<エーオース ウィリアム・アドルフ・ブグロー 画>
『ギリシャ神話』はもともと口承文学でしたが、紀元前8世紀に詩人のヘーシオドスが文字にして記録しました。古代ギリシャの哲学、思想、宗教、世界観など多方面に影響を与え、ギリシャでは小学校で教えられる基礎教養として親しまれています。
絵画ではしばしばモチーフとして扱われ、多くの画家が名作を残しています。文学作品や映画などにも引用され、ゲーム作品でも題材になっていることがあります。たとえば、ディズニー映画の『ヘラクレス』はギリシャ神話をモデルにしたお話です。
『ギリシャ神話』(およびその影響を受けた『ローマ神話』)は、現在まで欧米人にとって「自分たちの文化の土台となったかけがえのない財産」と考えられて、大切にされ愛好され続けてきました。
欧米の文化や欧米人の物の考え方を理解するためには、欧米の文化の血肉となって今も生き続けている『ギリシャ神話』の知識が不可欠です。
「日本神話」は、天皇の権力や天皇制を正当化するための「王権神授説」のような神話なので、比較的単純ですが、『ギリシャ神話』は、多くの神々やそれらの神の子である英雄たちが登場し、しかもそれらの神々の系譜や相互関係も複雑でわかりにくいものです。
前に「ギリシャ神話・ローマ神話が西洋文明に及ぼした大きな影響」という記事や、「オリュンポス12神」およびその他の「ギリシャ神話の女神」「ギリシャ神話の男神」を紹介する記事を書きましたので、今回はシリーズで『ギリシャ神話』の内容について、絵画や彫刻作品とともに具体的にご紹介したいと思います。
第25回は「暁の女神エーオースの愛人は人間の美男子」です。
1.エーオースとは
<エオス イーヴリン・ド・モーガン画>
<アウロラ ファン・アントニオ・リベーラ画>
<アウロラ アンヌ=ルイ・ジロデ=トリオソン画>
エーオース(エオス)は、ギリシア神話に登場する夜の闇を払う「暁の女神」です。その名は古典ギリシア語で「暁」を意味し、暁の神格化です。ティーターンの系譜に属し、様々な恋の物語が彼女をめぐって存在します。聖鳥、聖虫は雄鶏、蝉です。
エーオースは、ティーターンであるヒュペリーオーンとテイアー女神の間に生まれました。兄弟には、同じく自然現象や天体の神格化と言えるヘーリオス(太陽)とセレーネー(月)がいます。
また、同じくティーターンの系譜にあるアストライオスとの間で、三柱のアネモイ(風)、すなわちゼピュロス(西風・春風)、ボレアース(北風)、ノトス(南風)、そして全ての星々を生んだとされます。
『ローマ神話』では、アウローラ(オーロラ)が対応する女神です。ディズニー映画の「オーロラ姫」、極寒の地の発光現象「オーロラ」や小惑星の名としても有名です。
2.エーオースにまつわる神話
ティーターノマキアーで敗北したティーターン族はタルタロス(奈落)に幽閉され、エーオースの夫アストライオスもまたタルタロスに落とされました。
その後、エーオースは軍神アレースと愛し合い、アレースの愛人アプロディーテーの嫉妬で「人間の男に恋をし続ける」呪いをかけられます。
この呪いのためエーオースは、その後多くの人間の男たちとの遍歴を重ねてゆくことになります。
有名な相手として、イーリオス王ラーオメドーンの子ティートーノス、ポーキス王デイオンの子ケパロス、ポセイドーンの子オーリーオーンなどがいます。
(1)ティートーノスとの恋
<ティートーノスをさらわんとするエーオース。ルーブル美術館所蔵>
ティートーノス(ティトノス)は、ギリシア神話に登場する人物で、イーリオス王ラーオメドーンの子です。プリアモス、ラムポス、クリュティオス、ヒケターオーン、ヘーシオネー、キラ、アステュオケーと兄弟です。
ティートーノスは美男子で、エーオースから熱烈に愛されたことで有名です。神話によるとエーオースは彼をさらってエチオピアに連れて行き、夫としました。ホメーロスは、エーオースがティートーノスと眠るベッドから、毎朝、夜明けをもたらすために起き上がると詠っています。
シケリアのディオドーロスは、ティートーノスはエチオピアに遠征し、エーオースにメムノーンを生ませたと述べています。
「暁の女神」エーオースは、人間の美男子ティートーノスとの間に、英雄メムノーンとエーマティオーンをもうけました。
エーマティオーンはアイティオピアーの王で、ヘーラクレースがヘスペリスに黄金の林檎を取りに行く冒険でアラビアを通ったときに殺されました。一説ではナイル川上流からアイティオピアーにやって来たヘーラクレースと戦争になり殺されたとも言われます。
メムノーンは、父ティートーノスがイーリオス王プリアモスの兄弟だったため、エチオピア勢を率いてトロイア戦争に参加した英雄です。
