荘園制度はなぜ成立し、どのように発展し、なぜ崩壊したのか?わかりやすく紹介

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土地制度の変遷

新しい建売住宅地で、「○○荘園」「○○荘園町」という名前をたまに見かけます。また中国や中世ヨーロッパにも「荘園制度」がありました。

ところで日本にも荘園制度がありましたが、詳しくご存知の方は少ないのではないでしょうか?

そこで今回は「日本の荘園制度はなぜ成立し、どのように発展し、なぜ崩壊したのか?」をわかりやすくご紹介したいと思います。「麒麟がくる」などの大河ドラマを見る時の参考になるかもしれません。

1.「荘園」とは

「荘園(しょうえん)」とは、「奈良時代から戦国時代にかけて存在した中央貴族や寺社による私的大土地所有の形態。また、その私有地のこと」です。

奈良時代、生産物を貯蔵する倉(倉庫)を中心として周辺に園地(田畑)を配した一区画を「荘」と呼んでいたことから、この私有地を「荘園」と呼ぶようになったのです。

個人が開墾したり(自墾地系荘園)、他人からの寄進(寄進地系荘園)により大きくなったものです。鎌倉末期以後、武士に武力によって侵害されて衰え、「応仁の乱」および「太閤検地」で消滅しました。

2.荘園制度はなぜ成立したのか?

古代日本の「大和(やまと)政権」(ヤマト王権)は、天皇中心の国家とはいえ、当時はまだ豪族の力が強く、天皇家や豪族たちはそれぞれ「屯倉(みやけ)」「田荘(たどころ)」と呼ばれる独自の所有地を持って支配していました。

しかし、豪族の力を抑え天皇中心の中央集権国家成立をめざして646年に行われた「大化の改新」の「改新の詔(みことのり)」で、「全ての土地は国家の所有」(公地公民制)となりました。

各地に「国」を置いて、都から「国司(こくし/くにのつかさ)」を派遣し、地方の豪族を「郡司(ぐんじ/こおりのつかさ)」として指揮し、地方政治を行いました。

その後、701年の「大宝律令(たいほうりつりょう)」で律令国家体制を完成させ、それに基づいて「戸籍」を作成しました。そして登録された6歳以上の人々に身分に応じた土地「口分田(くぶんでん)」を支給し、死後は返却させることにしました、これが「班田収授法(はんでんしゅうじゅほう)」です。このように公民(戸籍を持つ人)に田を貸して耕作させ税を徴収することになったのです。

その後、人口の増加や重い税負担による農民の逃亡で、口分田が不足し税収も減少しました。そこで朝廷は税収増を図るため、723年に「三世一身法(さんぜいっしんのほう)」を制定し、新規開墾を行った人、その子と孫の代まで「耕地の所有(私有)」(期限付き土地所有)を認めることになったのです。

さらに743年には「墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)」によって「開墾した土地は本人が無期限で所有(私有)」(無期限土地所有)できるようにしました。

その結果、これを利用して私有地を拡大したのが貴族や寺社でした。公地公民制のもとでも、貴族や寺社は元々の私有地の所有を認められ、税免除もある特権階級でしたので、余裕も十分にあったのです。

そこで、周りの農民や逃亡した農民などを使って大規模な土地開墾を進め、私有地を広げて「大土地所有者」になっていったのです。これが「荘園」の始まりです。

3.荘園制度はどのように発展したのか?

荘園支配の変遷

(1)初期荘園

初期の荘園は、「初期荘園」(墾田地系荘園)と呼ばれます。「初期荘園」は「自墾地系荘園」と「既墾地系荘園」とに分類されます。「自墾地系荘園」は貴族たちが自らの労働力を使って拓いた荘園で、「既墾地系荘園」は他人が拓いた土地を買収して自らの荘園としたものです。

(2)寄進地系荘園

「初期荘園」は私有地でしたが、租税は課せられていました。そのため、摂関家(せっかんけ)など有力な公家の中には、「ここは別荘の庭園で、田畑ではない。だから租税を納めなくてもよい」と言った強引な脱税手段を取る者が出てきました。

役人の任命権も有力公家にありましたので、このような強引な手段も通用しましたが、一般人には無理でした。

そこで、自分の荘園を有力な公家や寺社に「寄進」して、名義を変更することで租税を免れ、それより低い割合で「名義料」を支払うことにしました。これが「寄進地系荘園」です。

たとえば畿内(山城・大和・摂津・河内・和泉)では、九条家などの摂関家のほか、東寺・長講堂・上賀茂神社・興福寺・東大寺などの寺社領荘園も多くありました。

寄進地系荘園は、租税を拒否できる「不輸の権(ふゆのけん)」と、国司の立ち入りを拒否できる「不入の権(ふにゅうのけん)」という特権を獲得しました。後には「検非違使(けびいし)」および「国衙(こくが)」による警察権行使の排除と、荘園領主による警察権(検断権)行使の権限も含まれるようになります。

