シベリアやフィリピンなどの戦没者遺骨収集事業は、今や断念し終了すべき時期!

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シベリア抑留者の遺骨収集

1945年8月14日に日本がポツダム宣言を受諾して「無条件降伏」し、第二次世界大戦が終わりました。

一方ソ連は1945年8月9日に、突如ポツダム宣言への参加を表明した上で、「日本がポツダム宣言を拒否したため、連合国の参戦要請を受けた」として宣戦を布告し、一方的に「日ソ不可侵条約(日ソ中立条約)」を破棄して、満州国・朝鮮半島北部・南樺太・千島列島などへ順次侵攻しました。8月18日には「占守島の戦い」(浅田次郎の小説「終わらざる夏」はこの戦いを描いています)がありました。「北方領土返還」の記事に詳しく書いています。

その結果、約60万人の日本兵らがシベリアに抑留され、そのうち約5万5千人が彼の地で亡くなりました。ポツダム宣言受諾によって「武装解除された日本兵」を「捕虜」とすること自体、国際法違反ですし、ましてやシベリアに連行して強制労働に従事させたのは「武装解除した日本兵の家庭への復帰」を保証した「ポツダム宣言」に完全に反するものです。

このような「シベリア抑留者の遺骨収集」で持ち帰った「遺骨」に、日本人でない(ロシア人の)ものが含まれていたという驚くべき事実が、2019年8月に報道されました。

しかも、この事実は、14年も前から非公開の会議で何度も指摘されており、厚生労働省はそれを当時から把握していましたが、長年にわたって公表せず事実上放置してきたということです。これは二重の驚きであるとともに、厚生労働省の無責任な対応に怒りを覚えます。

1.シベリア抑留者の遺骨収集

NHKの報道によれば、遺骨をDNA鑑定した複数の専門家が、これまで明らかになっていたシベリアの2カ所だけでなく、ほかの7カ所で収集した「遺骨」も「日本人ではない」と15回にわたって再三指摘していたそうです。

(1)遺骨収集の困難さ

戦後70年あまり経過していることから、遺骨収集の困難さは想像に難くありません。しかも、「きちんとした墓地」に埋葬され、丁重に管理が行われていたのなら別ですが、シベリア抑留者については、茫々たるシベリアの荒野に事実上野ざらし状態で、「大体この辺りに埋葬したらしい」という話を頼りに発掘しているわけですから、心許ない話です。

しかも、当時シベリア抑留者の埋葬に立ち会った住民はすでに亡くなっており、言い伝えによる話ですから、ますます頼りない次第です。

フィリピンのような戦場のあとであれば、鉄兜や銃、携行品などがあるかもしれませんが、武装解除された日本兵らが奴隷のような強制労働に従事させられていたシベリアでは、そのような手掛かりがあるはずもありません。

(2)遺族の心情

極寒のシベリアの地で無念の思いを抱いて亡くなったシベリア抑留者の遺族としては、せめて遺骨を祖国の地に持ち帰り、手厚く弔いたいという気持ちがあるのは痛いほどわかります。

2.フィリピンでの戦没日本兵の遺骨収集

2019年5月には、「フィリピンでの戦没日本兵の遺骨収集事業で持ち帰った『遺骨』に、日本人のものは一体もない」とのショッキングな報道がありました。

最激戦地のフィリピンでの事業は2010年から8年間も中断しました。収集された遺骨のほとんどがフィリピン人のものだったのではないかという疑惑が報じられたためです。

51万8千人が犠牲となったフィリピンから収容された遺骨は、2019年3月末時点で14万8530柱です。

政府派遣団による収集は、1974年度の1万6826柱をピークに下がり続け、平成の半ばには年に数十柱にまで落ち込みました。

ところが、NPO法人「空援隊」が政府派遣団に加わった2007年度から収容数が急激に上がり、2009年に同隊が単独で受注した「未送還遺骨情報収集事業」(フィリピン分)では、7740柱という大量の「遺骨収集」となりました。しかし、これは素人が考えても「異常値」です。フィリピン人の先祖の骨が大量に盗まれたとの話もあります。現地の「鑑定人」も「鉱物の専門家」だったそうで、「人骨か獣骨かの見分けかぐらいは出来るが、日本人かフィリピン人かなどはわからない。ましてやDNA鑑定などは無理」とのことです。現地の住民がアルバイト代稼ぎに、フィリピン人の墓地に眠っていた先祖のフィリピン人の骨を掘り出して日本人の遺骨として提供した疑いが濃厚です。このような不心得者に遺骨収集事業が食い物にされたのでは、死者も浮かばれません。

この話を聞くと、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんについて、死亡したとして北朝鮮が送り付けた「横田めぐみさんの遺骨」が、DNA鑑定の結果全く別人のものであったことを思い出します。

このような「墓場泥棒」や、補助金を食い物にする「詐欺行為」の横行するような欺瞞に満ちた「まやかしの遺骨収集」は、遺族を二重に傷つけているように私は思います。

3.遺骨収集事業に関する法律

1952年から開始された海外戦没者の遺骨収集事業は、南方から旧ソ連、モンゴルなどに拡大され、現在も厚生労働省の所管で継続しています。

2016年に議員立法で成立した「戦没者遺骨収集促進法」では、遺骨収集を「国の責務」と明記しており、五年後の2024年度までを「遺骨収集施策の集中実施期間」としています。しかし遺骨は金属探知機で調べることもできませんし、60年以上もジャングルを捜し続けて見つからなかったものが、今後5年間で簡単に見つけられるとは到底思えません。

「真面目」に捜せば、「成果は限りなくゼロ」に近くなるでしょうし、「空援隊のような団体に丸投げ」すれは、「盗掘されたフィリピン人の骨が数千体」も出て来るのが落ちでしょう。8年前の2011年の東日本大震災の捜索作業でも困難を極めているのに、何をかいわんやです。

第二次世界大戦での海外戦没者数は、約240万人に上りますが、うち112万人の遺骨は今も現地に眠っています。

戦後73年も経った今となっては、遺骨収集事業はますます困難になることが予想されます。シベリア抑留者遺骨収集やフィリピンでの遺骨収集の失敗例を見ても、そろそろ「理想論・建前論」は捨てて、「遺骨収集作業は断念するなど現実的な「事業の方向転換」が必要ではないかと私は思います。

京都嵯峨野に化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)という浄土宗の寺があります。約8,000体というおびただしい数の石仏・石塔で有名ですが、「化野」は平安時代以来の墓地で、「風葬(ふうそう)」の地として有名です。「風葬」は遺体を風にさらして風化を待つ葬制です。

「千の風になって」の歌ではありませんが、遺骨やお墓にこだわらずに、「まやかしの遺骨収集事業」は早急に中止して、何か遺族に手厚く報いる建設的な方法を考えるべき時ではないでしょうか?

行政は一旦走り出すと止まれない」という話を地方公務員の人から聞いたことがあります。今回の遺骨収集の問題も政府・自民党や政権与党などよほど上層部からの「方針転換の大号令」がないと止まれないような気がします。

草茅危言(そうぼうきげん)ですが、政府ならびに厚生労働省、遺族会の皆様のご検討をお願いしたいと思います。


遺骨 戦没者三一〇万人の戦後史 (岩波新書) [ 栗原俊雄 ]