「国民の総意」とは?「天皇制」と「憲法改正」について考える

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昭和天皇・若い頃昭和天皇

前に「国民の総意とは?安倍元首相の国葬について考える」という記事を書きましたが、今度は「天皇制」と「憲法改正」について考えてみたいと思います。

1.「総意」とは

総意」とは、全員の一致した意見・考えのことです。

組織全体を構成する構成員全体の直接または間接による意思表示によって帰結される意思、即ち全体に共通する意思のことです。

「構成員個々人の意思の総和」であると考える場合が多いですが、ジャン・ジャック・ルソーは「社会契約論」において「一般意思(ヴォロンテ・ジェネラール)」(意思の総和だけでない正しい理念)という意味で用いました。

また、「組織または団体の比較多数または一定機関の意思」を総意と表現する場合もあります。

2.天皇制について

(1)日本国憲法にある「国民の総意に基づく」天皇制

現行憲法は天皇について「象徴天皇制」、正確に言えば「天皇が象徴でしかない象徴天皇制」「天皇に象徴以外の権能が与えられていない象徴天皇制」が採用されていますが、その天皇の地位については憲法第1条で以下のように「日本国民の総意に基づく」ものと規定されています。

【日本国憲法第1条】

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

このように、日本国憲法の第1条は天皇の地位について「主権の存する日本国民の総意に基づく」と規定しているわけですが、この部分は日本国憲法が採用した天皇制が普遍的・絶対的なもの、不可変的なものではなく、可変的なものであることを規定したものと解釈されています。

(2)国民の総意がなくなれば「天皇制廃止」もありうる

つまり、現行憲法の天皇制は「日本国民の総意」があれば変更することができることを確認しているのが、この憲法1条の「主権の存する日本国民の総意に基づく」という部分です。

日本国憲法では憲法第96条で憲法改正の手続きを規定していますから、その96条の規定に従って国民投票が行われ国民の総意が得られれば、憲法の規定を改正することが可能です(※ただし憲法の基本原理「憲法の三原則」(*)に変更を及ぼす改正は制限されます。

(*)「憲法の三原則」とは、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」です。

【日本国憲法第96条】

第1項 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

第2項 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

具体的には、憲法96条の憲法改正手続で規定された国民投票において「過半数の賛成」があれば天皇制を廃止したり変更したりすることができるということになるわけですが、憲法96条には単に「過半数の賛成」としか規定されていません。

この「過半数の賛成」とは「国民投票に投票した有効投票数の過半数の賛成」ということです。なお、詳しい手続きについては「国民投票法」(*)などの「法律」に委ねられることになります。

(*)日本国憲法の改正手続に関する法律(平成19年法律第51号)が正式名称です。

ちなみに、改正された憲法を公布するのは、天皇の役割です内閣や国会では公布はできません。天皇制廃止の憲法についても、天皇が公布することになるわけです。この場合、天皇制を廃止する改正憲法を公布するのが、最後の天皇の仕事ということになるでしょう。

また、憲法が現状のままであるうちに、仮に天皇や皇族が先に継承者不在でいなくなってしまったら、どうなるのでしょうか?

天皇・皇族が不存在になったら、天皇制を廃止して共和制に移行する話が当然持ち上がるでしょう。しかし、そのための憲法改正をしたくても、改正された憲法の公布をする人物がいないことになってしまうのです。

この場合、最後の手段として「摂政」を就任させて天皇の代わりに公布の手続を行ってもらうしかないでしょう。

【日本国憲法第5条】

皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。

このように、摂政は天皇を代行する職であることが、憲法5条によって定められているのです。誰が摂政になるかは、憲法ではなく皇室典範が決めています。

現在の皇室典範では、摂政に就任できるのは皇族(皇后や皇太后なども含む)だけになっていますが、リスク管理のため、最悪、皇族でない人物であっても摂政に就任して、憲法改正の公布の仕事ができるように制度を変えておく必要があります。

ちなみに皇族でない人物(一般国民)でも摂政になれるようにするには、憲法改正は必要ありません。皇室典範を国会決議で改正するだけで可能です

いずれにせよ、憲法96条の改正手続きをもって日本国民が天皇制を変更することを望むのであれば、天皇制すらも変更(または廃止)してしまうことができることを確認しているのが、この憲法第1条の「主権の存する日本国民の総意に基づく」という部分になるわけです。

なお、1条に「日本国民の総意に基づく」となっていることから、「すべての国民が天皇制を望んでいる」とか「天皇制がある限りすべての国民が天皇制を支持しなければならない」と解釈してしまう人もいますが、そうではありません。

先ほども述べたように、憲法1条の「国民の総意」は手続き的には憲法96条の「国民の過半数の賛成」で決せられることになりますので、その「総意」は必ずしも「すべての国民の統一した意思」ではないからです。

そして、そもそも憲法は「思想及び良心の自由」を第19条で保障しており、天皇制を支持するかしないかは個人の自由意思に委ねられることになりますから、天皇制に反対する思想を持つことが認められるのは当然です。

【日本国憲法第19条】

思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

また、憲法は第21条で表現の自由を保障していますから、天皇制(または天皇や皇族)に否定的な表現行為をすることも当然に認められるということになります。

【日本国憲法第21条】

第1項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
第2項 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

