大伴家持は藤原氏に反逆したが、何度も復活したゾンビのような生命力溢れる人!

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大伴家持像

<2023/9/19追記>NHK朝ドラ「らんまん」にも大伴家持の和歌が登場!

主人公の槙野万太郎(牧野富太郎がモデル)が東京帝国大学植物学教室の徳永教授(松村任三がモデル)に辞表を提出し、退出する時に二人の間にやり取りされた下の和歌(徳永教授の槙野万太郎に対する惜別の辞のような形)は、大伴家持が越中(現在の富山県)赴任中に詠んだ歌です。

この雪の 消(け)残る時にいざ行かな 山橘(やまたちばな)の実の照るも見む (万葉集 巻十九 4226)

<現代語訳>この雪の消え残っている間にさあ出かけよう。そして山橘(やまたちばな)の赤い実が雪の中で照り輝いているのも見よう。

白い雪に赤い実。そして緑の葉。視覚に訴えた歌です。

槙野万太郎も、大伴家持と同様国家権力(や大学の権力)に反逆しましたが、何度も復活したゾンビのような生命力溢れる人で、よく似ていますね。

大伴家持と言えば、「万葉集の編纂者」として有名ですが、その生涯はあまり知られていないように思います。

そこで今回は大伴家持についてわかりやすくご紹介したいと思います。

1.大伴家持とは

大伴家持(おおとものやかもち)(718年頃~785年)は、奈良時代の公卿で歌人(三十六歌仙の一人)です。父は山上憶良とも親交のあった大伴旅人(おおとものたびと)(665年~731年)です。

大伴氏系図

意外なことに大伴氏は大和朝廷以来の武門の家で、祖父・安麻呂、父・旅人と同じく律令制下の高級官吏として歴史に名を残し、中納言にまで昇っています。

しかし、その生涯は波瀾万丈でした。

2.藤原氏に反逆した何度も復活したゾンビのような生命力

彼は武門の家柄だけあって、父の旅人と同様に、藤原氏に媚びることのない気骨のある貴族でした。

(1)橘奈良麻呂の乱(757年)

橘諸兄(たちばなのもろえ)に代わって権勢を握った藤原仲麻呂を打倒し、仲麻呂の擁立した皇太子(後の淳仁天皇)の廃太子を計画した「橘奈良麻呂の乱」では、彼は直接謀議に加わってはいなかったものの、関与を疑われて758年に因幡守に左遷されています。

これは藤原氏に権勢を奪われた橘諸兄の息子の橘奈良麻呂が大伴氏・佐伯氏らと謀って起こそうとしたクーデーター計画ですが未遂に終わり、奈良麻呂は獄死しています。

(2)藤原仲麻呂暗殺未遂事件(763年)

762年には都に戻されますが、淳仁天皇のもとで権勢を振るっていた藤原仲麻呂の暗殺を、藤原宿奈麻呂・石上宅嗣・佐伯今毛人とともに計画します。

しかし密告によって計画が露見し、4人は捕えられますが、藤原宿奈麻呂が単独犯行を主張したため、家持は罪に問われませんでした。ただし764年に薩摩守に左遷される報復人事を受けています。なお彼が九州に赴任した同じ年に藤原仲麻呂は反乱(藤原仲麻呂の乱)を起こしましたが敗れ、仲麻呂一族は滅亡しています。

770年9月に称徳天皇が崩御すると再び都に戻り、順調に出世して行きます。

(3)氷上川継の乱(782年)

これは天武天皇の曽孫・氷上川継が謀反を計画し、事前に発覚して失敗した反乱未遂事件です。

彼はこの謀反にも関係したと疑われ、782年1月に参議を解官されています。しかし同年4月には早くも赦免され参議に復帰しています。

まるでゾンビのような生命力ですが、それだけ政治的手腕も認められていたということでしょう。

(4)藤原種継暗殺事件(785年)

彼が亡くなった直後に、造営中の長岡京で「藤原種継暗殺事件」が起きます。彼も子の暗殺事件に関与していたとして「追罰」を受け、官位を剥奪され、子の永主も隠岐に流罪となっています。

