『ギリシャ神話』はもともと口承文学でしたが、紀元前8世紀に詩人のヘーシオドスが文字にして記録しました。古代ギリシャの哲学、思想、宗教、世界観など多方面に影響を与え、ギリシャでは小学校で教えられる基礎教養として親しまれています。
絵画ではしばしばモチーフとして扱われ、多くの画家が名作を残しています。文学作品や映画などにも引用され、ゲーム作品でも題材になっていることがあります。たとえば、ディズニー映画の『ヘラクレス』はギリシャ神話をモデルにしたお話です。
『ギリシャ神話』(およびその影響を受けた『ローマ神話』)は、現在まで欧米人にとって「自分たちの文化の土台となったかけがえのない財産」と考えられて、大切にされ愛好され続けてきました。
欧米の文化や欧米人の物の考え方を理解するためには、欧米の文化の血肉となって今も生き続けている『ギリシャ神話』の知識が不可欠です。
「日本神話」は、天皇の権力や天皇制を正当化するための「王権神授説」のような神話なので、比較的単純ですが、『ギリシャ神話』は、多くの神々やそれらの神の子である英雄たちが登場し、しかもそれらの神々の系譜や相互関係も複雑でわかりにくいものです。
前に「ギリシャ神話・ローマ神話が西洋文明に及ぼした大きな影響」という記事や、「オリュンポス12神」およびその他の「ギリシャ神話の女神」「ギリシャ神話の男神」を紹介する記事を書きましたので、今回はシリーズで『ギリシャ神話』の内容について、絵画や彫刻作品とともに具体的にご紹介したいと思います。
第19回は「スフィンクスの謎かけで有名なオイディプース」です。
1.オイディプースとは
「オイディプース」(オイディプス、エディプス)は、スフィンクスの謎かけで有名なギリシア神話の登場人物で、テーバイの王ラーイオスとその妻イオカステーの間の子です。
名前は「腫(は)れた足」という意味です。
実の父を殺し、実の母と親子婚を行ったため、オイディプースの名は「エディプスコンプレックス」の語源になりました。
(*)「エディプスコンプレックス」とは、は、ジークムント・フロイトが提示した概念です。男根期に生じ始める無意識的葛藤として提示されました。日本では訳語としてエディプス複合と呼ばれることもあります。
これは「母親を手に入れようと思い、また父親に対して強い対抗心を抱くという、幼児期においておこる現実の状況に対するアンビバレントな(相反する感情や態度を持つ)心理の抑圧」のことです。
フロイト派では男女ともに適用される用語であり、心的発達の重要な転換点として、また神経症の発症段階として注目されています。
2.オイディプースにまつわる神話
(1)誕生
ラーイオスは、子供を作るべきではないとの「神託」を受けました。もし子供を作れば、その子供がラーイオスを殺すというのです。しかしラーイオスは酔ったおりに妻イオカステーと交わり、男児をもうけました。
神託を恐れたラーイオスは男児を殺そうと考えましたが、殺すには忍びなく、男児の踵をブローチで刺し、従者に男児を渡してキタイローンの山中に置き去りにするよう命じました。
しかし従者もまた殺すには忍びないと考えたため、男児をキタイローンの山中にいた羊飼いに渡し、遠くへ連れ去るように頼みました。
コリントス王ポリュボスとその妻メロペー(異説ではペリボイア、メドゥーサとも)には、子供が生まれなくて困っていたため、羊飼いは男児を2人に渡しました。ブローチで刺された男児の踵が腫れていた為、ポリュボスとメロペーは男児をオイディプース(腫れた足)と名づけました。
(2)旅立ち
成長したオイディプースは他の者よりも能力が勝っていたため、これを嫉んだ者たちが酒席で、オイディプースはポリュボスとメロペーの実子ではないと中傷しました。
疑いながらも不安に思ったオイディプースは、ポリュボスとメロペーを詰問しましたが、満足のいく回答が得られませんでした。そこで神々に真実を聞こうと、デルポイでアポローンの神託を受けましたが、アポローンは彼の問いに答えず、「故郷に近寄るな、両親を殺すであろうから」と教えました。
ポリュボスとメロペーとを実の両親と信じるオイディプースは、コリントスを離れて旅に出ました。
(3)父殺し
戦車に乗って旅をしている最中、ポーキスの三叉路に差しかかったところで、戦車に乗った実の父ラーイオスが前方から現れました。ラーイオスの従者ポリュポンテースが、オイディプースに道を譲るよう命令し、これに従わないのを見るや、彼の馬を殺しました。
これに怒ったオイディプースは、ポリュポンテースとラーイオスを殺しました(殺害方法には、打ち殺したという説と谷底に突き落としたという説があります)。ラーイオスが名乗らなかったため、オイディプースは自分が殺した相手が誰であるかを知りませんでした。
プライタイアイ王ダマシストラトスがラーイオスを埋葬し、彼亡き後のテーバイは、メノイケオスの子クレオーンが摂政として治めました。
(4)スピンクス退治
オイディプースはポーキスの三叉路から逃げてテーバイへと向かいました。この頃テーバイは、ヘーラーにより送られたスピンクス(スフィンクス)という怪物に悩まされていた。