(3)政治の乱れと荘園の集中

10世紀になると、地方政治はほとんど「国司」に任されるようになります。そこで任命された地には代理を行かせて収入だけを得る国司や、私腹を肥やし横暴な振る舞いをする者も出てきて地方政治は乱れました。

中央政府にもこの乱れは波及し、有力貴族への賄賂の横行や荘園の寄進が進み、中央の有力者は広大な荘園を持つようになります。

(4)荘園公領制

朝廷は税収対策として、荒廃した口分田を有効活用するため、「国司」にそのような土地を保有させ、管理を任せることにしました。これが「公領(こうりょう)」または「国衙領(こくがりょう)」と呼ばれる土地です。

こうして「班田制」が行われなくなると、日本の土地は有力な富裕層が保有する広大な私有地である「荘園」と、国司が直接保有・管理する「公領」の二つに大きく分かれるようになりました。これが「荘園公領制」です。

900年以降、徐々に「荘園公領制」へと向かい始め、1000年代後半には本格的な「荘園公領制」が出来上がり、鎌倉時代まで続きました。

(5)課税の変化

このころから土地単位の課税が行われるようになり、田地は「名田(みょうでん)」または「名(みょう)」と呼ばれる徴税単位に編成され、その地域の有力農民が名田の耕作を請け負うようになりました。

彼ら農業経営の専門家は「田堵(たと)」、この請負の仕組みは「負名体制(ふみょうたいせい)」と呼ばれます。うまく仕事をやればやるほど、自分のものになる米が増えるので、耕作者の意欲が高まりました。

(6)管理者の名称

国司の命令で農業経営を行っていた「田堵」の中には、やがて「大名田堵(だいみょうたと)」と呼ばれる大規模経営を行う者が出てきました。

そして国司の横暴さを嫌った大名田堵は、荘園を寄進して土地を管理して行くようになります。

ここで、寄進を受けた貴族や寺社は「領家(りょうけ)」と呼ばれました。もし国司の方が地位が上の時は、さらに上級へ寄進し、それを「本家(ほんけ)」と呼びました。

荘園を直接支配する領主を「荘園領主(しょうえんりょうしゅ)」、領家・本家のうち実質的な支配者は「本所(ほんじょ)」と呼ばれました。

大名田堵はどんどん開発を進めて荘園の「開発領主」となり、やがて荘園領主から土地の管理を任されて「荘官(しょうかん)」となりました。

4.荘園制度はなぜ崩壊したのか?

(1)鎌倉時代の荘園

平安時代末期になると、治安の悪化から、土地を守るために地方の豪族や有力農民は武装し「武士」が登場します。

彼らは地位や武力を利用して土地の開発や荘園の寄進を進め、また公領での犯罪取り締まりや年貢の取り立てを任されるようになります。

そして11世紀後半には、武士は荘園や公領に館を築いて、地方社会の中心となって行きます。

平家を滅ぼした源頼朝は、弟の義経を捕らえる名目で、国ごとに「守護(しゅご)」、荘園や公領ごとに「地頭(じとう)」を設置しました。

武士たちは鎌倉幕府に奉公する「御家人(ごけにん)」となり、「地頭」に任命されて、所有していた領地の支配権を幕府に保証されました。

そして、幕府側の地頭と朝廷側の荘園領主や国司との二重支配のようになった土地では、様々な紛争が生じるようになりましたが、これらの争いは幕府によって裁かれました。

(2)室町時代の荘園

鎌倉時代末期から近畿地方を中心に、荘園領主などに逆らって年貢を奪う「悪党(あくとう)」と呼ばれる武士が現れました。

また1333年に鎌倉幕府が滅亡し、その後の室町幕府成立までの混乱の中で、地方では国司の権限を吸収し、独自の支配を始める「守護大名」と呼ばれる守護も出てくるようになりました。

一方、農村では有力な農民を中心に、村ごとにまとまり「惣(そう)」という自治組織を作るようになります。

団結を強めた農民たちは、荘園領主や守護大名にも対抗するようになり、自立した村落である「惣村(そうそん)」がまとまって年貢交渉までするようになっていきます。

(3)戦国時代の荘園と太閤検地

1467年に始まった「応仁の乱」によって、室町幕府は有名無実となり、戦国時代が到来すると荘園は武士に横領され、荘園制は事実上崩壊していきます。

戦国大名は守護大名以上に地域支配を強め、荘園の所有を巡る紛争も武力で解決していきました。

名目上自分の土地だったはずの荘園からの収入が奪われて経済基盤をなくした公家は没落していきました。

豊臣秀吉が天下統一を果たし、土地制度の見直しである「太閤検地」(1582年~1598年)を行いました。その結果、一つの土地には直接の土地の耕作者の権利しか認められなくなりました。つまり「一地一作人(いっちいっさくにん)」で、重層的な中間搾取や諸権利を否定したのです。

これによって「荘園制度」は完全に崩壊しました。



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