なお、没後20年以上経過してから恩赦により、従三位に復しています。

3.大伴家持の歌

彼はこのようにめまぐるしく抗争と復活を繰り返していましたが、政争に明け暮れていたわけではなく、万葉集には473首(479首とも)もの歌を残しています。

驚くほどエネルギッシュで生命力に溢れていたというほかありません。

(1)海ゆかば

海ゆかば」という軍歌がありますが、この歌詞のもとになったのが彼の歌です。

<陸奥国より金を出だせる詔書を賀く歌一首>
葦原の 瑞穂の国を 天下り 知らしめしける
すめろきの 神の命の 御代重ね 天の日継と
知らし来る 君の御代御代 敷きませる 四方の国には
山河を 広み厚みと たてまつる 御調(みつき)宝は
数へ得ず 尽くしもかねつ 然れども 我が大王の
諸人(もろひと)を 誘ひ賜ひ 善きことを 始め賜ひて
金(くがね)かも たのしけくあらむ と思ほして 下悩ますに
鶏が鳴く 東の国の 陸奥の 小田なる山に
金ありと 奏(まう)し賜へれ 御心を 明らめ賜ひ
天地の 神相うづなひ 皇御祖(すめろき)の 御霊助けて
遠き代に かかりしことを 朕(あ)が御代に 顕はしてあれば
食(を)す国は 栄えむものと 神ながら 思ほしめして
もののふの 八十伴の雄を まつろへの むけのまにまに
老人(おいひと)も 女童児(めのわらはこ)も しが願ふ 心足(だ)らひに
撫で賜ひ 治(をさ)め賜へば ここをしも あやに貴(たふと)み
嬉しけく いよよ思ひて 大伴の 遠つ神祖(かむおや)の
その名をば 大来目主(おほくめぬし)と 負ひ持ちて 仕へし職(つかさ)
 海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね) 山行かば 草生(む)す屍
大王の 辺(へ)にこそ死なめ かへり見は せじと異立(ことだ)て
大夫の 清きその名を 古よ 今の現(をつつ)に
流さへる 祖(おや)の子どもそ 大伴と 佐伯の氏は
人の祖(おや)の 立つる異立て 人の子は 祖の名絶たず
大君に まつろふものと 言ひ継げる 言の官(つかさ)そ
梓弓 手に取り持ちて 剣大刀 腰に取り佩き
朝守り 夕の守りに 大王の 御門の守り
我をおきて また人はあらじ といや立て 思ひし増さる
大王の 御言の幸(さき)の 聞けば貴み

(2)その他の歌

・春の野に霞たなびきうら悲しこの夕かげに鶯鳴く

・うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば

・新しき 年の始の 初春の 今日ふる雪の いや重(し)け吉事(よごと)

・春の野にあさる雉(きぎし)の妻恋(つまごひ)に己(おの)があたりを人に知れつつ

・かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける

・あぶら火の光に見ゆる我がかづらさ百合の花の笑(え)まはしきかも

・春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出(いで)立つをとめ

・石麻呂(いわまろ)に吾(わ)れもの申す夏痩せによしといふものぞ鰻(むなぎ)とり食(を)せ

・夏山の木末(こぬれ)の繁にほととぎす鳴き響(とよ)むなる声の遥けさ

・我が屋戸(やど)のいささ群竹(むらたけ)ふく風の音のかそけきこの夕へかも

・大夫の心思ほゆ大王の御言の幸(さき)の聞けば貴み

・大伴の遠つ神祖の奥つ城は著(しる)く標(しめ)立て人の知るべく

・すめろきの御代栄えむと東なる陸奥山に金(くがね)花咲く

・あしひきの山さへ光り咲く花の散りぬるごとき吾が大王(おおきみ)か

・ひさかたの雨の降る日をただ独り山辺にをればいぶせかりけり

・ふりさけて三日月見れば一目見し人の眉(まよ)引き思ほゆるかも

・この見ゆる雲ほびこりてとの曇り雨も降らぬか心足(だ)らひに

・雪の上に照れる月夜に梅の花折りて送らむ愛(は)しき子もがも

・一重のみ妹(いも)が結ばむ帯をすら三重結ぶべく我が身は成りぬ

・吾妹子(わぎもこ)が形見の衣下に着て直に逢ふまでわれ脱かめやも

・忘れ草わが下紐に着けたれど醜(しこ)の醜草言にしありけり

・あしひきの木の間立ち潜くほととぎすかく聞きそめて後恋ひむかも

・人も無き国もあらぬか吾妹子(わぎもこ)と携ひ行きて副(たぐ)ひてをらむ

・鶏が鳴く東男(あずまおとこ)の妻別れ悲しくありけむ年の緒長み

・なでしこが花見るごとにをとめらが笑まひのにほひ思ほゆるかも

・相見ては幾日も経ぬをここだくも狂ひに狂ひ思ほゆるかも

・卯の花もいまだ咲かねばほととぎす佐保の山辺に来鳴き響す(きなきとよもす)

・珠洲(すず)の海に朝開(あさびら)きして漕ぎ来(く)れば長浜の浦に月照りにけり

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