不老不死伝説「八百歳の八百比丘尼」の実像は、旅の巫女か売春婦だったのか?

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八百比丘尼

1.悲劇の不老不死伝説の「八百比丘尼」伝説

(1)「八百比丘尼」とは

八百比丘尼堂

「不老不死」伝説の一つに、日本の「八百比丘尼(やおびくに)伝説」というのがあります。

これは、禁断の肉である「人魚の肉(あるいは九穴の鮑(あわび)貝)を食べたことで不老長寿を獲得し、800歳まで生きたという比丘尼の伝説です。

柳田国男、中山太郎、堀一郎らの調査によると、「八百比丘尼」の伝説は北海道と九州南部以南を除くほぼ全国に分布しているそうです。柳田の研究をもとにさらに具体的に調査した高橋晴美によると、その伝説は全国28都県89区市町村121ヶ所にわたって分布しており、伝承数は166に及んでいます。

福井県小浜市と福島県会津地方では「はっぴゃくびくに」、栃木県栃木市西方町真名子では「おびくに」、その他の地域では「やおびくに」や「しらびくに」と呼ばれることが多いようです。

「八百比丘尼」伝説の大筋は大体次のようなものです。

ある男が、見知らぬ男などに誘われて家に招待され供応を受ける。その日は庚申講などの講の夜が多く、場所は竜宮や島などの異界であることが多い。そこで男は偶然、人魚の肉が料理されているのを見てしまう。その後、ご馳走として人魚の肉が出されるが、男は気味悪がって食べず、土産として持ち帰るなどする。その人魚の肉を、男の娘または妻が知らずに食べてしまう。それ以来その女は不老長寿を得る。その後娘は村で暮らすが、夫に何度も死に別れたり、知り合いもみな死んでしまったので、出家して比丘尼となって村を出て全国をめぐり、各地に木(杉・椿・松など)を植えたりする。やがて最後は若狭にたどり着き、入定する。その場所は小浜の空印寺と伝えることが多く、齢は八百歳であったと言われる。

「八百比丘尼」は800歳まで生きましたが、容姿は全く衰えず、その姿は17~18歳のように若々しかったと言われています。しかし、自分だけは老いず死なないので、次々と夫に先立たれたり、周りの人々が皆亡くなったりして、決して幸福な人生とは言えなかったようです。

やがて「あの女は人魚の肉を食べて死ななくなった化け物だ」と言われ、村の人々から怖がられて相手にされなくなります。不老不死は、決して幸せをもたらすものではなかったのです。ひとりぼっちになってしまった娘は、哀しみのあまり村を出て諸国を巡る比丘尼となったのでした。

(2)「八百比丘尼」の実像は旅の巫女か売春婦?

八百比丘尼像の特徴は、手に椿の花を持っていることです。北陸から東北地方にかけての沿岸部には、椿がまとまって茂る聖地が点在しています。

「椿」は文字通り、春の到来を告げる花とみなされ、椿の繁茂する森は信仰の対象となっていました。旅をする遍歴の巫女が、椿の花を依代にして神霊を招いたものと想像されています。八百比丘尼の別称は「白比丘尼(しらびくに)」です。白の「シラ」は、「再生する」という古語であり、シラ比丘尼の長寿は、巫女の特つ霊力を強調するものとして吹聴したのかもしれません。

日本全国に「八百比丘尼」伝説が残っている理由は、800歳という「噓八百」の触れ込みで、諸国を遍歴して人々を惑わしたり、春を鬻(ひさ)いだりする比丘尼が多くいたからではないかと私は推測します。

つまり、「八百比丘尼」の実像は、尼形の巫女(みこ)で祈祷(きとう)や託宣を業とした近世の「歌(うた)比丘尼」や、遊女にまで転落した「売(うり)比丘尼」だったのではないでしょうか?

2.「不老不死」伝説

秦の始皇帝

昔から、世界中の王侯貴族は「不老不死」の薬を求め続けて来ました。

「不老不死」とは、「永久に若く、死なないこと」です。中国人の伝統的な生命観で、秦の始皇帝(BC259年~BC210年)は実際に不老不死の薬を求めて、かえって死期を早めたと言われています。

始皇帝は徐福に「蓬莱の国」へ行き仙人を連れて来るように(あるいは仙薬を持って来るように)命じたことが『史記』に記録されています。むろん徐福はそれを探し出せず、日本に亡命したとの伝説が残っています。あとに残された部下たちは、困った挙句「辰砂」という水銀を原料にした丸薬を作り、それを飲んだ始皇帝は猛毒によって死亡したそうです。

最古の不老不死説話は、古代メソポタミアの『ギルガメシュ叙事詩』にあります。ギルガメシュは不老不死の薬を求める旅から帰国した後も、王として国を治め、城壁を完成させるなど為すべきことを果たしたとされています。

ギリシャ神話に登場するティーターン(タイタン)も不老不死です。北欧神話のアース神族も不老不死となっています。

インドの『リグ・ヴェーダ』という聖典には、不死の飲み物「アムリタ」を巡って神と悪魔が争う話があります。

日本の『古事記』『日本書紀』には、垂仁(すいにん)天皇が田道間守(たじまもり)を「常世(とこよ)の国」に遣わして、「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」と呼ばれる不老不死の霊薬を持ち帰らせたという話があります。ちなみに「田道間守」が不老不死の霊薬を持ち帰った時には、垂仁天皇は既に崩御していたそうですが、享年140(『古事記』では享年153)とされています。とても信じがたい話ですが・・・

デイリーメイルというイギリスのタブロイド紙(大衆紙)があります。この新聞の記事は、日本の「東京スポーツ」(略称:東スポ)並みに「信用性が極めて低い」のですが、「ハーバード大学医学部の研究者が、アンチエイジングで寿命を150歳まで延ばす薬を開発中」というニュースがありました。

現代では、「不老不死」が不可能なのは明らかですが、いつまでも若々しく健康で長生きするという「不老長寿」は、多くの人の願望だということでしょう。

3.世界最高齢の「嘘?」が発覚

最近、次のようなニュースがありました。

 1997年に死去したフランス人女性が持つ史上最高齢の世界記録について、成り済ました娘の詐称だった可能性をロシアの研究者らが指摘し、広く物議を醸している。

現在「ギネス世界記録(Guinness World Records)」で認定されている世界史上最高齢は、フランス人女性ジャンヌ・カルマン(Jeanne Calment)さんの122歳164日。

しかし、この記録に疑問を抱いたモスクワ大学(Moscow State University)の数学者ニコライ・ザーク(Nikolai Zak)氏は、老年学者のバレリー・ノボセロフ(Valery Novoselov)氏と共同でカルマンさんの生涯を調査。

資料すべてを分析した結果、ジャンヌ・カルマンさんのイボンヌ(Yvonne Calment)さんが相続税の支払いを免れるために母親に成り済ましていたという結論に達した。

そういえば、日本でも数年前に年金の(不正)受給を続けるために、息子や娘が「親の死亡を隠していた」事件がありましたね。

4.幸福な「不老長寿」とは

不自然な、あるいは過度な長寿は求めるべきではないと私は思います。最近よく言われる「健康長寿」を延ばすよう「無理のない程度に努力する」ことが、最も自然で理想的なのではないかと思います。