<2020/10/13追記>「GoToトラベルキャンペーン」の割引上限引き下げをめぐる混乱
10月1日から「GoToトラベルキャンペーン」に東京を追加しましたが、これは当初からそうすべきもので遅きに失した感もありますが、まずは本来の姿に戻ったと言えます。
「GoToトラベルキャンペーン」は本来、「1泊の旅行代金の35%分・最大14,000円を割引」するものです。しかし「じゃらん」など一部の大手旅行予約サイトが「利用者が集中したため、急遽割引上限を3,500円に引き下げる」という対応を発表したため、利用者に不安と混乱を招きました。
これは給付額の予算が上限に近づいたための対応のようですが、キャンペーン途中での変更は混乱を招くことは必定です。
赤羽国土交通大臣は、「遅くとも14日の午前中までに35%の割引支援を聞いている」と発表しました。国は割引額に差が出ないよう、追加の予算配分を決めたとのことです。
「GoToイートキャンペーン」では少額の料理の注文で実際の支払額以上の多額のクーポンをゲットする制度の趣旨に反するような「錬金術」が問題になりました。
農林水産省は当初「少額の料理での利用は問題ない。最低金額の設定などは店側が対応してくれるもの」と「民間への丸投げ」状態でしたが、その後「制度の不備」を認め、「付与ポイント未満の少額利用は対象外」とする方針を発表しました。
このように今回のキャンペーンは、ドタバタの混乱続きです。やはり最初の制度設計をきちんと行った上で、途中での「朝令暮改のような変更」は決してすべきではないと思います。
7月22日から「GoToキャンペーン」の先陣を切って、「GoToトラベルキャンペーン」が始まりましたが、直前になって野党に屈したのか唐突に「東京発着の除外」を発表しました。これは、このキャンペーンに大きな期待を寄せていた東京都内の観光業者・各種店舗・旅行会社ならびに東京都民に大きな失望を与えました。
また「東京発着除外によるキャンセル料の政府補償はしない」と言っていたのに、各方面からの批判を浴びて「キャンセル料の政府補償を検討する」としたり、「感染防止条件を満たしていない事業者は登録取消しする。その場合、旅行者は割引を受けられない」と発表するなど、ころころと方針が変わる「見苦しい迷走ぶり」です。行き当たりばったりのドタバタ朝令暮改で、きちんとした制度設計をしていなかった咎め(とがめ)が出ています。「GoToトラブルキャンペーン」と陰口をたたかれる始末です。
「数カ月先の旅行代金の割引を受けられるかどうか」が、「事業者の感染対策次第」というのでは、安心して「GoToトラベルキャンペーン」を利用出来ません。
今回は、この政府の「付和雷同」とも言うべき拙劣な「GoToトラベルキャンペーン」推進姿勢と直接関係はありませんが、そこから思いついた「和のつく四字熟語」と「和のつくことわざ」をご紹介したいと思います。
1.「和」のつく四字熟語
(1)付和雷同(ふわらいどう)
自分にしっかりとした考えがなく、他人の言動にすぐ同調すること。「付和」は定見を持たず、すぐ他人の意見に賛成すること。「雷同」は雷が鳴ると万物がそれに応じて響くように、むやみに他人の言動に同調すること。
「礼記」に次のような文章があります。「勦説する母かれ、雷同する母かれ(そうせつするなかれ、らいどうするなかれ)」
これは、「他の人の説を盗んで、あたかも自分の説のようにしてはいけない。他の人の意見に、何でもかんでも賛成してはいけない」という意味です。
「雷同一律」「雷同付和」とも言います。
これは、私も個人的に心すべきことだと思いますが、特に政府与党の皆さんには注意してほしいものです。
イソップ物語の「ロバを売りに行く親子」のようで、確固とした定見もなく少数意見に振り回されている姿は情けない限りです。
(2)和光同塵(わこうどうじん)
自分の才能や徳を隠して、世俗の中に交じって慎み深く、目立たないように暮らすこと。
「和光」は才知の光を和らげ、隠すこと。「塵」は「ちり」のことで、転じて「俗世間」。「同塵」は俗世間に交わる、合わせること。
また、仏教では、仏や菩薩が仏教の教化を受け入れることのできない人を救うために、本来の姿を隠し変えて、人間界に現れることをいいます。出典は「老子」です。
その鋭きを挫(くじ)き、その粉(ふん)を解(と)き、その光を和し、その塵に同ず。
現代語訳すれば、「知性のするどい刃先をくじいて、異を立てることをやめ、紛争の根源を切り捨て、みずからを賢とし徳とする光をやわらげて、俗塵の中に消えよ」となります。
正しいとか正しくないとかと、ことさら異議を申し立て、自己を是とし、強く自己主張するのは無知な人間のやることで、真実の知者となるためには、知覚や欲望を捨て自我を捨てて、自分の知恵や徳の光を誇らず、その光をやわらげ打ち消して、俗塵にまみれることを勧めたものです。
古代中国の春秋戦国時代の思想家・哲学者老子(紀元前6世紀頃、生没年不詳)は、「高きにのぼるよりも低きにつくことを、強であるよりは弱であることを、雄であるよりは雌であることを、賢であるよりは愚であることを、光り輝くよりは平凡な塵であること」を処世の要諦と考えました。
そうすることで、元来が相対的である世界を歪曲せずに正しく把握することができると考えたからです。
和光大学や和光堂など校名や社名にも使われています。
