1.徳川家康のエピソード
山岡荘八の大河小説「徳川家康」に載っていたエピソードで、家康が「大坂の陣」(冬の陣か夏の陣のどちらか忘れましたが)の折り、瘡蓋(かさぶた)ができて困っていたところ、家臣が摂津国の笠森稲荷がかさぶたを治す霊験あらたかな神社であることを聞きつけ、祈祷してもらったところ平癒したそうです。
病が平癒したことに感謝した家康は、江戸に戻ってから谷中に笠森稲荷を勧請したとのことです。
2.笠森稲荷(笠森神社)とは
笠森稲荷は、笠森神社とも呼ばれますが、高槻市西真上(にしまかみ)にある神社です。ここから勧請された神社も笠森稲荷あるいは笠森神社と呼ばれています。
祭神は「宇賀御魂神(うかのみたま)」という日本神話の女神です。創建された年月は不明ですが、地元の豪族「笠氏」が稚武彦命(わかたけひこのみこと)と鴨別命(かものわけのみこと)を祀って創設されたと伝えられています。
中世以降は、この地の領主「真上氏」の崇敬が厚かったそうです。
笠森は瘡守に通じて、瘡平癒から、皮膚病、梅毒に至るまで霊験があるとされ、江戸時代後期には各地に広まりました。
「摂津名所図会」には、「人瘡神(かさがみ)と称して土の団子を供じ、瘡毒を病むもの遠近(おちこち)より来(きた)って祈願す」と書かれています。
江戸時代後期の文化人大田南畝(蜀山人)の著した「武江披抄」には「摂津国芥川瘡守稲荷を屋敷の鎮守へ勧請」とあります。彼の屋敷地は後に「小石川療養所」が置かれた場所です。
3.台風や地震の被害を受けた笠森神社の古木
昭和54年10月19日の台風20号によって、当時高槻市内で最古といわれたケヤキの大木が倒れました。
平成30年6月18日の大阪北部地震では、境内のムクノキの古木の幹が折れました。上の写真には、幹が折れる前のムクノキの古木が写っています。
この地震による被害は、境内の樹木だけにとどまらず、社殿の屋根や壁などにも出ていて、未だに修理が終わっていないため、現在(令和2年1月)もまだ閉門となっています。
いかに「霊験あらたかな神社」の「ご神木」といえども、「大自然の猛威」と「寄る年波」には勝てなかったということでしょう。