性善説と性悪説と性無記説(性白紙説)の違いは何か?わかりやすくご紹介します

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孟子

(孟子)

荀子

(荀子)

倫理学や道徳学において、昔からさまざまな「性善説」と「性悪説」が唱えられて来ました。今回はこの二つの説について、わかりやすく解説したいと思います。

1.「性善説」

「性善説」とは、「人間の本性は基本的に善である」とする倫理学・道徳学説、特に儒教主流派の中心概念です。

人の本性に関する考察は、古今東西行われて来ていますが、「性善説」という言葉は、中国戦国時代の思想家である孟子(BC372年?~BC289年?)に由来します。

孟子は、性善説に基づき、「仁義」による「王道政治」を目指しました。彼は「善の兆」として「四端(したん)の心」を唱えました。

(1)惻隠(そくいん):他者の苦境を見過ごせない「忍びざる心」(憐れみの心)

(2)羞悪(しゅうお):不正を羞恥する心

(3)辞譲(じじょう):謙譲の心

(4)是非(ぜひ):善悪を分別する心

修養することによって、「四端の心」を拡充し、「仁・義・礼・智」という四つの徳を顕現させ、聖人・君子に至ることが出来るとしました。

朱子(1130年~1200年)は、中国南宋の儒学者で、孟子の「性善説」を受け継ぎ、それを完成させました。彼は人間の「性」を、「本然の性」(天命の性)と「気質の性」に分類し、「本然の性」は万人が生まれつき持っているが、「気」(万物を構成する要素)によって曇らされ善を発揮できないでいるのが「気質の性」としました。

彼の「朱子学」は、江戸時代に林羅山(1583年~1657年)によって「武家社会の正学(倫理規範)」となり、日本に大きな影響を与えました。

なお、現在の「少年法」は、「性善説」の立場から、「未成年者は可塑性(教育によって更生する可能性)が高い者」と見なしているようです。

2.「性悪説」

「性悪説」とは、紀元前3世紀ごろの中国戦国時代の思想家である荀子(BC313年?~BC238年以降)が、孟子の「性善説」に反対して唱えた人間の本性に関する主張です。

「人の性は悪なり。その善なるものは偽(ぎ)なり」(『荀子』性悪編より)から来ています。

いわゆる「厳罰主義」や「厳罰化」のバックボーンとして、この説があるとも言われますが、本来の「性悪説」に厳罰は含まれておらず、むしろ教育に力点を置いています。

荀子は、「人間の本性は、欲望的存在にすぎないが、後天的努力(学問を修めること)によって公共善を知り、(人間の本性は根本的に変えられないとしても)礼儀を正すことが出来る」として、教育の重要性を説きました。

3.「性無記説」または「性白紙説」

墨家(ぼくか、ぼっか)の告子(こくし)(生没年不詳)は、中国戦国時代の思想家で、書物は散逸していますが、孟子と論争したことが残っています。

彼は、「人の性には善も不善もない。そのため、文王や武王のような明君が現れると民は善を好むようになり、幽王や厲王のような暗君が現れると民は乱暴を好むようになる」と説きました。

また、ある人は、「人の中で善悪が入り混じっている」「性が善である人もいれば、不善である人もいる」と説いていました。

これは、ある意味で常識的な説ですが、「人間の本性を一律にどちらかと決めつけることには無理があり、不可能」ですので、私も同感です。

4.「性善説」「性悪説」「性無記説(性白紙説)」が生まれた背景

中国の春秋時代の思想家である孔子(BC552年~BC479年)が、儒教を唱えた時も、中国の状況は、汚職がはびこり、道徳心が地に落ちた状況でした。「大道廃れて仁義あり」です。

孟子や荀子、告子が生きた中国戦国時代においては、さらにひどい状況になっていたものと思われます。そんな中で、「仁義による王道政治」や「民衆への教育の必要性」が痛感され、このような諸説が生まれたのでしょう。

江戸時代の日本においては、徳川幕府による統治の安定化のため、「封建制度の精神的支柱」として儒教の朱子学が採用されたものと思われます。