『ホメーロス風讃歌』によると、エーオースはゼウスに願い、ティートーノスを「不死」にしてもらいました。ところが「不老」にしてもらうのを忘れたため、若々しい間は女神からの愛を享受していましたが、老いが深まるとともにエーオースの足は遠のいて行きました。
それでもティートーノスは、館の中で神々の飲食物で世話をしていましたが、身体を動かすことが出来なくなったとき、エーオースは彼を奥深い部屋に移して扉を閉ざし、2度と近づきませんでした。
しかしティートーノスは今も生きていて、その声は扉の向こうから聞こえてくるということです。別の話によると老いさらばえたティートーノスは最後には声だけの存在となり、エーオースによってセミの姿に変えられたとされます。
(2)ケパロスとの恋
<ケパロスとエーオース>
<アウロラとケパロス ピエール=ナルシス・ゲラン画>
ケパロスは、ギリシア神話に登場する人物で、ポーキス王デーイオーンとディオメーデーの子です。アステロディアー、アイネトス、アクトール、ニーソスと兄弟です。
ケパロスにはアテナイ王エレクテウスの娘プロクリスという妻がいました。
ケパロスが狩りをしている途中で、エーオースはケパロスを見初め、連れ帰ります。しかし、ケパロスは妻プロクリスを恋しがり、エーオースの機嫌を損ねます。
オウィディウスの変身物語では、エーオースは妻プロクリスの貞操を試すため、夫ケパロスを別人に変えて妻の元に返します。プロクリスは別人になった夫ケパロスの愛を受け入れ、それに失望したケパロスは家を出て狩猟生活を始めます。その後和解しましたが、誤ってプロクリスを槍で貫いて殺したということです。
ケパロスは「暁の女神」エーオースに愛され、息子のパエトーン(太陽神ヘーリオスの息子とは別人)をもうけました。
(3)オーリーオーンとの恋
オーリーオーンは、海の神ポセイドーンとミーノース王の娘エウリュアレーとのあいだに生まれた子です。なお、出自についてはアマゾーンの女王の子であるとする説、大地母神ガイアを母とするティーターンであったとする説、ボイオーティア王ヒュリエウスの子であるとする説もあります。背の高い偉丈夫で、稀に見る美貌の持ち主でした。
盲目になったオーリーオーンは、身動き出来ずにうずくまっていました。彼に対し神託は、東の国に行き、ヘーリオスが最初にオーケアノスから昇るとき、その光を目に受ければ、再び目が見えるようになるであろうと告げました。
オーリーオーンは、遥か東のレームノス島へと向かいました。盲目の彼は、キュクロープスの槌を打つ音を頼りにレームノス島に辿り着きました。こうしてヘーパイストスの鍛冶場に入り、ケーダリオーンという見習い弟子をさらって、彼を肩に乗せ案内させてオーケアノスの果てまで辿り着きました。彼を見た「暁の女神」エーオースがオーリーオーンに恋をし、彼女の兄ヘーリオス(太陽神)がオーリーオーンの目を治しました。
オーリーオーンは今度は曙の女神エーオースとの恋に夢中になりました。更にオーリーオーンはエーオースとの交際中にもかかわらず、アトラースの娘プレイアデス七姉妹に恋し彼女たちを追い掛け回しました。
エーオースの仕事は夜明けを告げることですが、オーリーオーンと付き合っている間の彼女は彼に会いたいがために仕事を早々に引き上げてしまいました。
ところが夜明けの時間が短くなったのを狩りの女神アルテミスは不審に思い、エーオースの宮殿がある世界の東の果てまで様子を見にやってきました。そして、オーリーオーンはアルテミスと運命的な出会いをするのです。
ギリシア一の狩人と狩猟の女神が恋に落ちるのには時間は掛かりませんでした。オーリーオーンはアルテミスと共にクレータ島に渡り、穏やかに暮らしていました。神々の間でも二人の仲は評判になり、互いに結婚も考えていました。
ところがアルテミスの兄アポローンはオーリーオーンの乱暴な性格を嫌い、また純潔を司る処女神・アルテミスに恋は許されないとして二人の仲を認めず、ことあるごとにアルテミスを罵りましたが、彼女は聞き入れませんでした。
そこで、アポローンはオーリーオーンの元に毒サソリを放ちました(このサソリは、オーリーオーンが動物たちを狩り尽くすことを懸念したガイアの放った刺客との説もあります)。
驚いたオーリーオーンは海へと逃げました。ちょうどその頃、アポローンは海の中を頭だけ出して歩くオーリーオーンを示して、「アルテミスよ、弓の達人である君でも、遠くに光るあれを射ち当てることは出来まい」と逃げるオーリーオーンを指差したのです。
あまりにも遠く、それがオーリーオーンと認識できなかったアルテミスは「私は確実に狙いを定める弓矢の名人。たやすいことです」とアポローンの挑発に乗って、弓を引きました。矢はオーリーオーンに命中し、彼は恋人の手にかかって死にました。
<アルテミスと死せるオーリーオーン ダニエル・シーター画>