日本語の語源には面白いものがたくさんあります。
前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。
以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。
1.節分(せつぶん)
「節分」とは、立春の前日のことです。
節分は、季節の分かれ目の意味で、元々は「立春」「立夏」「立秋」「立冬」のそれぞれの前指していたいました。
特に、節分が立春の前日をさすようになった由来は、冬から春になる時期を一年の境とし、現在の大晦日と同じように考えられていたためです。
立春の節分に豆をまく「豆まき」の行事は、「追儺(ついな)」と呼び、中国から伝わった風習です。
「追儺」の行事は、俗に「鬼やらい」「なやらい」「鬼走り」「厄払い」「厄おとし」「厄神送り」と呼ばれ、疫病などをもたらす悪い鬼を追い払う儀式で、文武天皇の慶雲3年(706年)に宮中で初めて行われました。
一般的に豆まきに使う豆は炒った大豆ですが、豆まき後の掃除が簡単なことや、まいた豆も食べられることから、地方によっては落花生を用いるところもあります。
節分に鰯(いわし)の頭を柊(ヒイラギ)の小枝に刺して戸口に挿す風習は、近世以降行われるようになったもので、これも魔除けのためです。
節分に巻き寿司を食べる風習は、福を巻き込むという意味と、縁を切らないという意味が込められ、恵方(えほう)に向かって巻き寿司(恵方巻き)を丸かぶりするようになりました。
主に大坂(大阪)の船場で行われていた風習ですが、大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行った「巻き寿司のまるかぶり」のPRイベントがマスコミに取り上げられて関西地方に広まり、のちにコンビニ等でも販売され全国へ広まっていきました。
「節分」は冬の季語で、次のような俳句があります。
・節分や 肩すぼめゆく 行脚僧(あんぎゃそう)(幸田露伴)
・節分や ざくざくとふむ 夜の雪(原石鼎)
・節分の 豆を掴(つか)みて 躊躇(ためら)へる(阿部みどり女)
・節分や 親子の年の 近うなる(正岡子規)
2.折檻(せっかん)
「折檻」とは、厳しくしかること、体罰を加え懲らしめることです。
折檻は、中国『漢書』の「朱雲伝」の故事に由来します。
その故事とは、次のような話です。
前漢の成帝の時代、朱雲が成帝の政治に対し厳しく忠告したため、朱雲は成帝の怒りを受け、宮殿から追い出されることになった。
しかし、朱雲は檻(手すり)に掴まり動こうとしなかったため、檻は折れてしまった。
成帝はそのような朱雲の姿を見て反省し、朱雲の意見を受け入れた。
このように、本来「折檻」は正当な理由で厳しく忠告することを意味していました。
しかし、厳しくす忠告する意味に重みが置かれ、現代では体罰や虐待の意味で「折檻」が使われるようになっています。
この意味の変化は、「檻」の漢字のイメージによる影響と思われます。
3.刹那(せつな)
「刹那」とは、きわめて短い時間のことです。瞬間。
刹那は、サンスクリット語「kṣaṇa」の音写で、漢訳は「念」といいます。
仏教語で「刹那」は時間の最小単位を意味し、その時間には、75分の1秒を「一刹那」とする説や、指を1回弾く間に60あるいは65あり、60分の1(65分の1)を「一刹那」とするなど諸説あります。
本来は「刹那という極めて短い時間を大切に生きよ」という教えで用いられた言葉ですが、「刹那主義」では「過去や将来のことを考えないで、束の間の快楽に溺れる考え方」の意味で用いられます。
「時間にまつわる面白い話(その2)。短い時間の単位や陸上競技等の計時方法も紹介」という記事も書いていますので、ぜひご覧ください。
4.青天の霹靂(せいてんのへきれき)
「青天の霹靂」とは、予想外のことや事件が突然起こることです。「晴天の霹靂」とも書きます。
青天の霹靂の「青天」は、雲ひとつない澄んだ青空のことです。「霹靂」は、突然かみなりが鳴ることです。
澄んだ青空に突然かみなりが鳴る意味から、予想外のことが突然起こることを「青天の霹靂」と言うようになりました。
青天の霹靂の由来は、中国南宋の詩人 陸游(りくゆう)が『九月四日鶏未鳴起作』の中で、「青天、霹靂を飛ばす」と表現したことによります。
「青天、霹靂を飛ばす」は、病床に伏していた陸游が突然起き上がり、筆を走らせた勢いをかみなりにたとえたもので、本来、「青天の霹靂」は筆の勢いを表す言葉でした。
5.せっかち
「せっかち」とは、落ち着きがなく、急ぐこと(また、そのさまのこと)です。思い立ったら、すぐ実行しないと気が済まない性格や人。
せっかちは、「急き勝ち(せきがち)」が語源といわれます。
「急き勝ち」は、「急ぐが勝ち」といった意味ではありません。
「急き」は、焦ってイライラする意味の動詞「急く(せく)」。
「勝ち」は、そうであることの方が多い状態を表す「勝ち(がち)」で、「ありがち」「病気がち」などと使われている「がち」です。
6.世話(せわ)
「世話」とは、気を配って面倒を見ること、手数をかけて援助すること、手数がかかって厄介なことです。
世話は、「世間でよく言われる言いぐさ」「世俗の人が用いる話し言葉のこと」が本来の意味で、世間の人の話が原義となります。
転じて、「日常的なもの」「通俗的なもの」の意味となり、「世話物」「世話場」という言葉が生まれ、江戸時代からは「面倒を見る」の意味で用いられるようになりました。
江戸末期の文献には、「だれがおまえはんの病気の世話をしますえ」とありますが、この「世話」は「せわしい」の「せわ」の下略と言われており、「世話」は当て字となります。
江戸中期には、形容動詞として「厄介なさま」「面倒なさま」を表すようになり、江戸末期には「世話が焼ける」という句も見られます。