針葉樹の「松の花」の仕組みと「松花堂弁当」の由来をわかりやすくご紹介します

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松の花雌花穂

「新型コロナウイルス肺炎(COVID-19)」の世界的感染拡大(パンデミック)による「緊急事態宣言」発令中でも、「不要不急の外出自粛要請」の対象外として「散歩」は認められていました。そこで運動不足解消のために毎日1時間程度の散歩をするようになりましたが、新しい発見がありました。

今回は「松の花」についてわかりやすくご紹介したいと思います。

1.松の花

松の花と実

前に「もみじの花と実」の記事を書きましたが、「松の花」は中学の理科で学んだと思いますが、はっきり覚えていない方が多いと思います。

それは、実際の松の花を見ていなかったか、あるいは見ていたとしても気付かずに見過ごしていたからではないかと思います。

松の花は「雌雄同株」「裸子植物」なので、雄花と雌花が同じ株に出来ます。「花びら」や「萼(がく)」はありません。雌花の鱗片(りんぺん)の内側には、むき出しの胚珠(はいしゅ)が付いており、雄花の鱗片の外側には「葯(やく)」が付いていて、中には花粉が詰まっています。

花粉が胚珠に付くと、胚珠は成長して種子となり、雌花の集まりはまつかさ(松の実、松ぼっくり)になります。

「緊急事態宣言中」に近所を散歩をしていると、あちこちの住宅の庭や公園などに植えられた松の木に、松の花が盛んに伸び出しているのに初めて気付きました。

華やかな草花の花と違って地味な花なので、花だと気付かない人も多いと思います。ちなみに「槇(まき)の花」(下の写真)も松の花によく似ていますが、松と違って立ち上がるようには伸びず葉の中に埋もれているので、気付く人は少ないと思います。

槇の花

2.松花堂弁当と幕の内弁当の違いと名前の由来

ところで、和食で「松花堂弁当」というのがありますね。また、よく似たものに「幕の内弁当」というのもあります。両者の違いと名前の由来をわかりやすくご紹介しましょう。

(1)松花堂弁当

松花堂弁当

松花堂弁当は、懐石料理の流れを汲んだものです。

江戸時代初期に、京都石清水八幡宮の瀧本坊(たきのもとぼう)の住職だった「松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)」(1584年~1639年)が考案したと言われていますが、これは後付けの伝説のようです。

松花堂昭乗は、近衛信尹(このえのぶただ)・本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)とともに、「寛永の三筆」と称され、書画や茶の湯に秀でていました。

昭乗は十字型に区切られた農家の種子入れを小物入れとして愛用していました。その小物入れを見た大阪の料亭・吉兆の創業者である湯木貞一(1901年~1997年)が、料理の器として使えないかと考えて作ったのが松花堂弁当だということです。

内容は、懐石で出す料理をそのまま箱に詰めて弁当にしたものです。松花堂弁当は、弁当と言う名前が付いていますが、お店でいただくことが多いようです。

吸い物椀やお酒の盃が出てきますので、「ミニ懐石」といったところでしょう。

(2)幕の内弁当

幕の内弁当

幕の内弁当は、江戸時代中期に、料亭が芝居茶屋や相撲茶屋を通じて販売したものです。芝居の幕間(まくあい)に食べる弁当であることから「幕の内」弁当と呼ばれるようになったのです。

中身は、汁気のない揚げ物、煮物、漬物などいろいろな惣菜を組み合わせています。焼き魚・卵焼き・練り物が定番で、これに押し型で作った俵型のおにぎりが付いています。これは握り飯の名残りと言われています。