日本ほど季節の変化の豊かな国はありません。それは、国土がほぼ規則正しく寒暑の交替する温帯に位置するとともに、四方を海に囲まれ、夏と冬に季節風が吹き、春雨や梅雨、台風のような顕著な季節現象に見舞われる「モンスーン地帯」にあることから来ています。
しかし、もともと農耕民族であった日本人の民族性が、季節の移り変わりに対する感受性を非常に鋭く、繊細なものにし、和歌や俳諧(俳句)のような日本独自の短詩形式の文学を生み出したのでしょう。
「花鳥風月」「雪月花」「三種の景物」「五箇の景物」などの言葉は、このような日本人の繊細な感性を端的に表すものです。
この感覚は、現代の我々日本人のDNAにも受け継がれているようです。
1.花鳥風月(かちょうふうげつ)
「花鳥風月」とは、「自然の美しい景色や風物。また、それを鑑賞したり、それらを題材として詩歌や絵画などの創作にあたる風雅な遊び、風流韻事のこと」です。なお、「風月」は風と月のことですが、狭義では「清風」と「明月」を指します。
能楽師世阿弥(1363年~1443年)の「風姿花伝」に次のような一節があります。
・・・源平などの名のある人の事を花鳥風月に作り寄せて・・・
これとよく似た言葉に、「雪月風花(せつげつふうか)」(あるいは「風花雪月」)があります。これも「四季折々の自然の美しい景色のこと。また、それを見ながら詩や歌を作ったりする風流のこと」です。
2.雪月花(せつげつか)
「雪月花」とは、「雪・月・花という自然の美しい景物のこと」です。
この「雪月花」も、日本独自の言葉と思っている方も多いかもしれませんが、これは中国唐の詩人白居易(772年~846年)の詩「寄殷協律」に由来する言葉です。
五歳優遊同過日 一朝消散似浮雲
琴詩酒伴皆抛我 雪月花時最憶君
幾度聽鶏歌白日 亦曾騎馬詠紅裙
呉娘暮雨蕭蕭曲 自別江南更不聞
殷協律は、白居易が江南にいた時の部下で、長安から彼にこの詩を贈ったものです。この詩の中の「雪月花時」とは、それぞれの景物の美しい時、すなわち「四季折々」を指す言葉です。そうした折々に、遠く江南にいる殷協律を思うという詩です。
ただ、この白居易の詩が作られた825年よりも前に、万葉集に残る大伴家持(718年頃~785年)の「宴席詠雪月梅花歌一首」と題した和歌があります。この歌は749年に作られました。
雪の上に 照れる月夜に 梅の花 折りて贈らむ 愛しき子もがも
「雪月花」は日本の芸術・美術の特質の一つとしても捉えられています。「雪月花時最憶君」は1013年頃に編纂された「和漢朗詠集」交友の部に、前句とともに採られており、清少納言(966年頃~1025年頃)の「枕草子」の村上天皇の挿話にも出て来ます。
音読語としては、「雪月花」が用いられることが多いですが、和語としては、「月雪花(つきゆきはな)」の順で用いるのが伝統的です。
なお、宝塚歌劇団の「花組」「月組」「雪組」という組分けもここから来ています。
3.三種の景物(さんしゅのけいぶつ)
時代が下ると、「雪月花」は「雪」「月」「桜」の取り合わせとして理解されるようになり、この「三種の景物」はさらには、「そうした景物を愛でる風流な態度そのものを示す言葉」として理解されるようになりました。
(1)日本三景
・雪:天橋立
・月:松島
・花:(紅葉を花に見立てて)宮島
(2)日本三名園
・雪:兼六園
・月:後楽園
・花:(梅)偕楽園
4.五箇の景物(ごこのけいぶつ)
五番目の勅撰和歌集である「金葉和歌集」では、それまで季節が定められていなかった「月」が秋の景物と定められ、以後「花」(季語では桜のこと)(春)、「時鳥(ほととぎす)」(夏)、「紅葉」(秋)、「雪」(冬)とともに、「五箇の景物」として重要視されました。