日本は今こそ「自給自足国家」「ものづくり国家復活」を目指すべき!

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食糧自給率

現在「新型コロナウイルス肺炎(COVID-19)」の世界的感染拡大(パンデミック)がまだ続いており、収束の見通しが立っていません。

そんな中で世界的な「マスク争奪合戦」とか「食糧輸出制限」の動きもあるようです。また日本が海外に展開している「協力工場」での繊維製品・加工食品・工業製品・工業部品などの出荷が停滞する懸念も出て来ています。

1.日本は「自給自足国家」「ものづくり国家復活」を目指すべき

これは日本が外国に過度に依存する態勢を続けて来た咎めです。

そこで、上記のような不測の事態に対応するためには、日本は今こそ「自給自足国家(アウタルキー国家)」と「ものづくり国家復活」を目指すべく大きく舵を切る必要があると私は思います。

当面、外国人観光客などの「インバウンド」需要が期待できませんので、外需に頼らず国内需要への対応だけで商売が成り立つように考えて行く必要があります。

また、当面外国人労働力には期待できませんので、国内の労働力で賄う方向で考えて行く必要があります。

農業についても、従来のように農産物の輸入に頼らず、国内での農産物生産によって賄うことを考える必要があります。世界的な食糧難になった時、海外から農産物が入って来なくなったり、輸入できても価格が高騰する恐れがあります。また中国の農産物への残留農薬や冷凍食品への農薬混入など「食の安全性」の懸念もあります。

工場の日本回帰

工業製品や部品の生産についても、「工場の日本への回帰」に大きく舵を切る必要があります。先日全世帯への配布が開始された「アベノマスク」も、日本のメーカーに発注した製品であっても、中国や東南アジアの工場で生産されたものが多く、不良品が多発するなど「品質の問題」があります。特にマスクのような「衛生用品」でこのような不潔な不良品が多いと大変心配になります。「ものづくり国家復活」を期待したいものです。

ピンチをチャンスに変える絶好の機会だと私は思います。

「新型コロナウイルス肺炎(COVID-19)」が完全に終息すれば、全てを「メイドインジャパン」で賄うことは無理でしょうが、少なくともエッセンシャルな部分については、「自給自足」できる国家にする必要があると思います。

外国人に日本人の命綱を握られたり、外国が日本の死命を制するような事態は絶対に避ける必要があると思います。

2.「自給自足国家」実現には政府の大号令と支援が必要

民間に任せているだけでは、目先の「安価な労働力」や「安価な輸入品」に目がくらんで、「海外工場での製品・部品の生産」や「農産物などの輸入」は止まりません。

政府の大号令と、政府が国内生産に転換する企業や新たな農産物を作ったり、作付面積を増やす農家への補助金などの支援が必要です。

現在我々が渦中にあるようなパンデミックの脅威がなければ、あえて「鎖国」や「モンロー主義(相互不干渉主義、孤立主義)」を取る必要はないと思いますが、今後も別の新たなパンデミックが起きる可能性は否定できません。それに対する備えが必要だと思います。

3.「鎖国時代」と「徒然草」の教訓

出島

(1)鎖国時代

江戸時代、日本は鎖国していました。「日本人の海外往来禁止」、「キリスト教禁制」、対外関係は、朝鮮王朝(朝鮮国)と琉球王国との「通信」(正規の外交)と、中国(明朝と清朝)およびオランダ(オランダ東インド会社)との通商関係のみとし、「それ以外の外国人の日本渡航禁止」という孤立状態でした。

しかし、日本国および日本人は特に不自由を感じることなく、「自給自足国家」を実現していました。

鉄砲のように最初は「舶来品」を用いることはあっても、やがて日本人が作れるようになりました。カステラのような舶来の食品でも、やがて日本人が作るようになりました。

そして必須の部分は全て「国産品」で賄っていました。そして日本独特の文化も開花し発展したのです。

(2)「徒然草」の教訓

徒然草の第120段に次のような話があります。

唐の物は、薬の外は、なくとも事欠くまじ。書(ふみ)どもは、この国に多くひろまりぬれば、書きても写してん。唐土船(もろこしぶね)のたやすからぬ道に、無用の物どものみ取り積みて、所狭(ところせ)く渡しもて来る、いと愚かなり。

「遠き物を宝とせず」とも、又、「得がたき貨(たから)を貴(とうと)まず」とも、文に侍るとかや。

意味は次の通りです。

中国の物は、薬の外は、無くても不自由しないだろう。書物の類は、この国に多く広まっているので、書き写すこともできる。中国の船が困難な航路で、多くのいらない物を積みこんんで、船いっぱいに載せて次々と渡してくるのは、大変愚かなことである。

「遠き物を宝とせず(遠くにある物を宝と思わない)」とも、また「得がたき貨(たから)を貴(とうと)まず」(手に入れにくい宝をありがたがらない)とも、書物にあるとかいうことでございます。

「遠き物を宝とせず」は、書経の「遠き物を宝とせざれば則ち遠き人いたる」を指し、「得がたき貨を貴まず」は老子の「得がたき貨を貴ばざれば、民をして盗をなさざらしむ」を指しています。