3.日本国憲法で「(象徴)天皇制」が定められた経緯

現行の「日本国憲法」草案は、GHQ主導で作成されました。そして「(象徴)天皇制」については、日本の共産主義化を恐れたアメリカの思惑によるところが大きいのです。

戦勝国のうちイギリス・オーストラリア・ソ連 ・中国は昭和天皇の戦争責任を追及し、一部の国は戦犯として処刑すべきという意見でしたが、ソ連との対立が激しくなり、中国にも毛沢東による共産主義国家誕生が見込まれることから、アメリカは天皇制を存続させる方が占領政策上も有効と判断したわけです。

前に「昭和天皇は終戦後、現人神をやめ人間宣言。戦争責任は無答責で退位もせず」という記事を書きましたのでぜひご覧ください。

記者会見で戦争責任と原爆投下について語る昭和天皇 – ニコニコ動画 (nicovideo.jp)

しかし、華族制度などの身分制度を廃止したにもかかわらず、天皇制を存続させたことは、時代錯誤で日本国憲法全体の精神とは明らかに矛盾したものです。

【日本国憲法第14条】

第1項 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

第2項 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。

第3項 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

前に「今こそ天皇家の存続より天皇制廃止の検討をすべき時期」「天皇制廃止を国民投票で問うべき時。絶滅危惧種を保護する必要はない」という記事も書いていますので、ぜひご覧ください。

4.戦後、「天皇制廃止論」が表立って行われない原因

これは、GHQが占領政策の一環として行った日本人洗脳プログラム「WGIP」が大きく影響しています。

本来であれば、新聞などのマスコミも「天皇制廃止論」を含めて大いに議論すべきはずですが、「天皇家存続」のための方策(「旧宮家の復活」や「女性天皇・女系天皇の容認」など)については報道しても、天皇制の存廃のような本質的な議論は避けているように見えます。

最近の「秋篠宮家の騒動」(「眞子さんと小室圭さんの問題」「悠仁さまの高校進学問題」「紀子さまの言動批判」「秋篠宮さまの言動批判」)や、「皇位継承者が少なくなっていること」、「国民の皇室離れ」、「皇室が国民の敬愛を失っていること」を考えると、今こそ「天皇制廃止論」が盛んに議論されるべきだと私は思います。

前に「原爆を平和にすり替えたGHQのWGIPは日本人洗脳プログラム!」「国史を日本史に変えた理由は?GHQによる教育改革とその影響とは?」という記事も書いていますので、ぜひご覧ください。

5.現在の天皇家の祖先についての疑義(正統性への疑問)

「世界で最古の歴史を誇る王室」と言われる天皇家ですが、明治維新のどさくさに紛れて、大室寅之祐が明治天皇にすり替わったという話が戦前から根強くあります。

前に「明治天皇は即位直後に暗殺されて南朝系統の大室寅之祐にすり替わっていた!?」「大室寅之祐は本当に南朝の末裔だったのか?嘘だとすれば今の天皇家の祖先は?」という記事を書きましたのでぜひご覧ください。

この「現在の天皇家の祖先についての疑義(正統性への疑問)」については、タブー視することなく歴史学者による解明(真相の究明)が待たれるところです。

6.(補足説明)「憲法の三原則」に変更を及ぼす改正が認められない根拠

日本国憲法の基本原理である「憲法の三原則」(国民主権・基本的人権の尊重・平和主義)に変更を及ぼす改正が認められない根拠は次の通りです。

(1)国民主権

【日本国憲法 前文】

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

と定めており、国民主権原理に反する「一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」としていますから、憲法改正によっても国民主権に反することは認めていないことになります。

(2)基本的人権の尊重

また、基本的人権を否定するような憲法改正は、第97条で

 【日本国憲法 第97条】

この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

としており、「侵すことのできない永久の権利」であるからには、基本的人権を否定するような憲法改正は許されないことになるわけです。

(3)平和主義

平和主義については前文で

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

としていますので、平和主義を否定する憲法改正は許されません。

かつて「自衛隊は憲法第9条2項違反」という平和ボケの主張が野党を中心に盛んに行われました。

【日本国憲法第9条】

第1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

しかし、独立国の「自衛権」(個別的自衛権および集団的自衛権を含む)は国家として当然の権利であり、2022年3月に始まったロシアのプーチン大統領による「ウクライナ侵略」や中国の習近平主席による帝国主義的な「一帯一路構想」、北朝鮮の金正恩によるミサイル発射や核兵器の威嚇などの緊迫した国際情勢を見ると、誤解を生むような憲法第9条の改正は不可欠であり、平和主義と何ら矛盾するものではないと私は思います。

この条文は、日本がアメリカなどに対して二度と刃向かったり立ち上がったりできないようにするために設けられました。

しかし、1950年に朝鮮戦争が勃発すると、日本に駐留していたアメリカ軍の多くが国連軍の主力として朝鮮半島に向かい、占領中の日本における防衛兵力・治安維持兵力が手薄になるため「警察予備隊」(「自衛隊」の前身)を創設しました。これは、GHQの主力であるアメリカがソ連による日本侵略と共産主義化を懸念したためです。

このアメリカの対応は、「地政学」に基づく極めて現実的な対応で、原理主義にこだわる日本の野党の姿勢とは対照的です。

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