「ワーケーション」とは何か?ワークライフバランスや東京一極集中解消にも有効

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ワーケーション

最近、「ワーケーション」という言葉をよく聞くようになりました。今回はこのワーケーションについて考えてみたいと思います。

1.ワーケーションとは

ワークアンドバケーション

「ワーケーション」(Workations)とは、「働きながら休暇を取ること」です。「ワーク」と「バケーション」から作られた造語です。これは「テレワーク」の一種です。

アメリカでは一般に、「旅費・交通費などは労働者の負担で、オフィスを離れリゾート地などに行き、電話会議への参加・報告書提出などをこなしつつ、休暇を取る形」となっているそうです。

意外かもしれませんが、アメリカ人はあまり休暇を取らず、休暇を取っても会社と電話連絡をするなど完全な休暇にならないことが多いため、公式に認められた「ワーケーション」という形が2000年代に生まれました。

今や「ICT(Infomation and Communication Technology )社会」(情報通信技術社会)となっており、「スカイプ(skype)」(マイクロソフト社が提供するインターネット電話サービス)がありますので、必ずしも東京や大阪のオフィスでなくても働くことができる仕事がたくさんあると思います。

ちなみに「スカイプ」とは簡単に言えばパソコンで「テレビ電話」ができるものです。

もちろん、東京や大阪などの都市部のオフィスでしかできない業務や、セキュリティー上の解決すべき問題もあるでしょうが、ワーケーションできる業務もたくさんあると思います。今後大企業は率先してその仕分けを行い、労働者にワーケーションを選択できるよう提案すべきだと思います。

このワーケーションは、「ワークライフバランス」の実現や「東京一極集中」の解消にも寄与する有効な手段ではないかと思います。

満員電車に乗って通勤するのが嫌でサラリーマンを辞めてインターネットを利用した仕事(ブロガーなど)を始めた人もいますが、ワーケーションを利用すればサラリーマンとしても働き続ける可能性もあるように思います。

2.ワーケーション導入の動き

(1)導入企業

2018年7月から日本航空(JAL)がワーケーションを導入しました。JALでは、従来から「在宅勤務」というテレワークが認められていましたが、仕事をする場所は「自宅や上司が認めた特定の場所に限定されていました。

JALの担当者は「働く場所は世界中のどこでもよく、多様な働き方ができるようになります」とコメントしています。

現在、アメリカで増えてきている働き方の一つが、このワーケーションで、仕事をしながらも場所はリゾートなどに行き、バケーションを取りながら働くというものです。

(2)受け入れ側であるリゾート地の自治体

和歌山県白浜町には続々と企業が集まり、南紀白浜空港の搭乗者数は過去最高となったそうです。

長野県軽井沢町や、八ヶ岳山麓の長野県富士見町、静岡県下田市などの観光地にも、拠点を置く企業が増加しており、受け入れ側であるリゾート地の自治体では、1年を通しての経済効果が期待できるとあって、受け入れ態勢の整備を急いでいるそうです。

下田市は、2019年5月に「下田ワーケーション研究会」を立ち上げました。長野県は「信州リゾートテレワーク拠点整備事業」を推進しています。2019年11月には、長野県が中心となってワーケーション関係自治体の全国組織である「ワーケーション全国自治体協議会(WAJ)」が設立されるとのことです。

3.どんな場所でも仕事はできる・・・ただし才能と能力さえあれば

(1)清少納言

山で できた書物の 柔らかさ

これは、清少納言(966年頃~1025年頃)が源氏物語を滋賀県の石山寺で書いたことを、「石」と「(恋愛小説の)柔らかさ」との対比で面白く表現した江戸時代の古川柳です。

私も石山寺に行ったことがありますが、本堂の前にごつごつした奇怪な巨石(石灰石岩ホルンフェルス)がむき出しになっており、「風情」はあまり感じられませんでした。石山寺はこの石灰石岩ホルンフェルスの上に立つ寺です。

