先日たまたまNHKBSプレミアム放送を見ると、「漂泊のピアニスト アファナシエフ もののあはれを弾く」という番組の再放送(当初は2008年に放送)をやっていました。
よく知られたショパンの「ワルツ」を彼が演奏している場面だったので、途中からですが引き込まれて最後まで見ました。
1.アファナシエフとは
ヴァレリー・アファナシエフ(1947年~ )は、ロシア出身のピアニストであり、詩人・作家でもあります。
日本人ではありませんが、私と同じ「団塊世代」です。
彼はモスクワに生まれ、モスクワ音楽院でエミール・ギレリスとヤコフ・ザークに師事した後、1969年のライプツィヒ・バッハ国際コンクールと1972年にブリュッセルで行われたエリザベート王妃国際音楽コンクールで優勝しました。
しかし、「国家が音楽を管理するソ連」の状況に疑問を感じ西側への亡命を決意します。1974年にベルギーのシメイ城での演奏旅行を終えた後、西側に政治亡命し、ベルギー国籍を取得しました。
2.漂泊のピアニスト
以前はヴェルサイユに居を構えていましたが、現在はブリュッセルの郊外に住み、フランス語で詩作や小説の執筆にも取り組んでいるそうです。当初フランスのパリで、ソ連時代には味わえなかった自由を満喫していました。同時に、故郷を捨てたことへの辛さも抱え続けていました。
しかし次第に「商業主義が音楽を管理する西側社会」に失望感を抱くようになります。西側の音楽界は、新しい「スター」を次々と派手な宣伝文句で売り出していきます。そこに彼は違和感を感じ始めたようです。パリにはかつてのような「芸術への情熱」を感じられなくなったのです。
3.もののあはれを弾く
そんな時に出会ったのが、源氏物語などの日本の古典文学です。「もののあはれ」は彼の亡命体験と重なり、創作力の源になったそうです。
「もののあはれ」というのは、「しみじみとした情趣」「無常観的な哀愁」で日本人独特の観念・情緒のように思いますが、彼は日本を知るようになって、「もののあはれ」の感情がもともと自分の中にもあったと気付いたそうです。
彼は来日して、京都の実相院でフランツ・シューベルト(1797年~1828年)の最後のピアノソナタ21番を演奏しています。彼によれば、このピアノソナタは「もののあはれ」「静寂」をよく表しているものだそうです。
彼は「異才」「鬼才」「思索するピアニスト」とも呼ばれていますが、若いスターピアニストが続々と登場し、商業主義に乗って華々しく活躍する中で、自分のピアニストとしての技量が絶頂期の頃に比べると衰えたことも自覚します。そして次第に内省的になります。
そんな中で、彼はロベルト・シューマン(1810年~1856年)が「ピアノのテクニックの練習をし過ぎて右手を故障」してからの波瀾に満ちた後半生をヒントにして、自分の姿を投影したような音楽劇を作ったりもしています。
4.アファナシエフの言葉
番組の中で紹介されていた彼の言葉で印象に残ったのは次の三つです。私のあやふやな記憶ベースですので、正確ではないかもしれません。
(1)ノスタルジーは最も高貴な感情である
(2)音楽に休符があるのは、音楽にも自分を見つめ直す静寂の時間が必要だから
(3)人生を進むためには何度も過去に回帰する必要がある。しかしそれは下降するという意味ではなく未来への上昇のためでもある
最後の(3)の言葉は、パリから北へ200kmのところにある16世紀に造られた「シャンボール城」にある「二重らせん階段」からインスピレーションを得たものです。この「二重らせん階段」はレオナルドダヴィンチが設計したもので、階段を上がる人と下る人が互いに出会わない構造になっています。
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