(3)和顔愛語(わがんあいご)
和やかで温和な顔つきや言葉つき。穏やかで親しみやすい振る舞いのこと。「和顔」はやさしげな顔つきのこと。「愛語」は親愛の気持ちがこもった言葉のこと。
なお、仏教では「わげんあいご」と読みます。
類義語として、「端正和顔(たんせいわがん)」「和顔悦色(わがんえつしょく)」「和容悦色(わようえつしょく)」があります。
(4)和敬清寂(わけいせいじゃく)
茶道で、主人と客が互いの心を和らげて慎み敬い、茶室の品々や雰囲気を清浄な状態に保つこと。安土桃山時代の茶人、千利休(1522年~1591年)の茶道の精神・境地を表した言葉。これは、茶室の掛け軸でも時々見かけます。
「和」「敬」はともに主客の心得を、「清」「寂」は茶庭・茶室・茶器などに関する心得を言います。
自由律俳句の俳人種田山頭火(1882年~1940年)の「旅日記」に次のような文章があります。
旅をしていると、一期一会をしみじみ感じる、山を歩いていると和敬静(ママ)寂を考える。
(5)和羮塩梅(わこうえんばい)
主君を補佐して、国を適切に治める有能な宰相・大臣のたとえです。「和羮」はいろいろな材料・調味料を混ぜ合わせ、味を調和させて作った吸い物。「塩梅」は塩と調味に用いる梅酢のこと。
この料理は、塩と、酸味の梅酢とを程よく加えて味付けするものであることから、上手に手を加えて、国をよいものに仕上げる宰相らを言います。出典は「書経」です。
「わこうあんばい」とも読みます。
(6)和気藹藹(わきあいあい)
心と心が通じ合い、和やかな気分が周囲に満ち溢れている様子。「和気」は穏やかな気分。「藹藹」は和やかなさま。出典は李邕(りよう)の「春賦(はるのふ)」です。
(7)和魂漢才(わこんかんさい)
日本固有の精神と中国伝来の学問の才のこと。また、日本古来の精神を失わずに、中国の学問を消化し活用すべきであるということ。「和魂」は日本固有の精神のこと。「漢才」は中国の学問・知識の意です。
出典は菅原道真(845年~903年)の「菅家遺誡(かんけいかい)」です。
(8)和魂洋才(わこんようさい)
日本固有の精神を失わずに、西洋からの優れた学問・知識を摂取し、活用すべきであるということ。「和魂」は日本固有の精神のこと。「洋才」は西洋の学問に関する才能や知識のことです。
「和魂漢才」からの類推から生まれた語で、「文明開化」の明治時代の知識人の心意気を示すものです。
森鴎外に次のような文章があります。
日本の国家社会で有用の材となるには、和魂洋才でなくてはいけません。
(9)和衷協同(わちゅうきょうどう)
心を同じくして共に力を合わせ、仕事や作業に当たること。「和衷」は心の底からなごみ和らぐこと。また、心を同じくすること。「衷」は中心・心の意。「協同」は力を合わせて物事を行うことです。出典は「書経」です。
なお、「和衷共済(わちゅうきょうさい)」も同義語です。
(10)和泥合水(わでいがっすい)
水に濡れ泥にまみれるのもかまわず、溺れている者を救うこと。わが身を顧みずに、他人を救うこと。
これは仏教語で、溺れる人を救う時は自分も水に濡れ泥にまみれる意から出た言葉です。出典は「永平広録(えいへいこうろく)」です。
「合水和泥(がっすいわでい)」とも言います。
(11)和風慶雲(わふうけいうん)
温厚で徳の備わった人格者のたとえです。穏やかに吹くそよ風と、吉兆を示すめでたい雲の意。本来は孔子の高弟の顔淵を評した言葉です。
出典は「近思録(きんしろく)」です。
(12)和風細雨(わふうさいう)
人に過ちを改めるように忠告する時などに用いる、穏やかな態度や方法の形容です。「和風」はのどかな風、ふつう春風の意。「細雨」は優しく降る雨の意。
出典は張先の「八宝装(はっぽうそう)」です。
2.「和」のつくことわざ
(1)和して同ぜず
人と協和・協調はするが、道理に外れたようなことや、主体性を失うようなことはせず、いたずらに同調しないことです。出典は「論語」です。四字熟語で「和而不同(わじふどう)」とも言います。
これも非常に大切な心構えだと思います。
(2)和を以て貴しと為す
何事をやるにも、みんなが仲良くやり、いさかいを起こさないのが良いということです。
これは聖徳太子が制定した「十七条の憲法」の第一条に出て来る言葉です。
「礼記」には、「礼は之和を以て貴しと為す」とあります。
ただし「和の精神」とは、体裁だけを取り繕ったものではなく、自分にも他人にも正直に、不満があればお互いにそれをぶつけ合い、理解しあうということが本質です。
3.「和」という漢字について
(1)漢字の成り立ち
これは「形声文字」です。「口」の象形と、「穂先が茎の先端に垂れかかる」象形(「稲」の意味ですが、ここでは「會(か)」に通じ、「会う」意味)から、人の声と声が調和する「なごむ」を意味する「和」という漢字が成り立ちました。
(2)元号での使用
2019年に元号が「令和」に改まりました。元号に「和」の漢字が使われるのは「昭和」以来30年ぶりで、「和銅」(708年~715年)以来20例目です。
(3)意味
争いごとがなく穏やかにまとまる。やわらいださま。ゆったりとして角立たない。性質の違うものが一緒に溶けあう。声や調子を一つに合わせる。二つ以上の数を合わせたもの。日本。日本語。大和(やまと)国
このように「和」にはいろいろな意味がありますが、心地よいものが多いですね。