローネイア」に相当します。
作成年も真偽も定まっていません。
(19)キュクロプス(サテュロス劇)
現存する唯一のサテュロス劇です。
トロイア戦争終結後、トロイアから帰還するオデュッセウスの、帰途の途中におけるキュクロプス等とのやり取りを題材とします。
作成年は定まっていません(紀元前424年頃、紀元前412年頃、紀元前408年頃などの説があります)。
4.エウリピデスの作風
同時代のソポクレスと対照的に、革新的で新思考的でした。様式面では既に縮小傾向にあった合唱隊の役割をさらに小さくしたこと、それに伴って俳優が短い文章によって応酬する場面を多く用いたこと、そして「機械仕掛けの神」(*)を多用したことが特徴です。
(*)「機械仕掛けの神」(デウス・エクス・マキナ)とは、古代ギリシアの演劇において、劇の内容が錯綜してもつれた糸のように解決困難な局面に陥った時、絶対的な力を持つ存在(神)が現れ、混乱した状況に一石を投じて解決に導き、物語を収束させるという演出手法のことです。
「機械仕掛けの神」は、これに類するものを含めると現存する19篇のうち11篇で用いられています。しかし、しばしば批判されるように、物語の収拾がつかなくなってこの仕掛けに頼ったのではないことは、各作品を見れば明らかです。観客がそれを待ち望んでいたためだけにそれを出現させることもあったといことです。
内容面では、作品の主題を神話から取りながらも、その行動においてはもはや神々や英雄というより市井の人間のような人物を描き、細やかな心理描写を得意としました。これは後の新喜劇につながる特徴でもあります。
エウリピデスの女性の描写は有名で、『アルケスティス』で貞淑の鑑を書いたかと思えば『ヒッポリュトス』ではパイドラが淫乱に過ぎると非難され、『メディア』においては激烈な怒りに動かされる女性と、様々な性質を深く考察して書いています。
一方で筋書きについては、時には明らかな破綻をも露呈するほどの冒険をしており、ここには新たな可能性の追求を妥協をし得ない学究的な性格が表れています。
様々な革新を行ったエウリピデスですが、同時に愛国的な作品も多いのも特徴です。『ヘラクレスの子供たち』や『救いを求める女たち』では直接にアテナイが舞台とされているし、『ヘラクレス』や『メディア』においてもアテナイの英雄が作中において救済者的な役割を果たしています。
5.エウリピデスの言葉
今から4000年ほど前のエジプトの遺跡で見つかった手記に、「この頃の若い者は才智にまかせて、軽佻の風を悦び、古人の質実剛健なる流儀を、ないがしろにするのは嘆かわしい」と書かれていたという逸話があります。
また、今から2500年ほど前の古代ギリシャの三大悲劇詩人の言葉を見ても、「人間は今も昔も同じようなことを考えていた」ことがわかります。
フランスの哲学者・数学者デカルト(1596年~1650年)は、「我思う、ゆえに我あり」と述べ、同じくフランスの哲学者・数学者パスカル(1623年~1662年)は「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」と喝破しました。
大昔の名もなき物言わぬ庶民たちも、書き残していないだけで、いろいろと考えたり悩んだりして人生を生き抜いたのだろうと私は思います。
(1)沈黙は真なる英知の最上の応答なり。
(2)よい習慣は法より確かなり。
(3)酒のないところに愛はなし。
(4)危険は勇者の目には太陽のごとく光り輝く。
(5)とるに足りぬことも、新しくば烏合の衆を喜ばす。
(6)大衆が悪しき指導者を持つときは恐ろしきものなり。
(7)死は、われわれがすべてを支払わねばならぬ借金なり。
(8)逆境においても道理に耳を傾けるは賢明なり。
(9)人間は栄えているべきなり。ひとたび落ち目になれば友などというものはなし。
(10)幸せに恵まれている、と思われる人も、死ぬのを見とどけぬうちは羨むべからず。運はその日かぎりにつき。
(11)最大の不運の中に、しあわせが生まれる最高のチャンスがある。
(12)礼儀は魅力もあれば利益もある。
(13)息子よ、許してやれ。人間は所詮人間だ。どうしても過ちを犯すものなのだよ。
(14)自制心は、神々の最高で高貴な贈り物である。
(15)女たるものは、つねに男たちの運の行く手に立ちふさがり、かつ不幸なほうへと導く。
(16)私に若い時代が2回、年老いた時代が2回あったならば、私の過ちを改められるだろう。
(17)必然に随順する者、これ賢者にして神を知る者なり。