盗作で訴訟になった小林亜星さんと服部克久さんの「記念樹事件」

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服部克久

新しい曲を次々に作曲して行くこと、それもヒット曲を出し続けることがいかに難しいかは、素人の私にも何となくわかります。

CHAGE and ASKAのASKA(宮﨑重明)さんや槇原敬之さんのような売れっ子シンガーソングライターが薬物に手を染めたのも、ヒット曲を出すことの重圧・ストレスから逃れるためか又はインスピレーションを得るためだったのでしょう。

NHKの朝ドラ「エール」を見ていると、多くの軍歌や応援歌、行進曲、ヒット歌謡曲を作った作曲家古関裕而さんも、最初はなかなかレコード会社に認められるような曲が作れず悪戦苦闘の連続だったようです。

盗作騒動・盗作疑惑のある小説や有名作家がいますが、音楽の世界でも「盗作問題」があります。

今回はその中で有名な事件をご紹介したいと思います。

余談ですが、音楽には素人の私でも、ある曲を聞いていて、「このメロディーはどこかで聞いたような」と感じることがたまにあります。確かにドレミファソラシドで作るのですから、曲調がたまたま似て来るということもありうる話ではあります。

たとえば「早春賦」の出だしの「春は名のみの風の寒さや」と「知床旅情」の出だしの「知床の岬にはまなすの咲くころ」のように、似たメロディーの例があります。ちなみに「早春賦」はモーツァルトが最晩年に作曲した「春への憧れ」に似ているという話を聞いたことがあります。確かに「春への憧れ」には、ところどころ早春賦に似たメロディーが出て来ます。

1.小林亜星さんが服部克久さんを訴えた「記念樹事件」

(1)記念樹事件とは

「どこまでも行こう」の作曲者小林亜星さんと、その著作権者(編曲権者)の有限会社金井音楽出版が、「記念樹」の作曲者服部克久さんを、「無断編曲」を理由として著作者人格権(同一性保持権、氏名表示権)侵害および編曲権侵害に基づく損害賠償を求めて、1998年に提訴した事件です。

「どこまでも行こう」は、小林亜星さんが1966年にブリヂストンタイヤのCMソングとして作曲したものです。「記念樹」は、服部克久さんが1992年に「あっぱれさんま大先生」というトークバラエティー番組のエンディングテーマ曲として作曲したものです。

次に述べる裁判の結果を読む前に、一度皆さんも「どこまでも行こう」と「記念樹」の二つの曲を聞き比べてみると面白いと思いますよ。

(2)裁判

①一審判決

2000年2月18日の東京地裁判決では、小林亜星さんが敗訴しました。

「フレーズごとに対比してみると、一部に相当程度類似するフレーズが存在する」と認めたものの、「全体として、『記念樹』が『どこまでも行こう』と同一性があるとは認められない」としました。

②控訴審判決

2002年9月6日の東京高裁判決では、服部克久さんが敗訴しました。

「両曲にはメロデイーのはじめと終わりの何音かが同じ、メロディーの音の72%が同じ高さの音といった表現上の本質的な特徴の同一性がある」とし、「偶然の一致によって生じたと考えるのは不自然・不合理である」としました。そして服部克久さんが「どこまでも行こう」に依拠して「記念樹」を作曲したと認定し、服部克久さんに約940万円の損害賠償を命じました。

③最高裁判決(決定)

服部克久さんは上告しましたが、2003年3月11日に最高裁は「上告不受理」の決定を出し、高裁判決が確定しました。

(3)裁判の影響

この裁判の後、服部克久さんは「日本音楽著作権協会」(JASRAC)理事を辞任しました。

(株)フジテレビジョン、(株)フジパシフィック音楽出版、(株)ポニーキャニオンに対しては合計約2300万円あまりの損害賠償が命じられました。

JASRACは最高裁決定を受けて、「記念樹」の利用許諾を中止しました。また、小林亜星さんが学校などの団体に利用中止を求めたため、「記念樹」の公の場での歌唱・演奏は事実上不可能になりました。

日本の著作権法27条は、著作物(音楽の著作物)を編曲する権利を著作者(作曲家)に専有させていますが、「編曲」を定義した規定は存在しません。

この事件は、著作権法における「編曲」の意義について、裁判所が解釈を示したことで有名です。

大正時代に「浪曲の著作権」をめぐって有名な「桃中軒雲右衛門(とうちゅうけんくもえもん)事件」がありましたが、それに匹敵するような音楽著作権に関する事件です。

2.小林亜星さんとは

小林亜星寺内貫太郎一家

小林亜星さんと言えば、「寺内貫太郎一家」というテレビドラマで、石屋「寺内石材店(石貫)」の主人として出演していたので、お馴染みですね。

小林亜星さん(1932年~ )は、作曲家・俳優・タレントです。CMソングやテレビ主題歌にヒット曲やロングランの曲が数多くあります。慶応大学医学部に入学したものの、医者になるのがいやで経済学部に転部し、卒業しています。

作曲については、作曲家でクラシック音楽の大衆化に努めた服部正氏(1908年~2008年)に師事しています。ちなみに「ラジオ体操第一」は服部正氏の作曲です。

3.服部克久さんとは

服部克久さん(1936年~2020年)は、パリ国立高等音楽院卒の作曲家・編曲家です。「青い山脈」などのヒット曲を数多く作曲した服部良一氏(1907年~1993年)の長男です。

小林亜星さんが作曲を学んだ服部正氏とは、親戚でも何でもなく無関係です。