スピンクスはオルトロスを父とし、エキドナを母とする怪物で、女面にして胸と脚と尾は獅子、鳥の羽を持っていました。スピンクスはムーサより謎を教わって、ピーキオン山頂に座し、そこを通る者に謎を出して、謎が解けない者を喰らっていました。
この謎は「一つの声をもちながら、朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何か。その生き物は全ての生き物の中で最も姿を変える」というものでした。
テーバイ人たちは、「この謎が解かれた時スピンクスの災いから解放されるであろう」という神託を得ていたため、謎を解くべく知恵を絞りましたが、誰も解くことは出来ず、多くの者がスピンクスに殺されました(一説によるとクレオーンの子ハイモーンもまたスピンクスに殺されました)。このためクレオーンは、「この謎を解いた者にテーバイの街とイオカステーを与える」という布告を出しました。
<スフィンクスの謎を解くオイディプス ドミニク・アングル画>
テーバイに来たオイディプースはこの謎を解き、スピンクスに言いました。
- 「答えは人間である。何となれば人間は幼年期には四つ足で歩き、青年期には二本足で歩き、老いては杖をついて三つ足で歩くからである」
謎を解かれて面目を失ったスピンクスは、自ら城山より身を投じて死にました(謎が解かれた場合は死ぬであろうという予言があったためとする話もあります)。また、このスピンクスの問いの答えは「オイディプース」であるという穿った異説もあります。
<オイディプスとスフィンクス ギュスターヴ・モロー画>
(5)テーバイ王となり母と交わる
スピンクスを倒したオイディプースはテーバイの王となりました。そして実の母であるイオカステーを、そうとは知らずに娶り、2人の男児と2人の女児をもうけました。男児はそれぞれエテオクレースとポリュネイケースといい、女児はアンティゴネーとイスメーネーといいます。
(6)真実を知る
オイディプースがテーバイの王になって以来、不作と疫病が続きました。クレオーンがデルポイに神託を求めたところ、「不作と疫病はラーイオス殺害の穢れのためであるので、殺害者を捕らえテーバイから追放せよ」という神託を得ました。
オイディプースはそこで過去に遡って調べを進めますが、次第にそのあらましが、自分がこの地に来たときのポーキスの三叉路でのいざこざに似ていることに気が付きます。
さらに調べを進めるうち、やはりそれが自分であること、しかも自分がラーイオス王の子であったこと、母との間に子をもうけたこと、つまりは以前の神託を実現してしまったことを知ります。それを知るやイオカステーは自殺し、オイディプースは絶望して自らの目をえぐり、追放されました(娘と共に放浪の旅に出て行ったという説もあります)。
3.オイディプースにまつわる異伝
(1)スピンクスの謎かけの答えの解釈
古い形の伝説では、オイディプースは自分の母を妻にしていることを知った後でも、そのまま王であり続けています。
『イーリアス』には、オイディプースが戦場で死んだと記されています。
また一つの解釈として、スピンクスの謎かけの答えは「オイディプース」であるとも言われます。それは、初めは立派な人間(=二つ足)であったが、母と交わるという獣の行いを犯し(=四つ足)、最後は盲目となって杖をついて(=三つ足)国を出て行く、というオイディプースの数奇な運命を表すものです(この解釈では朝・昼・夜という時系列は、青年期・壮年期・老年期となります)。
この解釈は蜷川幸雄演出の『オイディプス王』(2002年、野村萬斎主演)でも演じられました。
(2)オイディプースの最期
娘と共に諸国をさすらったオイディプースは、その後アテーナイに辿り着きました。アテーナイ王テーセウスはオイディプースを手厚く庇護し、コローノスの森でオイディプースが最期を迎えることを認めます。テーセウスに見守られ、ようやく安息の地を得たオイディプースは、地中へ姿を消しました(『コロノスのオイディプス』)。
ちなみに、『コロノスのオイディプス』は、「古代ギリシャの三大悲劇詩人」(*)の一人であるソポクレス作のギリシア悲劇です。
(*)「古代ギリシャの三大悲劇詩人」とは、アテナイのアイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスのことです。
4.ギリシャ悲劇『オイディプス王』について
『オイディプス王』(またはオイディプース王)は、古代ギリシャ三大悲劇詩人の一人であるソポクレスが、紀元前427年ごろに書いた戯曲で、テーバイの王オイディプスの物語を題材としています。
この戯曲は、ギリシャ悲劇の最高傑作であるのみならず、古代文学史における最も著名な作品であり、後世に多方面にわたって絶大な影響をもたらしました。
ソポクレスにはテーバイ王家に材をとった作品が他に2つ現存しています。すなわちオイディプスの娘が登場する『アンティゴネー』と最晩年の作品である『コロノスのオイディプス』です。
これらを総称して「テーバイ三部作」と呼びますが、これらは本来の意味での三部作ではなく、別々の機会に書かれたと考えられています。