(2)正岡子規

「病牀六尺」

これは、正岡子規(1867年~1902年)が東京都台東区根岸の湿気の多い「子規庵」で、脊椎カリエスに罹って寝たきりの生活の中で書いた書物です。

ちなみに「子規庵」は昭和20年に戦災で焼失しましたが、昭和25年に旧宅通りに再建され、公開されています。「座って、横になって、子規の目線になれる唯一の史跡」です。

(3)夏目漱石

「漱石山房」

東京の「新宿区立漱石山房記念館」に、夏目漱石(1867年~1916年)の旧宅の「漱石山房」の一部(書斎・客間・ベランダ式回廊)が再現されています。

(4)川端康成

「川端康成の鎌倉の書斎」

大阪府茨木市にある「川端康成文学館」には、彼が1946年10月から亡くなる1972年4月まで暮らした鎌倉・長谷の旧宅の書斎が再現されています。

希望者は、書斎の仕事机に向かい、彼が実際に使っていたものをもとにした同館特製の原稿用紙に万年筆で「伊豆の踊子」や「雪国」の冒頭の文などを書く「作家体験」ができます。

正岡子規の子規庵も蚊の多いじめじめした狭い部屋ですし、夏目漱石も川端康成も狭い書斎ですが、彼らの「ヘッドワーク」は、そのような劣悪な環境をものともせず、立派な名作を生み出しました。ただし、才能と能力がなければ、どんなに良い環境でも100年経っても、このような偉業は成し遂げられません。「酒嚢飯袋(しゅのうはんたい)」「無芸大食」では無理です。

(5)アメリカの占領軍(GHQ)

アメリカの占領軍による日本国憲法原案作成時の仕事の流儀のエピソード」

これは、私が大学の英米法の教授から聞いたエピソードです。教授は、日本国憲法の原案を作成した当時の占領軍の事情に詳しいようでした。

ホイットニー民政局長以下25人のメンバーは、マッカーサーから1946年2月3日に日本国憲法原案作成の指示を受けますが、すぐには仕事に取りかからず、2月4日からリゾート地で数日間「バケーション」をのんびりと楽しみました。そのバケーションでリフレッシュした後、そのリゾート地で彼らは猛烈な勢いで、日本国憲法原案の作成作業を集中的に行い、9日間(1946/2/4~1946/2/12)で完成したそうです。実質的な作業日数は1週間でした。

GHQは、松本烝治国務大臣を委員長とする「憲法問題調査委員会」が作成した憲法草案が、明治憲法とほとんど変わらない保守的な内容であったので、ソ連・中国・フィリピン・オーストラリア・ニュージーランドなどの「天皇制を廃止して共和制にすべし」とする国々に邪魔される前に、アメリカが考える「象徴天皇制」の日本国憲法の原案作成を急いだわけです。

「リゾート地でのバケーションと、その後の集中的な極秘作業」は、天皇制廃止を主張するソ連などに対する「カムフラージュ」の「隠密作戦」だったのかもしれません。

それにしてもアメリカ人は、ただひたすら仕事に取り組む日本人とは「仕事の流儀」が違うようで、この話を聞かせてくれた英米法の教授も驚いたとのことです。現在の私でも、まだ違和感があります。

しかし、これはある意味で「ワーケーション」を先取りしたような仕事のスタイルだと思います。

私が以前勤めていた会社で、「新規店舗を開設」する時に、新設店の店長候補の人が、部下に対して「店舗開設準備に入ると、不眠不休のような猛烈な忙しさになるので、その前に全員一週間の休暇を取って大いにのんびりして来てほしい」と指示したという話を聞いたことがあります。

これは、「ワーケーション」と言うよりも、「バケーション。その後ワーク」ですが、上に述べた占領軍のやり方を真似たものだったのかもしれません。ひょっとすると、そのバケーションで、彼らには、手は動かさなくても「ヘッドワーク」「インサイドワーク」によって思わぬひらめき、斬新な発想が生まれていたのかもしれません。


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