「三種の神器引継ぎ」や「大嘗祭」等の神話に基づく儀式は皇室内だけで行うべき

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大嘗宮

古事記や日本書紀にある「天孫降臨(てんそんこうりん)」神話に基づく「三種の神器(さんしゅのじんぎ)」伝説や、「大嘗祭(だいじょうさい)」などの皇室の儀式が連綿として続けられていることについては、私は以前から疑問を持っていました。

それほど目くじらを立てる話ではないと思いますが、不思議な気がします。特に「神道に基づく皇室の行事である大嘗祭などが『公費』で行われること」については、皇室一家の一人である秋篠宮からも「公費支出するべきではなく、天皇家の内廷費で賄うべき」との異議が唱えられました。この意見を宮内庁は黙殺し、結局政府も従来の慣例に従って公費支出しました。

秋篠宮のこの意見は物議を醸しましたが、私は真っ当な意見だと思います。

最高裁判所元判事で皇室制度に詳しい園部逸夫氏も、「皇族が内閣で決めたことに記者会見の場で意見を述べられるのは、喜ばしいことではないと思うが、宮内庁に話しても何も変わらない中で、皇室にもこんな意見があるのだと知ってもらいたいという、やむにやまれぬお気持ちも理解できる」と話しています。

1.天孫降臨とは

天孫降臨

「天孫降臨」とは、「天照大御神(あまてらすおおみかみ)の命を受けて、孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が葦原の中つ国(日本)を治めるために高天原(たかまがはら)から日向国の高千穂峰(たかちほのみね)に天降(あまくだ)ったという神話」です。

その際、天照大御神は、「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅(しんちょく)」と「三種の神器(じんぎ)」を授け、天児屋命(あめのこやねのみこと)ら5神を供に付けたということです。

これは天皇の統治を正当化するために、天皇家の絶対的神聖化を意図して作られた架空の話(神話)です。

「天壌無窮の神勅」は、1945年の敗戦まで「日本の国体の基礎」をなすものとされていました。ヨーロッパの「王権神授説」のようなものですね。

2.三種の神器とは

三種の神器

「三種の神器」とは、「天皇が皇位の璽(しるし)として、代々伝えた三種の宝物」のことです。具体的には「八咫鏡(やたのかがみ)」「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」です。なお、草薙剣は、「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」とも言います。

鏡は垂仁天皇の時に伊勢国の五十鈴川のほとりに祀り(伊勢神宮の起源)、剣は日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の帰途に尾張に祀った(熱田神宮の起源)とされています。したがって、代々天皇家に伝えられている鏡と剣はレプリカにあたる「形代(かたしろ)」です。

鏡は宮中の賢所に安置され、剣は「壇ノ浦の合戦」(1185年)で安徳天皇とともに海に没しましたが、玉は初めのままだそうです。

南北朝合一も、神器の授受を第一の条件としていました。

余談ですが、1950年代後半の高度成長初期に新時代の生活必需品として宣伝された電化製品(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)が「三種の神器」と呼ばれました。1956年に「経済白書」が「もはや戦後ではない」と明記した「神武景気」(1954年~1957年)の頃の時代です。また「岩戸景気」(1958年~1961年)の次に来た1960年代半ばの「いざなぎ景気」(1965年~1970年)時代には「自動車(Car)」「クーラー(Cooler)」「カラーテレビ(Color TV))」の三つが「新・三種の神器」として喧伝されました。

3.神道に基づく皇室行事は内廷費で賄うべき

即位に伴って行われる皇室の行事としては、「大嘗祭」「剣璽等承継の儀」「即位後朝見の儀」「即位礼正殿の儀」「祝賀御列の儀」「饗宴の儀」などがあります。

今回の天皇の生前退位に伴う皇位継承関係儀式の総予算は約166億円に上りました。

皇位継承費用予算

(1)国事行為

①剣璽等承継の儀、②即位後朝見の儀、③即位礼正殿の儀、④祝賀御列の儀、⑤饗宴の儀の5つの行事が「国事行為」とされ、公費が支出されました。

しかし、①②③は皇室神道に基づく「宗教儀式」と言えるのではないかと思います。

(2)皇室行事

2019大嘗祭

「大嘗祭」は、新天皇即位後初の新嘗祭(にいなめさい)ですが、特に宗教色が強いため「国事行為」にはできず、「皇室行事」として公費が支出されました。「大嘗祭」は具体的には「その年の新穀を天照大御神・天神地祇に供え、天皇自らも食す儀式」です。

私は宗教を全く信じない「不信心者」なので、神社の神官の「祝詞(のりと)」や寺院の僧侶の「読経(どきょう)」を聞いていても「彼らはどうせお金儲けのためにやっているのだろう」と内心滑稽にすら感じます。

2019年は天皇の生前退位や新天皇の即位、令和への改元があり、「大嘗祭」「剣璽等承継の儀」「即位礼正殿の儀」などが大仰かつ恭しく行われましたが、日本国憲法の「政教分離」(20条)や「国民主権」(1条)の原則から見ると、矛盾した時代錯誤的行事に思えてなりません。

ちなみに今回の大嘗祭への公費支出は約27億円の予算でした。

皇室の中だけで密やかに天皇家の伝統を守る「私的な行事」として行うのであれば問題はありませんが、「皇室行事」や「国事行為」として公費で派手に行うのは「国民の総意」があると言えるのか疑問が残ります。

次の代替わりの時までに、「皇室のあり方」の検討課題の一つとして、従来の慣例に囚われることなく原点に立ち返って冷静に議論してほしいものです。

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